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議論の潮目が変わるタイミングなのだろう|7/14〜7/20

緊急事態宣言のなかで始めた日々の記録。火曜日から始まる1週間。仕事と生活のあわい。言えることもあれば言えないこともある。リモートワーク中心。そろりと外に出始めた。ほぼ1か月前の出来事を振り返ります。

2020年7月14日(火) 自宅

早朝に目が覚める。外は雨。令和2年7月豪雨が「特定非常災害」に指定される。阪神・淡路大震災(1995年)、新潟県中越地震(2004年)、東日本大震災(2011年)、熊本地震(2016年)、西日本豪雨(2018年)、令和元年台風第19号(2019年)に続く7例目。ここ数年に指定される災害の発生スパンが短い。令和2年7月豪雨は死者73名、行方不明者10名。国内各地が大雨になっていてニュースを追いきれない。
新宿の舞台公演で発生したクラスターではスタッフと参加者の850人が濃厚接触者となった。舞台公演に限らず「再開」した活動への影響は大きいだろう。全国小劇場ネットワークは13日夜に臨時ミーティングを開催。クラウドファンディングの活動レポートがメールで届く。

依然状況が変化する中にありますので、推移を注視し、情報収集に努めながら今後の対応を検討していきたいと考えています。私どもの加盟劇場ではない場所での出来事ではありますが、広く同朋として、私どもに起こった事と捉えて誠実に向き合いたいと思います。

終日細々とした作業を重ねる。夜は「ラジオ下神白」のミーティングをZoomで。何気に定例化している。この間のやりとりでアサダワタルさんが『ワンダフルライフ』を何度か引き合いに出していたので、事前に観ておく。是枝裕和監督の1999年の映画作品。死後7日間に人生でひとつだけ「あちら」へもっていきたい記憶を決めて、映画を撮るという場所で起こる話。ラジオ下神白は下神白団地という復興公営住宅の住民の人たち、一人ひとりの人生を思い出の音楽を入口にたどってきた。この状況下で地域外のメンバーの現地訪問が難しいため、代わりにミュージックビデオのようなものをつくる案がアサダさんから出ていた。確かに、この映画は、その話と重なってくる。にしても、死を扱っている映画であることが生々しい。あるとき、プロジェクトのメンバー内で、ラジオ下神白は時間が経つほどに「声の記録」として意味が出てくるのではないかという話になったことがあった。原発事故で避難してきた人たちが、ここ(いわき市)にいた。記録として、一人ひとりの声に触れることは、それぞれの固有の生を、時間を超えて喚起させることになるだろう、と。そうした「先」を想像することは、いま向き合っている一人ひとりの生の終わりを考えることでもあった。はっきりとは口にしない。けれど、関わっている誰もが、その終わりを意識している。この状況下で、なおのこと、その意識が高まっているように思う。
一度は兆しが見えた団地訪問の再開も、首都圏の感染者数増加を考慮し、当面の訪問は難しいという判断になる。団地の自治会長さんからも首都圏からの訪問は控えてほしいと言われている。東京から通うアサダさんや仙台から映像を撮りにいっていた小森はるかさんは訪問を控える。いわき市在住の一般社団法人Tecoのメンバーが通うことに頼る。
陽性になった人たちが、自ら暮らしている土地を離れたという話をきく。ひとつの場所ではない。異なる土地で同じことが起こっている。本当に凄惨な出来事なのだと思う。東京都の新規感染者数は143人だった。

2020年7月15日(水) 自宅

新宿の劇場で生じたクラスター。国内各地から訪れていた観客によって、地域を越えて感染が拡大している。テレビのニュースには日本地図が現れる。東京から矢印が伸びて、感染者が出た地域が色塗りされている。昨夜聞いた陽性になった人の行く末を思い出す。「こんなときに東京に、しかも舞台公演なんかに行ってきて…」なんて言われているのだろうか。朝から、何ともいえないやるせなさに苛まれる。
東京都は4段階の警戒レベルを最大の「感染が拡大していると思われる」に引き上げた。昨日までは「感染が拡大しつつあると思われる」だったらしい。知らなかった。国のGo Toに対して、SNS、野党、医師会、各地の知事から見直しや批判の声があがっている。政府は予定通り開始の方針。都知事「(Go Toを)改めてよくお考えをいただきたい」。議論は錯綜していると思われる。東京都の新規感染者数は165人。全国では455人、緊急事態宣言解除後最多を記録する。

