原因と結果の法則(著ジェームズアレン)を読み、自身を振り返る



まずは、原因と結果の法則に書かれていたこと、ほんの少し紹介。


まずは原因を改善すること。


私たちが手にするものは、私たちが手にしたいと願い、祈るものではなく、私たちが公正な報酬として受け取るものです。


私たいの願いや祈りは、私たちの思いや行いがそれと調和したものであるときにのみ叶えられるにです。


原因は意識的に巡らされている不純な思いかもしれませんし、無意識のうちに手をしている弱さかもしれません。


それを持つ人間の環境を改善しようとする努力を執拗に妨害し続けます。


よって原因こそが改善されなくてはならない。


自分自身を改善するということは、真の意味での自己犠牲を払うということ。


真の自己犠牲とは、心の中からあらゆる悪いものを取り払い、そこを良いものだけで満たそうとする作業です。


苦悩は常に何らかの方面の誤った思いの結果です。


苦悩は、それを体験している個人が、自分を存在させている法則との調和に失敗していることの明確なサインです。


苦悩の最大の、唯一の役割は、無益で不純なあらゆるものを浄化すること、あるいは焼き払うことです。


宇宙の秩序を知ろう。


人間は、自分自身を質す事によって初めて宇宙の正義と公平さを知ることができます。


その過程で人間は、周囲の人たちや状況に対する自身の姿勢を改めると、自分に対するそれらの姿勢もまた、速やかに改まるものであることを知ることになります。


この事実を立証することは、
これは自分の心と環境の動きを謙虚に根気強く観察し、分析する事によって、誰もが容易に認識できること。


好意的で寛容な思いは、優しさに溢れた生き方として、続いて安全と安心に満ちた環境として姿を表します。


愛に満ちた思いは、人々に奉仕する生き方として、続いて永続的な繁栄と真の富みに満ちた環境として姿を表します。


自身を振り返る

1、自分の今までの生活を振り返る(思いの分析とその結果に関する考察)
人格: 父親は厳しい人だった。感情の起伏は大きいほうで、よく怒る人だった。しかし基本的に子供が好きで過保護な一面もある。子が嫌がる嫌なことは決してさせず、子の要望を全て聞くような甘やかすところがあった。
母親は甘やかされて育った人で、基本子供を叱らない。いつも柔和だった。両親は大事にしてくれたが、当人の私は、わがままで事故中心的で、自立心がなく、人に依存するような性格に育った。社会性に乏しいまま社会に出る事になった。


社会に出て、1年目が一番辛かった。離職せずに5年近く大学病院で勤められたのは、サポートしてくれた先輩方のおかげだと思う。2年がすぎてようやく先輩の手が離れた。


今思うと、私と関わってくれた人の中に、とても厳しい人がたくさんいた。人の命がかかっているから。



厳しい言葉は愛そのものだったのに、当時の私は全て受け止めきれなかった。
嫌な顔してしまったかもしれない。あの方の言うことは正しかった。
大事に育ててくれたのに、そのお返しは何もできなかった。

2年の月日が過ぎたとはいえ、看護学の知識はまだまだ浅く、毎日毎日、図書館で勉強した。22時まで開館していることがとてもありがたかった。どれほど勉強しても、患者さんのことを理解するには、全然足りなくて、至らない自分がとても苦しかった。その上、経験もないし、人付き合いが苦手だったので、自分に自信を持てず、ダメな自分が嫌いで、心を閉ざしがちだった。

勤務先はハードな仕事と対人関係がとても密で心休まる暇はなく、体調がいつもよくなかった。疲れが取れずに仕事に向かう日々だった
心を許せる人もあまりいなかった

でも、神様は今必要な人を巡り合わせてくれる

勤め先の近くで、整体できる歯医者に巡り合えたのは幸運だった
視診、触診、問診だけで、私を診断し、整体してくれる。あのサポートがなければ仕事を続けられなかった
心か体のどちらかが早いうちに破綻していたと思う
虚の体質なので、気力体力とも乏しいし、
すぐいっぱいいっぱいになってイライラしやすい
休みの日はいつも自宅でぐったりしていた。通院するのもしんどく、行かないでいると、
何度も電話してくれて、来なさいと言ってくれた
プライベートで、そんな風に本気で支えてくれたのはその人だけだった。

大切な恩人だ
真心という温かいバトン、次は私が誰かに渡さないと行けない。


私は過保護な両親に育てられ、愛されることは当然だと思って生きてきた。
人を愛することはあまり身につかなかった。
愛されることばかりを求めていた、愛せる人間であれたら、
それだけで癒される人もいたかもしれない大事なものは他者への真心だと思う。


