花はどこへ行った?|4/21〜4/27
新型コロナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。
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花はどこへ行った?|4/21〜4/27

緊急事態宣言のなかで始めた日々の記録。火曜日から始まる1週間。ステイホームのリモートワーク。仕事と生活のあわい。言えることもあれば言えないこともある。ほぼ1か月前の出来事を振り返ります。

2020年4月21日(火) 自宅

終日在宅勤務。小金井アートフル・アクション!の宮下(美穂 )さんからメールの返信。昨日「在宅が続き、小学校も保育園もなく、なかなかサラエボ感が高まってまいりました」と書いて送ったら、件名が「花はどこへ行った、ですね」と返信。ピーター・ポール&マリーのYouTubeリンク付き。2週間前の打合せで宮下さんの「いま『サラエボ旅行案内』のようなものをつくるときかもしれない」と言っていたことが念頭にあったけれど、反戦歌で返されるとは。
太下(義之)さんの提言がFacebookで流れてきた。重要な指摘。

現状で、文化団体が国や地方自治体等から受けているさまざまな支援は、概ね「助成金」です。これらの助成金の補助率は50%が上限であるケースが多いようです。逆に言えば、残りの50%にいては、自己資金で調達することが求められています。そして、文化団体はこうした助成の形態に対応するため、公演や事業におけるチケット代金や入場料等で、この自己資金分を回収するという事業モデルを構築してきました。しかし、現下のようにそもそも公演等が実施出来ない状況においては、もはやこの事業モデルは成立しません。すなわち、文化団体の支援に関しても、従来とは全く異なる資金の提供方法が必要だと考えます。このことは、今後コロナの影響が軽微となる「コロナ後」の文化政策においても同様にあてはまります。
「新型コロナウィルスに向き合う文化政策の提言」

ZoomでASTT(Art Support Tohoku-Tokyo)のウェブサイトとFIELD RECORDING 5号の企画会議。誌面企画のテストケースとして日記を書くことになる。

2020年4月22日(水) 自宅

朝からASTTの今年度の動きを整理する。家のなかのストレスが、かなり高い。いま手掛けていることを、できるだけ早く進めたい。そうは思いつつも、身体が追いつかない。
夕方からオンラインで係会(注:東京アートポイント計画スタッフの定例会)。文化庁より厚労省の対応になる前に動き出さないといけない。そう勢いでしゃべりながら、厚労省「生活を支えるための支援のご案内」がFacebookでシェアされていたことが頭をよぎる。
コロナの渦中で、どう記録をとるのか。文章を書くのは難しい。写真に撮るものがない。SNSも、しばらく更新していない。ふとコミュニケーションツールに残せるかもしれないと思う。在宅に切り替えてから、日々の業務に細かいコミュニケーションが多いことに気がついた。Slack、メッセンジャー、メール…。ふだん口頭でやりとりするようなことが文字になる。何人かとメールするときに、あえて現状認識を多めに書くようにしていたけれど、それがいけるかもしれない。

2020年4月23日(木) 自宅

昔から日記が苦手だった。かつて「継続は力なり」と書いて、その後が空白の日記帳を見つけて愕然としたことがあった。今回は三日坊主にはならないはず。
最近にしては珍しくオンラインミーティングがなかった。TARL(Tokyo Art Research Lab)の企画づくりの参考に長島確さんの『アトレウス家の建て方』を読み返す。震災前後に上演予定だった墨田区在住アトレウス家、そのメンバーに宛てたメール、震災へのリアクションとしての豊島区在住アトレウス家…。
震災後の記述に「ゴドーを待ちながら」が出てこないかを探す。なぜ、危機的な状況で「ゴドーを待ちながら」が上演されるのか。いつか考えてみたいと思っていた。いまがそのタイミングかもしれない。そう思って、数日前にソンタグの「サラエボでゴドーを待ちながら」を読んだ。そしたら、かもめマシーンの萩原(雄太)さんが2011年の「福島でゴドーを待ちながら」をnoteで公開していた。長島さんはベケットの翻訳者。何かあるのではないかと思ったが、なにも見当たらなかった(おそらく…)。
本の終わりでは「想像力を働かせることの重要さ」に触れられていた。「いまあるものにたいする想像力」。「いま目の前にあるもの。いま遠くにあるもの。いまあるものの向こうにあるもの。いまあるものの前にあったものや、いまあるものの後にあるもの」。
2月に発刊したFIELD RECORDING 3号4号で浮かび上がってきたものと重なった。震災から10年目。いま想像力が向き合うべきトピックなのだと思っていた。たいして真新しいことではない。気になっているから目がとまるのかもしれない。でも、いまも、すべてここに修練されていくように感じている。

