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自分の判断というより周囲の受け止め方が気になっている|6/30〜7/6

緊急事態宣言のなかで始めた日々の記録。火曜日から始まる1週間。仕事と生活のあわい。言えることもあれば言えないこともある。リモートワーク中心。そろりと外に出始めた。ほぼ1か月前の出来事を振り返ります。

2020年6月30日(火) 自宅

急に強い雨が降る。不安定な天気。昨日から東京都の「数値を示さない」という新指標がニュースになっている。都知事から今日正式に発表された。
朝からnoteを更新したり、ファイルを作成したり、確認したり、小さな作業を積み重ねる。瀬尾夏美さんから「10年目の手記」でTBCラジオに出たとメッセージをもらう。radikoで聴こうと思ったら、エリア外はプレミアム会員じゃないとアクセスできない。ネット意味なし。
夕方から係会(注:東京アートポイント計画のスタッフの定例ミーティング)。各事業の7月から9月の動きを確認する。この状況下で第2四半期が実質的な動き出しになる。来年度の予算の話も始まってきた。例年よりも、ふたつの年度を重ねながら実践をつくっていくことになりそう。
係会は予定時間を超えて議論が続く。ROOM302のスタジオ化、外壁のデザイン、スタジオで収録や配信するコンテンツ、Tokyo Art Research LabのウェブサイトYouTubeアカウントのありかたなど、分担して進めてきた作業をオーバーラップさせるために話し合う。この分断もリモートの影響なのか。議論は明日に持ち越し。継続審議。
年内延期を模索していた「さいたま国際芸術祭2020」が「安全確保が困難」のため中止との報道(注:後日「祝祭感のあるイベントとしての開催は見送ること」とし、映像配信や感染拡大の対策を講じた「代替策を検討し実施」すること、代替策においても「さいたま国際芸術祭2020」の名称を継続して使用することが公式発表された。参考:「さいたま国際芸術祭2020」今後の方針について、2020年7月10日)。
神奈川県で新規感染者数が31人。そのうち26人が横浜市。トップニュースになる。東京都は54人。特別定額給付金の振込通知が届いた。

2020年7月1日(水) 自宅

今日も荒天。朝から風が強い。Tokyo Art Research Labの全体の動きや予算を眺めながら、STUDIO302から配信するコンテンツを整理する。いろんなYouTubeチャンネルを見て回る。知っているアカウントも自分でつくろうとすると見え方が変わる。つくりかたが見えてくる。
Zoomでミーティング。ROOM302の外壁改修にあたって、チラシの配架場所をどうするかを議論する。これからチラシは増えてくるだろう。外ではなく、部屋のなかに置くのはどうか。当面は不特定多数の人たちが室内を出入りする状況をつくるのは難しいだろう。結論、チラシ置き場は外に必要。要件は決まった。その他の事柄は継続審議。
#artforall_jp(美術への緊急対策要請)が立ち上がった。#SaveTheCinema、#SaveOurSpace、#WeNeedCultureに続く。集うための号令としてのハッシュタグ。
夕方になって、東京都の新規感染者数67人のニュース。宣言解除後の最多数を更新。「菅氏 最悪時は再び緊急宣言も」という見出しが並ぶ。また気分が変わってきた。
ノートPCでZoomを使っていると熱で動きが悪くなるようになった。昨日から放熱のために単行本を1冊、ノートPCの下に置いてみた。角度が、いい感じ。ふと既視感がよぎる。Amazonで検索をして、ノートPC用のスタンドを注文する。世の中、思いつくものは大抵発明されている。引き続き、在宅勤務の環境強化に努める。

