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やっぱり適度に遠出はしたい|9/15〜9/21

緊急事態宣言のなかで始めた日々の記録。火曜日から始まる1週間。仕事と生活のあわい。言えることもあれば言えないこともある。リモートワーク中心。出掛けることが増えてきた。ほぼ1か月前の出来事を振り返ります。

2020年9月15日(火) 市ヶ谷→自宅

市ヶ谷のオフィスに出社。仙台出張の手続きを確認する。問題なく行けそうだけど、組織的には遠方出張は2月から変わらず「なるべく控える」の方針が維持されている。今年度のアーツカウンシル東京の遠方出張は、これで2例目になるらしい。
夕方から在宅に移行。Google Meetでヒアリングをひとつ。横断や連携は必要だ。ほしいものから逆算すると必然的にいまある施設やサービスに分化している機能を横断的に利用することになる。そもそも生活の需要は複合的なのに、供給側は機能分化が進んでいる。すでに分化した状態で時が経っているものを統合化するのは、それぞれの担い手の心情的にも困難だろう。各々の仕事に矜持だってある。機能分化なのか、専門化なのか。必ずしも横断や連携がよいわけではない。節合(articulation)という言葉を思い浮かべる。分化した複数の主体にかかわり、横断的に動くプレイヤーが、もっと必要なのかもしれないと思う。正確には複数の主体が「結果的に」かかわる(かかわらざるをえない)実践をつくるプレイヤーというか。
公的な資金を使うから公共的なのではなく、公共的な動きをするから公的な資金が必要になる。でも、公的な資金があるから公共的なことが出来ないという地点から考えておくことも、一度必要なのかもしれない。「自助」や「共助」という路線ではないものとして。

2020年9月16日(水) 市ヶ谷→自宅

急に過ごしやすくなった。今日も朝から涼しい。この調子で秋になっていくのだろうか。台風も鳴りを潜めている。出社しようと駅に行くと、朝の人身事故の影響で電車が混んでいる。かつての満員電車ほどではないけれど密。みんながマスクをしている。電車に乗る日が増えるほどに、あまり気にならなくなってきた。夕方から在宅に移行。
この頃、仕事をしているとシューティングゲームをしているような気持ちになる。ファミコンのグラディウスでコナミコマンドをいれた後のイメージが近い(この比喩は、ほとんど伝わらないんだろうなとも思う)。いくつもの小さな打ち返しをし続ける。どれくらいひとつのことに集中する時間をつくれるか。そのことばかりを考えている。
東京都の新規感染者数は163人。菅内閣が発足、第99代首相に選出。

2020年9月17日(木) 国立→多摩センター

朝から南武線に乗ると、乗客がきれいに1席ずつ空けて座っている。その間には座りづらい。でも、ひとりが間に座り、均衡が崩れると、雪崩を打ったように席が埋まる。
谷保駅で降りる。路線図を見ていて、ACF(Artist Collective Fuchu)のミーティングでよく使う府中本町駅から3駅先なのだと気がつく。さらに谷保駅から3駅先は立川駅。府中―国立―立川と多摩のなかで、それぞれ立ったイメージをもっていた場所が南武線だと地続きにつながっていく。多摩を中央線から捉えるイメージに引っ張られすぎていた。
国立の後は多摩センターに移動。多摩美術大学美術館「真喜志勉 TOM MAX Turbulence 1941-2015」展へ。社会的な出来事も、ひとりの人生に重ね合わせると、その意味が違って見えてくる。年表を見ていると、真喜志さんにとって生まれたときは戦争で、30歳の1972年に沖縄県は本土に「復帰」する。長いなぁと思う。作品に描かれたものにはアメリカのイメージが多い。それは沖縄とアメリカ、そして日本の社会的な関係が現れていると同時にその時代をいきた人の身体に染み付いた表現であるということをまざまざと感じる。展覧会を担当した学芸員の関川歩さんと話をする。関川さんが事務局長を務めるArt Bridge Instituteは2014年〜2016年度に東京アートポイント計画で共催していた。そこでの議論から地続きような展覧会だった。こういう続き方に触れるのは、うれしい。