例えば
ある60代男性患者さんのありがとうを思い出す。
入浴のため風呂まで歩こうとされていた。少しふらついていたので転倒されて、頭でもぶつけるのではと思い、
お手荷物を浴室まで運んで差し上げた。たった15mの距離だ。
私としては、事故防止と思い手伝っただけで親切心でもなんでもなかった。

でも、目をうるませてありがとうと言われ驚いた。後で聞くと、最近奥様が亡くなられて、ご自身もがんを発症したと、話された。


他者を思っての行動は、些細なことでも、役に立てることがある。

小さなストレスの積み重ねで病状が悪化することもあるのだから、やっぱり親切な対応をして、その人の心の抱えるものを一つでも、減らして差し上げられたら、いいのだと思う。


ストレスと体の内部の反応は連動するのだから。


相手を思いやり気遣うのは当たり前のように身につけておくべきだと思う。
しかし当時の私はそれが十分でなかった。


仕事と割り切り、心を遮断するのはもったいない事だった。


心を通い合わせるから、幸せになれるし、心も体も軽くなっただろうに。まあ、その分、仕事は増えるだろうけど。



最近、年取ったからか、

駅までの川沿いから眺める、山々の新緑が美しいから
生きていてよかったなと思う。


一時的な多幸感ではなく、当たり前に感謝するような幸福。


こんな幸福感や満ち足りた気持ちは人生で初めてかもしれない。
長かったやっと出口が見えた。


祖母のことも、ミオのことも、忘れるのではなく
苦しくても抱えながらも生きていこうと思った。


人生の一つの転機は祖母が亡くなったこと。
34年を振り返っても一番辛い出来事だ。


祖母が亡くなって8年目にようやく墓石の前で鳴かなくなった。


でも、祖母がいない生きてる意味も感じない 幸せだと感じることがあってもすぐに消え去っていく いつ死んでもいいと思う日の方が多かった。


大切な人を失って生きる意味もなくなった。
そんな時に出会えたのがミオだった。


ミオは愛し方を教えてくれたように思う ミオは喋れないけど、イエスもノーモ、表情で示すし、ちょっと気を遣ってノーをすることもある。嬉しいと屈託なく笑い、もっとと甘えるし、ちょっとそばを離れると、寂しそうに見つめる。


愛情をかけた分だけ、ミオの表現は複雑化していき
見たことのない表情や仕草を見せてくれる。

たまにミオはぐずる。口元まで運んでもご飯を食べたがらない。

そのうち私のこと、好きじゃないのかな、嫌いなのかな、そもそも、私を私だと認識してるのかな、と不安がグルグル回って、20分も立つと、辛くて、もうとてもその場にいられなくて、もう知らない!と言って離れた。

すると、ミオは
大きなショックを受けて身動きが取れないというような、体が硬直し
目が虚になって項垂れていた。
そんな姿は初めて見た。
だから、ミオはちゃんとわかってるんだってことがわかった。
私は試されていた 駄々をこねるのも甘えだった。
本当にごめんなさいと思った。
次の日ミオに会うのが怖かった 完全に嫌われたと思ったから。
どうしよう!ミオに嫌われた!と母に電話で相談したりした。
人を傷つけて後悔して、あんなに泣いたのは初めてだった。


次の日あった。ミオは一瞬動揺していたと思う、でもすぐ微笑んでくれた。

本当にほっとした。
自分はしっかり愛されてるって思えた。
だから、絶対に気づけないようにしようと思った。
掛け替えのないこの人を守ろうと思った。

そんな風に、何度も、心を通わしながら、織り上げた絆はとても強く感じられた。

みおちゃんから、愛し方を教わった、私は次のステップはミオだけでなく
それ以外の人も、愛するとことができるようになると言うことと思う
きっかけをくれたミオ。


一人では気づけなかった、優しい世界を十二分に泳ぎ切りたい。
やっと、本当に住みたかった世界に行ける。そんな気持ち。

新しい自分に出会える。
誰かのために命を燃やせる。
そんな気流が近くを流れていて
あとは乗るだけ。

5月からは、ある人のところでしばらくお世話になろうと思う。
どこか世界と地球と目に見えない何かとの調和を感じる人
面倒見がよく人が大好きな人 多分それだけ寂しがり屋な人
その人のそばにいれば、自分を向こう側の世界に引き上げてくれるそんな感じがする。

母に相談すると、好きなようにしなさいと言ってくれた。
そんな言葉をくれた母に感謝。
外の景色を見つめながら、
私も、いつか誰かの人生の  転換点 を見送りながらそんな言葉を贈る日が来るんだろうなと、ふと、思った。

   

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