2020年7月2日(木) 府中→秋葉原

今朝未明、東京の空に火球が飛んだらしい。この前は仙台や福島で気象観測機らしきものが飛んでいた。朝から府中に移動し、ACF(Artist Collective Fuchu)の打合せへ。初めてのメンバーもいるので、対面で行うことになった。実際に顔を合わせる打合せは、ひさしぶり。椅子と椅子の間を空けて座る。広々として、心なしか議論も風通しがいい。イタリアの生活が長い宮山香里さんが、この状況下でヨーロッパの人たちは「何もしない」という時間の過ごしかたが上手いという話をしていた。たしかに、この間に何度も繰り返してきた「何ができるか」という問いかけは、そもそも、何もしないことがあってもいいという前提が抜けているのかもしれない。打合せの終わりに東京都の新規感染者数が100人以上になるというニュースを見かける。当然といえば当然のような気がするけれど、まだそこまではいかないと、どこかで思っていた。
秋葉原に移動。3331 Arts ChiyodaのROOM302へ。3331の入口で個人情報や滞在時間を紙に書いて、大きな賽銭箱のような箱に入れる。アートプロジェクトのアーカイブに関する実態やニーズに関するアンケートと動画コンテンツを検討する。
終了後、間を置かずに次の打合せを行う。『Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021』に掲載する原稿の進め方を議論する。これまで書いてきた原稿の前提や構成、書きぶりを細かくチェックする。書くべき角度はわかった。あとは、これまで書いてきたものを、いったん忘れて書くしかない。「がんばります」と何度も言う。書くしかない…。
東京都の新規感染者数は107人だった。都知事は緊急会見で「感染拡大要警戒」と「“夜の街” 要注意」のフリップを掲げていた。明日から、どうなるだろうか。

2020年7月3日(金) 市ヶ谷→自宅

朝から出社。先月の旅費の申請内容を修正をする。次年度以降の新たな動きをつくるための構想ミーティング。初めてアーツカウンシル東京で契約したZoomのアカウントを使う。自分でZoomのミーティングを立ち上げるのは無料アカウントが40分以上でギフトがもらえて、延長が出来た時代以来。あたふたする。人間の本質を問うような企画を柔らかなネーミングで。ミーティングは難題で終わる。
呼吸なんじゃないか。午前のオフィス業務を終えて、在宅勤務に向かう電車のなかで思い浮かぶ。オンラインで足りないもの。声だけでは伝わらないもの。対面で間合いを生み出していたもの。物事と物事のしっくりいく関係の比喩としての呼吸ではなく、人間の生存維持活動のひとつとしての呼吸。
人はしゃべり出すとき、まず息を吸う。そのタイミングを見計らって言葉を発すれば相手より先に話すことができる。ディベートの極意か、アナウンサーの技術か、どっちか忘れてしまったけれど、そんな話を聞いたことがあった。よっぽど自覚的にならないと、目の前の相手が息を吸うことに気を払うことはない。でも、対面でコミュニケーションをするとき、私たちはそんな些細な挙動から何かを感知しているではないだろうか。見ているけど見えていないもの。聞いているけど聞こえていないもの。発しているつもりがないけど発せられているもの。実は、そういうものが人の物事の認知を支えているのではないだろうか。それは世界の捉え方も同じかもしれない。オンライン生活で抱えた違和感の尻尾を掴む。呼吸から考え始めたのは『鬼滅の刃』のアニメをイッキ見した効果。それは、はっきりしている。
東京都の新規感染者数は127人。全国で250人。5月3日以来の200人超え。宣言解除後の最多数。北海道では4月6日以来の新規感染者0人。各地の数字が蠢(うごめ)くように変化する。

2020年7月4日(土) 自宅

「少しでも命の助かる可能性の高い行動を」。朝から大雨警戒のニュースが流れている。熊本では球磨(くま)川が氾濫。初めて聞いた川の名前だった。どこかで災害が起こるたびに、新たな土地の名前を知ることが多い。2019年の台風で氾濫した千曲(ちくま)川。2018年の北海道胆振(いぶり)東部地震。名前にルビを振らないと読めない。それは、そのまま自分と、その土地の間にある距離を意味するのだろう。名前を知るだけで行ったこともない場所が、自分のなかで、少しだけ実体化する。
東京都の新規感染者数は131人。「都知事 他県への移動は遠慮を」。次は「遠慮」。人の行動に働きかける言葉のグラデーション表がつくれそうになってきた。

