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記憶が無いから無理矢理掘り起こしてみる 小学校編

ここには最初から昔の話しか書いていない気がするが、まあいいや。昔の話。

何年か前、ある人に「子供時代の記憶が無いのはおかしい」と言われた。

え、そうなの?

実際は人生に思い出や思い出すような記憶が無いだけで、無理矢理思い出そうとすれば思い出せる。
そこで今、子供時代からの記憶と置かれていた環境を掘り起こしていて、ついでにここに吐き出そうと思った。

親が私を作った時と同じ年齢になったことに気付き、改めて子供の頃の親との関わり方を思い出そうという面もある。子供時代から順に辿っていこう。

未就学児時代。こんな匿名で誰にも見られていない場所でも書きたくないことがあった。その事件で、性的な面で一般的な子供から逸脱した。

小学生時代。既に私は孤立していた。
邪険に扱ってくるのは同級生でもわずかで、無視やイジメなどがあった訳ではなかった。かといって、休み時間や下校を共にする特定の友達はいなかった。
私が子供の頃の小学生社会は、テレビのバラエティー番組やアニメ、ドラマ、漫画の話題を共有する事で構成されていた。そして私はそれらを全て親に禁じられていたので、どの会話への参加権を持っておらず、外から会話する同級生を眺めているだけだった。

最近ツイッターで話題になっていた「映画を倍速再生、飛ばし見する若者」。エンタメ業界の縮小衰退に繋がる危険な現象、若者の読解力理解力の低下の現れとして扱われていたが、原因の考察の一つに「仲間やコミュニティ内での話題に着いていくため」というのがあった。全く知らない、興味の無いものでも、会話に着いていくために倍速再生や飛ばし見で最低限の視聴を済ませ、使い捨ての話題の残弾としているらしい。この考察が実際に正しいかはともかく、もし本当にそうだとしたら仕方ないことなのかもしれない。
と、小学生時代の孤立を回想していて思った。

テレビは親が見るニュース番組だけ。漫画は買ってもらえず、全く興味の湧かない図鑑や地図を娯楽として与えられた。

この頃ゲーム機もあったがほとんど触っていなかった。数ヶ月に1回、箱から出しては少しプレイし、箱に戻していた。
このゲーム機は小学校に入る前、親が離婚する時に餞別として買ってきたものだった。ソフトは年に1本しか買ってもらえなかったが、ほとんどやらないから問題はなかった。

で、
私はよくイジメを起こす子とされた。
自分では遊んでいるつもりだったが、なぜか相手はよく泣いていた。そして弾劾された。
当時「自分がやられたら嫌な事は人にしない」と何かに教えられていたが、やっていたのは自分がやられてもいい範囲内のことだった。
自分がやられても嫌な気分にならない程度の絡みをしたら先生を呼ばれ、言い争いからのケンカで手を出してきた相手を押し倒すと泣かれた。自分では絶対に泣かない痛みで泣く相手を見ては「なんだこいつ」と思っていた。
思えば小学生時代に泣いた回数は数える程度で、小1に暴力を振るキチガイ教師や、上級生からの暴力によるものだった。

私は当時から自覚がある程度には鈍感で、痛みを感じなかった。
昔テレビで、ゆでたまごで有名な板東英二さんが「生涯で一度も「痛い」と言ったことがない」と誇らしげに言っていた。そんな訳あるかと一瞬思ったが、思えば私も人生で「痛い」と誰かに訴えた事がほとんど無かった。

小学校の話からずれた。
と言っても小学校時代はそんなものでしか無かった。孤立と、遊ぼうとすると相手が泣いて弾劾される。それだけだった。

唯一良かった記憶といえば、小学校の担任が素晴らしい人だった。イケメンで熱血教師。
運動会の日、昼食の時間。私が一人、図書館で弁当を食べていると、わざわざ私を探して一緒に食べに来てくれたこともあった。
私が問題を起こすと(自覚は無い)、しゃがんで目線を合わし、責めるのではなく、問題を解決する方法を考えてくれた。泣きながら説得してくるその先生が眩しくて、私はいたたまれない気持ちになって話を聞こうとしなかった。その先生にすら「いい先生だな」と思うだけで、本音を出すことは無かった。

小学校時代を回想して、

小学生でもコミュニティに入れる話題が無いと孤立する。
痛みに強い子供は嫌われる。

以上の二点が分かった。分かったところでどうしようも無いが。

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