2020年9月18日(金) 市ヶ谷

ひさびさに終日オフィスで働く。淡々とした処理と打ち返しで一日が終わる。東京都の新規感染者数は6日ぶりに200人超えの220人。菅内閣の基本方針では「震災復興」と「原発事故」への言及が消える。「いいのか 無かったことにされちまうぞ」 詩人の和合亮一さんのツイートが目に付く。あの震災後のひりひりしたTwitterの感覚を思い出す。震災から10年といっても、肌感覚の節目になるわけではない。すでに節目は訪れているし、体感の変化とカレンダーの時間の刻み方は違う。という「10年目」を声高にすることの違和感を話すとき、どこかで前提として10年目をキャンペーン化する催しが世の中に溢れることを意識していたような気がする。どうやら、それがあまりない。この状況下でイベントがしづらいこともある。意識的に、もう少し声を出していく必要があるのかもしれない。そうしないと、さらに時間が経ったときに、ないものになってしまう。そんな予感がする。

2020年9月19日(土) 仙台

ひさしぶりの遠方出張。東京駅は連休初日で家族連れや大きな荷物をもった旅行客で混んでいる。新幹線の席も埋まっている。車内では換気を徹底していることのお知らせ、乗客にマスク着用のアナウンスが流れる。
仙台駅に降り立つ。数ヶ月ぶり。涼しい。呼吸がしやすい(のは心理的なこともあるのだろうか)。東北アートとリサーチセンター(TRAC)で、瀬尾夏美さん桃生和成さん小森はるかさん、佐竹真紀子さんと「10年目をきくラジオ モノノーク」「10年目の手記」の今後の進行を確認する。年度のカレンダーを書き出して、具体的な名前に落とし込む。その場でゲストに連絡をする。どんどん決めていく。「世界の今日」のゲストだけ決まりきらなかった。その合間にいろんな話をする。対面の醍醐味。
この頃、次の10年のことを、よく考える。震災を起点とした、これまでの10年があった。これからの10年には何が必要か、と。昨日から考えていた「10年目」と向き合う態度と結びついてくる。思ったよりも社会的な無関心や忘却が進んでいるのだとして、さらに10年が経ったとき、震災が「世代」の話になっていたら嫌だなと思う。20年目の地点で語られる、コロナ以前の震災を体験した世代のこと。少し時間が経ったときの経験の継承の重要性はここにあるような気がしてきた。出来事の細部を知ることは、そこから見えた風景の描写には必要。だけど、そこで獲得した経験を語ることは、実はその出来事そのものを語るだけではないのだと思う。ややこしい。体験の有無にかかわらず震災の経験を語れるようにすること。震災直後から何度も語られたアーカイブの意義が、ベースとして改めて大事になってきたのだと思う。
帰りの新幹線は空いていた。オンラインとは違った心地よい疲れ。やっぱり適度に遠出はしたい。

2020年9月20日(日) 自宅

静かに過ごす。日中はパソコンの画面に向かい続ける。

2020年9月21日(月・祝) 恵比寿

東京都写真美術館「あしたのひかり 日本の新進作家 vol.17」へ。展示の入り口に入ってすぐの岩根愛さんの写真が眩しい。宵の桜を捉えた心地よい光を浴びる。予定していた展示からの転換は「2020年リレー日記」で読んでいた。ぎりぎりに滑り込めて、よかった。

(つづく)

コロナ禍を経験したいま、どのように他者と出会い、関係性をつくっていくのか? Tokyo Art Research Lab ディスカッションは11/10にオンライン開催! プロジェクト「嫁入りの庭」(宮城県仙台市)を軸に、施主の社会福祉法人ライフの学校理事長の田中伸弥さん、庭の設計を担当したtomito architectureの冨永美保さん・林恭正さんをゲストにお招きします。
noteの日記は、Art Support Tohoku-Tokyo 2011→2021「2020年リレー日記」のテスト版として始めたのがきっかけでした。9月の書き手は、西村佳哲さん(リビングワールド 代表)→遠藤一郎さん(未来美術家)→榎本千賀子さん(写真家/フォトアーキビスト)→山内宏泰(リアス・アーク美術館 副館長/学芸員)さん。以下のリンク先からお読みいただけます!
東京アートポイント計画の10年を凝縮した『これからの文化を「10年単位」で語るためにー東京アートポイント計画2009-2018ー』がBASEで販売中! PDF版は、こちらでお読みいただけます。