2020年7月16日(木) 府中→市ヶ谷

朝から府中へ。ACF(Artist Collective Fuchu)の打合せ。今月は毎週集まって、一気に企画を練っている。それぞれにやりたいことやそれに見合った事例を出し合い、イメージを共有する。少しずつ具体的な実践を取りまとめていく。でも、落としこみ過ぎると「構想」の幅が狭まってくる。次回は、もう一度、理念に立ち返ってみることになる。ささやかな寄り道の会話も議論に厚みを与える。昼を挟んで、計5時間。対面だからかけられる(かけるべき)時間だった。と思うけれど、さすがに疲れる。移動しながら、在宅生活での体力低下をひしひしと感じる。今更ながら。動かないと。
東京の新規感染者数は286人で最多数を更新。全国では613人。Go toは東京発着を対象から除外することになった。電車で会話をしていると周りの目が気になる。マスクは当然の風景になった。手袋の人がいても、さほど違和感はない。混んだ車内で対人距離を気にしている人がいる。いやな雰囲気。自分の心持ちも影響してはいるのだろう。ウイルスよりも人が怖い。感染拡大の初期の頃にもった感覚を急に思い出す。
小劇場エイド基金のクラウドファンディングのページからアップデートのお知らせが届く。新宿の舞台公演でクラスターが発生した劇場は小劇場エイド基金に参加していた。

今回の件で、“演劇”“劇場”という言葉が“コロナ”“クラスター”と結びついて
連日報道されることで、演劇界全般に向けられる目が厳しくなり
多大な影響を及ぼしていること、
小劇場への支援を広く社会に訴えた私たちとしても、
重く受け止めなくてはならないと認識しております。

危機は連帯を生み出す。この状況下で、いくつものクラウドファンディングが、そうした連帯を支えてきた。それはひとつのコミュニティ(分野? 業界?)を可視化する機能も担った。それによって個別の危機は、共通の危機にもなる(それをリスクとは言いたくない)。
全国小劇場ネットワークは「同朋」と語り、小劇場エイド基金は「演劇界全般」をいう言葉を使っていた。いまは、こうした「私たち」という社会の中間領域(もしくは社会の定義そのもの)をつくりなおすタイミングなのかもしれない。昨年のあいちトリエンナーレの出来事が頭をよぎる。

2020年7月17日(金) 市ヶ谷→秋葉原

朝から雨が降っている。午前中はオフィスでひたすら昨年度の事業報告書の校正。アーツカウンシル東京の事業全体の実績を掲載する年次報告書だ。年度が切り替わった後の恒例行事だけど、昨年度が例年よりも遠く感じられる。事業風景を記録した写真には、人が集まっているものが多い。この状況下で、すっかり人が映る映像の見え方が変わってしまった。
午後は東京アートポイント計画のスタッフを中心にnoteの振り返り会。ROOM302のスタジオと遠隔のメンバーをZoomでつなぐ。終了後に会場のモニターを使って公開前のTokyo Art Research Lab「東京プロジェクトスタディ」の紹介動画を眺める。何人かが集まって話をしているシーンがある。ここでも、その映像の見え方が議論になる。

ROOM302に残って上地里佳さんと事業の進捗共有や直近で取り組まねばならないことを議論する。この1ヶ月でやることは山積みだ。話の流れで、Tokyo Art Research LabのYouTubeチャンネルを上地さんに整備してもらう。これからの活動にとって重要なプラットフォームになる。まずはチャンネルのカスタムURLの発行が可能になるチャンネル登録者数100人を目指す。
東京の新規感染者数は293人。連日の最多数更新。神奈川県は43人。「神奈川警戒アラート」が発動。いろんなところでアラートが鳴っている。ひどく疲れた。

2020年7月18日(土) 自宅→秋葉原

朝からぱっとしない天気。雨が降って、曇りになる。ぼんやりとパソコンに向かう。夕方に3331 Arts Chiyodaへ。スマホにダウンロードしていた海外ドラマ『アップロード〜デジタルなあの世へようこそ』を移動中に見終える。『ワンダフルライフ』の印象が尾を引いていて「死後」がテーマなことから、なんとなく選んで見始めた。舞台は少し先の未来。オンライン上に(自らの意思で)意識を転送し、アバターで死後を生きる(その人たちを「Upload(アップロード)」と呼ぶ)。そこでは余生を過ごすリゾート地のように、お金がかかる。そもそも、現実世界のデジタル化(スクリーン化)も進んでいる。腕時計型のモバイルフォンは、親指と人差し指を開くとスクリーンが現れる。車は自動運転。でも、アップロードから現実の肉体へ「ダウンロード」の技術は、まだない。死後を生きるアップロードと生きている人間との間にある葛藤は、いまのオンライン生活の人と人との距離と重なってくる。SFが描く世界と現実の距離が近い。それだけに飛躍した議論がしづらい感もある。
瀬尾夏美さん、小森はるかさん、小屋竜平さん、八木まどかさん。2年前の東京プロジェクトスタディ(のスタディ4)に集ったメンバーにSTUDIO302の機能を紹介する。スタディ4から生まれた「かたつむり」で何かできないものか、と。それぞれに近況を共有する。この間に何があったか。思い出しながら話すけれど、互いに、ここ数ヶ月の社会的な出来事をだいぶ忘れている。記憶を埋め合うように話す。いま個々人が、ここまでの経験を振り返って「書くこと」が大事なのかもしれない。瀬尾さんに「東京スーダラ2019」の続編のことを聞きながら、そんな話題になる。
東京都の新規感染者数は290人。国が8月1日からのイベントでの人数制限緩和を見直すという話が出てきた。いよいよ、今年のお盆の帰省は難しいだろうと思う。今週は「帰ってくるな(帰ってこないほうがいい)」と言われた人の話を複数聞いた。