2020年7月5日(日) 自宅

夕方の時点で熊本の豪雨は死者18人、心肺停止16人、行方不明14人。午前は球磨という地名があったが、熊本豪雨という呼称も目にするようになった。大雨が続く可能性が、まだある。洪水で流される家、学校のグラウンドにSOSの文字、倒壊した家屋のなかにいる家族の救助を呼びかけるSNSでの声。緊急時の「イメージ」が目の前を流れていく。慣れてはいけない。そう思いつつも、どうしても既視感が拭い去れない。同じ光景を、繰り返し起こる災害で何度も目にしてきた。でも、本当はひとつとして同じものはない。
亡くなる人の数字が大きくなれば災害の規模は大きくなる。球磨川の氾濫から熊本県の豪雨へ。地名の範囲が広くなる。そうなることで大規模な災害として記憶すべきものになっていく。それと同時に細部への想像力は及びづらくなるのかもしれない。
「違う場所に住んでいる人たちが、たまたま同じ場所に居合わせただけで、そこから同じ時間が流れることになった」。少し前に釜石の@リアス(NPO法人@リアスNPOサポートセンター)の川原さんが話していたことを急に思い出す。東日本大震災が起こったとき、川原さんは釜石市の病院にいた。医者、患者、その家族や地域の人たちだけでなく、そこには新潟からセミナー講師に来ていた先生なんかもいた。異なる土地で、ばらばらの生活を送っていた人たちが「たまたま」同じ場所で、同じ経験をしたことで、時計の針を合わせたように震災後の時間が同じように始まってしまった。なんで、この話を思い出したのか。なぜ、この言葉がずっと引っかかっているか。いまはわからない。でも、何か大事なことが含まれている気がする。
Twitterでは「#都知事選を史上最大の投票率にしよう」のハッシュタグが流れている。東京都の新規感染者数は111人。カニエ・ウエストが今年の大統領選出馬をツイートしたらしい。小池都知事の再選確定。

2020年7月6日(月) 自宅

こどもが昨夜発熱する。週末に鼻づまりと鼻水がひどく、咳が出て、がらがら声になっていた。のどが痛いと言っていた。今朝は熱が下がって、元気に見えるけれど、咳が悪化している。今日は朝から東京アートポイント計画のスタッフのポートレート撮影があったけれど、看護休暇を取得する。この状況下で義父母に預けることも難しい。
出社するかどうかを昨夜から悩む。いつもの風邪のように思える。けれど確証はない。もし、後から感染がわかったことの影響の大きさを考える。そうだとは思っていない。でも、そうだったときのことを考えてしまう。「のどに違和感などある人は県をまたぐ移動を控えて」と経済再生担当大臣は言ったのだという。その言葉が頭をよぎる。そんなニュースが流れるご時世が気になる。結局のところ、自分の判断というより周囲の受け止め方が気になっているのだと思う。仕事の予定がある。変更をせねばならない。いまの空気だと、休みの判断が状況的に当然のように思える一方で、仕事を優先すべきだという感覚もある。揺れる。
どれだけの人たちが、同じように悩み、そして自らの置かれている状態を「言わない」のだろうかと思う。言わないでおこう。言うことができない。ましてや、感染した人たちはどうなってしまうのだろうか。
病院の予約をする。「のどがはれているから風邪ですね」。診断は一瞬で終わる。それを聞いただけで変わる気分。咳は続いている。明日の保育園は無理だろう。
東京都の新規感染者数は102人。熊本豪雨は激甚災害に指定される方向。死者25人、心肺停止16人、行方不明11人。九州南部の異なる地名とともに大雨のニュースが続く。
「フェスティバル/トーキョー20」の開催が決定。10月16日から31日間。テーマは「想像力どこへ行く?」。この日記を書き始めた頃にフェスティバル/トーキョー20のディレクターの長島確さんの『アトレウス家の建て方』を読んでいたことを思い出す。その「あとがき」も想像力の話だった

(つづく)

Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021「2020年リレー日記」が始まりました。noteの日記は、この企画のテスト版として始めたのがきっかけでした。6月分の書き手は、是恒さくらさん(美術家)→萩原雄太さん(演出家)→岩根愛さん(写真家)→中崎透さん(美術家)→高橋瑞木さん(キュレーター)です。ぜひ、以下のリンク先からお読みください!



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