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#29 【恋バナ】アラサーだって忘れられない人が1人ぐらいいるわさ

こんにちは
フリーランス2年目。日本最西端にいるご機嫌さんです🐟


齋藤清正についてはこちらから

プロデュースしたラジオはこちらから


ちょっと斬新なタイトルな感じで入るのがマイブーム。

入りは
おちゃらけてるけど、意外と的を得てたり、こいつ真面目なん?
というオチで終わる

そういう記事を書いてたり、書いてなかったり・・・?笑


さて、今日は自称恋愛の赤ペン先生の
僕の過去について触れようと思う。


【熱血】高校はバドミントン部でアオハル


次の3月で26歳になるのでちょうど10年前の話

青森県の工業高校のバドミントン部でまるでジャイアンのような
小さな山の大将して、ブイブイしていた

地域レベルもさほど高いわけでもなく、
単純な練習量で初心者層から脱却した

元々持っていた人に嫌わられる才能を余すことなく、発揮していた僕は
2年生になる

後輩がめちゃくちゃ入ってきた。

先輩は10人足らずで僕らの代で15人くらい
後輩も15~20人くらい入部してきた。

気づいたら、バドミントン部ではプチパンデミックが起きた

まるでプチパンケーキみたいなネーミングをしてしまったが、
2ヶ月もマック行ってないのでそろそろ行きたいですな・・・


ごほん


その中には待望の女性部員もきた

ちなみになぜ待望だったかというと、
同級生に女子が1人だけいたのだが、1人だとダブルス・団体戦に出られないからである。来たらいいなあ、なんて言ってて
蓋を開けたら5人くらい来たので、みんなで喜んだ気がする


はい、察しの良い方はもう気づいてますね。

その後輩の中の1人と
恋に落ちたわけですな。


【馴れ初め】自然と惹かれ合って


なんかオシャな見出しをつけてみたが
10年も前のこと、正直はっきりとは覚えていない。

学生時代の記憶をほとんどデリート済み。
良い思い出もあったと思うが、
それを忘れさせるぐらい、名古屋(高卒後の就職先)が煌びやかで充実していて、典型的な社会人デビューというのをぶちかました。

忘れたかった

というのが本音ではある。


多分、自分から告白をした(はず)

当時はLINE、Twitter、今は亡きmixi(ミクシイ)が主流で
多分いろいろなコンタクトをしていた

彼女は褐色色の肌、綺麗な黒髪ロング、ぱっちり二重で、大人顔負けのグラマラスなボディをしていた。

僕には勿体無いぐらいの外見だったが、
おそらく僕らを引き寄せたのは中身というか、
それまでの背景などで共感する部分が多かったからだと思う。

お互い依存に近い感覚で、
お互いを求めあった


当時のアドレスか何かのPWには記念日を入れてたからか
その日だけはなぜか覚えている。
というか、この記事を書きながら思い出した。


【持ちつ持たれつ】まるで電気ポッドみたい


いっても高校生の恋愛なんて可愛いもんすよ

学校で会ったら話したり
お互いの教室に来たらわーきゃーしたり
テスト期間に一緒に勉強したり
夜中こっそり家を抜けて、手を繋いで散歩したり
七夕の日にセカオワ聞いたり

都会の高校生みたいに
裕福ではないので
(バイトの制限や世帯収入面などで比較的に)

極論、会えたらまじでなんでもいい

十分幸せを感じれちゃう。


付き合ってる日々は毎日イベントのような、お祭りごとのような
そんな感覚でしたよね。

前文にもあるように
依存に近い感覚はあったので
ちょっと揉めたり、喧嘩なんかして好感度ゲージが多少下がっても

スイッチさえ入れちゃえばすぐ沸騰しちゃう


そう、電気ポッドみたいに


【・・・】ありがとう、そして、さようなら

別れは突然来た

僕が三年の秋、
就職先が決まった頃

向こうから告げられた。


今思うとマジで恥ずかしいのが

名古屋行きが決まった瞬間に
『彼女を1人にさせてしまう』という
自分よがりで傲慢な

男性ぽい意見があって

ただ、それを自分からは言い出せなくて
けど、態度には出ちゃってる。みたいな


要はウジウジしてたのである


情けない。
そんな一面も見られて、げんなりしたのかな


この時の経験が教訓で、大人になった今
僕はなるべく言葉での愛情表現をめっちゃ大事にしている。
あと、男女の営みについても自己研鑽もした


その後の詳細は知らないが、
一つ下の後輩と付き合ったみたいで
当時の僕はこれで良かった、と
ぐしゃぐしゃに書いた紙を丸めるように
懐に収めた。


【あとがき】

お久しぶりです。
変わらず、お元気ですか
正直、卒業後は何度も会いたい、と思っていましたが
ずっと踏ん切りがつかず。相変わらず情けない男でいます。

少しだけ、僕のお話をさせてください。

卒業後は約8年、名古屋にいました。

その中で僕は22歳から3年程度バドミントンのコーチを年代・性別問わずしています。
それまでは一度ドロップアウトもしましたが、コーチ職を機に競技復帰。
他、個人事業も含めて、多くのお客様の悩みを小さくするお手伝いをしています。

そして、今は沖縄という地で旅をしています笑

家を転々としながら、有限な命の時間を
誰かの役立つことができたらなと思ってます。


あの頃は本当に楽しかった。
そして、今も楽しい。
会えなくてもいい、とは思っていないけど、
こうやって活動の幅を広げていけば
もしかしたらひょっこりどっかで会うかもね。
そんな、メルヘンなことは起きんか笑

お身体にだけはお気をつけて。



【サポーターの募集】


「日本一のバドミントンコーチになる」
2023年、僕はこの夢を志しました。

3年間バドミントンコーチとして活動を通して"1000"を超えるご縁を頂きました。

バドミントンというスポーツの魅力をより多くの人へ届けたい。スポーツの先にある、幸せを届けたい。

ただ、それを想うだけでなく現実に変えていく。

そのために今以上に文化(モノ、ヒト)に触れ、ビジネススキル(経営やマネジメントなど)を高めていく必要があります。

教育者は自信が体験したことしか伝えることしかできません。より高い視座、多角的な視野を得るべく、僕は沖縄一周旅を始めました。

沖縄という地に縁があったわけではありません。
人脈も土地勘もなく、観光でも訪れたわけでもない。

だからこそ、自分の可能性を広げるにうってつけの場所だと思いました。

どのくらいの期間がかかるかはわかりませんが、この旅路を通して、18歳からの8年間の社会経験をした今の自分を打ち破り、また必ず名古屋へ舞い戻り、生涯をかけてバドミントンを通して人の夢を大きく、悩みを小さくするお手伝いをします。

最後までお読み頂きましてありがとうございました。


この旅路を助けたい、齋藤清正(きよコーチ)を応援したいという方は下記の2つの方法でご支援頂けたら幸いです。

【支援方法】

ご縁①:PayPay送金 ID:goen_kiyomasa
ご縁②:Amazon リスト:https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/36IRVH84FNNVG?ref_=wl_share

【リターン】

※いずれかお選び頂き、ご希望のリターンをインスタグラムのDMもしくは下記アドレスまでお名前と番号をご連絡ください。

①達筆風なポストカード
※住所の記載お願いします
②インスタグラムでの通話
※顔出しの有無はお任せいたします。
③リアル食事会
※旅が終わった後(3ヶ月以内に)日本国内の指定場所へ赴きます。その際の交通費は不要です。
※トータル支援金額が¥30,000を超えたもののみお選びいただけます。

問い合わせ先📩: apareru.kiyomasa.saito@gmail.com

See u soon.

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