2020年7月19日(日) 自宅

非の打ちどころがない快晴。多摩川沿いで虫とりをする。土手の草むらにはショウリョウバッタが、わんさかいる。ごくまれにイナゴが現れる。トノサマバッタには出会えなかった。ほかにも虫取りアミとカゴを携えた家族連れや小学生がぱらぱらといる。日に焼ける。
川沿いには丘のような茂みがあった。花が咲き、のびのびと草が生えている。土肌は見えないが、昨年の台風で土が積まれた場所だった。圧倒的な自然の猛威に触れた後に、人間の力で整地された地面は、再び旺盛な自然の力に侵食されていく。震災の後に積まれた瓦礫に、あっという間に草が生えていった様子や、福島で除染土を詰め込んだフレコンバックの山を突き破るように繁茂していた緑を思い出す。
東京都の新規感染者数は188人。大阪の感染者数の増加が話題になっている。大阪府の新規感染者数、昨日は86人、今日は89人だった。

2020年7月20日(月) 自宅

暑い。朝から事業報告書の校正に格闘する。午後は1ヶ月ぶりのジムジム会500年のcommonを考えるプロジェクト「YATO」東京で(国)境をこえるTERATOTERAが実践を共有する。この状況下で、どう動くか。その議論を続けるなかで、実は平時と役割は変わらず「日常の流れにリズムを刻んでいくプロジェクト」なのだと思ったというYATOの荒生真生さんの言葉が印象に残った。国境がFacebook秘密のグループにメンバーが順番に映像をアップする「自撮り日記」も面白かった。
ブレイクアウトルームで少人数のディスカッション。「オフラインでの繋がりかた」のグループに配備される。そもそも、オンラインとオフラインという区分は、どうなのだろうか。オンラインに飽きてきた。オンラインコミュニケーションが続くことでオフラインのコミュニケーションも変化したのではないだろうか。オンラインとオフライン。そのことばかりが議論されている。そろそろ、問いを変えていったほうがいいのではないか。ブレイクアウトルームでも全体の振り返りでも同じような声があがる。議論の潮目が変わるタイミングなのだろう。
新型コロナウイルスの死者数が国内で1000人を超えた。70代以上が8割を占める。「コロナ「自粛」で祈り、供養の機会「増えた」 日本香堂調査「大切な故人、心の拠りどころに」」という記事を見かける。

新型コロナウイルスの感染拡大防止で続いた自粛期間中、親族など身近な故人への祈り、願いごとをする人が増えていることが「日本香堂」の調査で明らかになった。同社は「『社会的距離』を埋め合わすかのように、『心の距離』が緊密化しているのではないか」とみている。
(中略)
祈りや供養の機会が増えたと答えた人の約8割は「今後も維持・継続したい」としており、コロナ禍で先祖との「絆」を求める指向が高まっていることも明らかになった。

震災の後にあった「絆」は「がんばろう」と結び付いていた。生者のための言葉だった。この「絆」は先祖という死者との関係だ。でも、先祖は生と死や時間的な隔たりがあるとしても関係は近い。いま、このときに生き、亡くなっていく人がいる。その遠さを埋めるものとしての祈りはありうるのだろうか。自らが、近しい人が当事者になる。それ以外の方法で、他者への想像力を働かせるための祈り。

(つづく)

noteの日記は、Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021「2020年リレー日記」のテスト版として始めたのがきっかけでした。6月の書き手は、是恒さくらさん(美術家)→萩原雄太さん(演出家)→岩根愛さん(写真家)→中崎透さん(美術家)→高橋瑞木さん(キュレーター)。以下のリンク先からお読みいただけます!
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