2020年4月24日(金) 自宅

朝からオンラインミーティングをひとつ。短い昼をはさんで、すぐに2本目。どちらも終了時に次回の予定を決める。カレンダーはオンラインミーティングで埋まっている。午後は休み。数日ぶりに外出する。といっても、近所のコンビニまで。
この1年で自宅の本の数を減らしてきた。読みたい本があれば、まずは図書館のウェブサイトで蔵書を調べて、予約する。話題の新刊は電子書籍で読むことも増えた。本との付き合い方を変えてきた。でも、いま図書館は閉まっている。なくなったらどうしようなんて考えたこともなかった。ミーティングで書名が出るたびに、小さな不都合を感じる。ものを考える道具が足りない。ホームセンターに本はない。
ダンボール4箱分。数日前に買取を依頼した古書店からは、すぐに返信が来た。「買取大歓迎です。主な仕入れ先だった市場も封鎖中なので、とても助かります」。

2020年4月25日(土) 自宅

「緊急宣言 解除地域ごとに判断か」。Yahooのトップニュースの文字を見て、福島のことを思い出す。この状況は震災後の福島のようだ。立場が逆転している。東京が渦中になるとは。何度かそんな会話をした。実際にはいろんなことが違う。けれども、どう言葉にすればいいか分からない状況に対しては、過去の出来事の言葉を使って語り出すことしかできない。コロナの影響が出始めた頃に、戦時中のようだと思ったことがあった。「ようだ」で言おうとしていることを見定める必要があるのだろう。

見えない戦争状態。それは平時と対立するのではなく、いつもそこ/ここにある。日常のなかに、じつはある。今回、とつぜんよく見えるようになったけど。『アトレウス家の建て方』

近所のホームセンターに乾電池を買いにいく。入店は代表者1名でお願いします。買い物は30分以内でお願いします。レジでは距離をとってください。入口に案内。店内アナウンスも流れる。数分自転車に乗っただけなのに、足が少しわなわなする。これはまずい。

2020年4月26日(日) 自宅

晴れているけど風が強い。電子書籍で村上春樹『猫を棄てる』を読む。夕方にZoomを1件。無料アカウントだと40分で切れる。少し前まではギフトで継続できた。いよいよ、有料へ移行せよという意味なのか。ネットの回線が安定しない。
新たな企画について仙台のメンバーと打合せ。ネーミングやソーシャル・ディスタンスを踏まえた新しい装置づくりなどアイディアを交わす。17時を過ぎて流れる非常事態宣言のアナウンスをZoom越しに聞いてもらう。数日前から夕方だけでなく朝にも流れるようになった。

2020年4月27日(月) 自宅

いまは「祈り」がないのだという。祈りとは具体的な誰かではない他者を想定することなのではないだろうか。家にこもり、誰にも会わない。それは会いたい人に会えないだけではない。いまだ出会ったことのない人に出会う機会を失っていることでもある。
信仰のある人にとって、信仰のない人はこわい。という話を大学の頃だったか聞いたことを思い出す。信仰とは自分のなかに常に他者をもつことなのだと思う。自らの判断を誰かに委ねることとは違う。冷たい雨が降っていた。

(つづく)

多謝!
アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー。東京アートポイント計画、Tokyo Art Research Lab、Art Support Tohoku-Tokyo(-2020)を担当。近刊は『震災後、地図を片手に歩きはじめる』(アーツカウンシル東京、2021年)。足しびれがち。