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鬱がピーク!! 戦慄の絶望三重奏!!

私の昨今の感情の無さったらシャレにならない訳です。
自分でも感情がないと自覚するくらいに無い。

鬱が高まっている。

鬱がそんなボルテージみたく高まるものかは知らないが、かつてなく鬱が強まってきているのを実感している。

ここのところ毎日、「これ以上生きてどうする」と考えている。

ほとんどの人が人生の中で一般的にやること。体験や苦悩や喜怒哀楽、一言にすると「経験」。
そういった人々が普通に人生を送る中で自然にしていく経験を、私はほぼやらないまま、人生2回ほどの時間を生きてしまった。人生は経験で出来ている。何も無い人生を過ごした私はそう思う。

小学生→中学生→高校生→大学生→社会人→三十代四十代…とステップを上がっていくのが今の日本の一般的な人生観だと思う。
それで言えば、私は高校の終わりでそのステップを踏み外し、そのまま戻ることなく、本来進むべきステップが増えていくのを地べたから眺めている人生になっていた。

精神は高校生レベル。なんの経験もしないまま肉体だけが年老いていった。そのせいか、ファッションなどの「十代向け、二十代向け〜」のような分類が最近まで理解できなかった。

普通は十代で十代の経験、できることの少なさに歯がゆさを感じたり、バイトを始めて自分で欲しいものを手に入れられることを覚えたり、心臓が破裂しそうになりながら恋愛やSEXを覚えていく。(全くの無縁だったので想像です)
活動範囲や出会いが爆発的に増える二十代。十代が充実していた人はより上手に経験を積んでいき、十代が上手く行かなかった人は遅れを取り戻して、それに喜びを感じたりする。(全くの無縁だったので想像です)

超絶辺境の高校生で精神が止まったままの私は、そんな社会の経験から生まれる基準が最近まで理解できなかった。

人生2回終わるに十分な時間を生きても、結婚はおろか恋愛も性体験もしていない。高校生で経験値が止まっているといっても、一般的な高校生の経験すらしていない。
人を好きになるようなことも人生で1度もない。そもそも他人にほとんど会ったことがない。

人々がいう、思い出というモノもひとつもない。多分、思い出は1人では作れないものなんだろう。

そんな状態から変われない環境でずっと人生を送ってきた。だからいつの間にか、世の中の普通と自分とを比べないようにしていた。ひたすら思考停止して、機械的に日々を過ごしていた。

それが去年あたりから、突如その環境から抜け出せる兆しが出てきた。
だけどそこで気づいたのは、自分はもう若くなく、人生のステップにはもう戻れない、という事実だった。

何も考えない日々で曖昧になっていた現実と正対した時。これまでの人生が無意味無価値、なにも記憶に残っていない全くの無価値なものだと気付いた。
そして今後の人生で、もう挽回はできないことにも気づいてしまった。

やりたいことは今の年齢ではもう全てできない。
この無駄に長い人生で良い事なことなど何一つ無かったのに、これから先、残された時間で良い事なんて起きると思えない。

それとも人を愛するような、世界中の人間が有史以前から続けている人間的な活動をすれば、これまでの人生が無価値でも「今まで生きてきて良かった」と感じたりするだろうか。

過去への後悔なんて生ぬるいものじゃなく絶望。
現在進行形の、世の中の人が皆平然と当たり前にできることが何も出来ない絶望。
残りの人生で何も得られないことに気づいてしまった絶望。

そんなこんなでここのところ感情がdeathです。

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