見出し画像

予習復習、創造拠点としての「はらっぱ」

トップの画像は、昨年の今頃の「HAPPY TURN/神津島」の拠点「くると」の庭です。2019年10月、台風の直撃を受け、プロジェクトの立て直しが必要なタイミングで2年ぶりに担当者に復帰しました。

50年に1度と言われた嵐の被害は大きく、この先の計画の見直しを「どうしたもんか...」と途方に暮れつつ思案していたところで目の当たりにしたこの風景。拠点づくりをするなかで、風で砂が飛んでしまう対策として芝生の種を蒔いた庭です。少しずつ芽吹き、青く茂りはじめていました。

「ああ、"はらっぱ"をつくればいいのか」

と、自分の中で妙に合点が行く瞬間があり、しばらく眺めていました。

はらっぱの原体験

「はらっぱをつくればいい」、というのは単に整地して芝生にすればいいということではありません。話は15年前、私がインターンとしてはじめてアートプロジェクトに関わった「取手アートプロジェクト2005『はらっぱ経由で、逢いましょう。』」まで遡ります。タイトルにある通り「はらっぱ」がテーマとなったアートプロジェクトでした。

2005年、茨城県の取手駅前の小高い丘にあった旧茨城県学生寮は、ちょっとした学校ほどもある規模の遊休施設でした。その手前にひろがる草ぼうぼうのグラウンドを「はらっぱ」と名付けるところからアートプロジェクトがスタート。寮の建物のほうは「個室を市内の活動のショールームにしよう」「食堂だった場所を人が集えるカフェにしよう」と、すんなりとやることがイメージできたのに対し、茫々漠々とした「はらっぱ」はなかなか「コレ」というものが固まらない。くる日もくる日も、何にするべきか、という議論に明け暮れました。

画像1

▲舞台となった旧学生寮とはらっぱ(artscape BLOG MORI channelより)

当時は言葉にできなかったけれど、「何でもできそう」と思う反面「何かにしてしまう」ことにもったいなさを感じていたのだと思います。議論ばかりしていても11月の会期はやってきてしまう。そこで「はらっぱを味わう100日」を設定して8月から「何でもできそう」を片っ端からやってみることにしました。まずははらっぱを「ひらく」ために手伝ってくださる方に声をかけ、草を刈り、往来から直接アプローチするための階段を架け、ひらいている証として看板と旗を立てました。あとは思いつく限りのこと、キャッチボールやスイカ割り、お月見、コンサート、ピクニック、ダンス公演などなどをやってみました。(様子はブログ「はらっぱ日記」で見られます。)

会期が始まっても、とにかくいろいろなことが起こったはらっぱ。最終日は「閉じてしまうけどこの場所で何ができそうか?」をおもしろおかしく考え続けるイベントを実施しました。結局のところ「はらっぱ」は「はらっぱ」でしかなく、イメージや想い、アイディアといった創造の種を乗せることができる場所であることこそが豊かである、ということに会期が終了してはらっぱが閉じた後に気づくことになります。(ゲストアーティストだった藤浩志さんのブログにも詳しい顛末があります。)

東京アートポイント計画=「文化創造拠点形成事業」

2009年、東京アートポイント計画立ち上げの際に、ミッションとなっている「文化創造拠点の形成」とは何か、ということを議論していました。空き店舗を改修して作品を展示すればよいのか、いやいやそうじゃなくて...。といった具合に。そのころ合点がいったのが「アジールをつくる」という考え方でした。アジール、つまり「自由領域」「避難所」といった場所。「はらっぱ」で実践した「自由に創造の種を乗せることができる」ということは、その場に居ることを自分ごととして引き受けている、さらには、場所に引き受けてもらっているという状態です。「はらっぱ」は2005年当時、インターンである以前にほぼほぼ根無し草なニートだった私が居てもよい、アイディアを乗せてもよい自由領域、避難所でもありました。「はらっぱ」のイメージをもちながら、1年目に編み出した「アートポイント」という言葉には「人・場所・活動の結節点」という意味を持たせました。それらを都内に無数につくっていくこと。そのつくるプロセスは体当たりも多かったけれども、目指すべき姿はイメージができていたと思います。きっと、「はらっぱをつくればいい」。


島の庭びらきプロジェクト、はじまる。

2020年、神津島のくるとの「はらっぱ」は、増殖するプロジェクトへと舵を切りました。名付けて「島の庭びらきプロジェクト」。概要テキストにはこうあります。

HAPPY TURN/神津島の拠点「くると」には、芝生の庭があります。その庭はかつて、ブロック塀に囲まれた砂地で、もう使われなくなった大工小屋が建っていました。島の人たちと一緒に、大工小屋を片付け、解体し、ブロック塀を竹垣に変え、芝の種をまいて育てているうちに、庭でこどもたちが遊び始めました。キャッチボールをする大人が現れました。キュウリの苗を持って来てくれた人がいたので植えたら、ひと夏にたくさんのキュウリができました。この「くると」の庭のように、今は使われていない島の他の庭も、草刈りをして、ピクニックをしてみたら、みんながあつまり、なにかが生まれる場所になるかもしれない。そんな想いで少しずつ、島の庭を開いてみたいと思います。

この1年間、HAPPY TURN/神津島チームは「なにものでもない場所」であることに悩み、踏みとどまり、不確かなことに向き合い続けました。(現担当の雨貝POの記事に詳しく書かれています)。

その結果、くるとの「はらっぱ」に人々が行き交い、創造の種が乗せられる場所へと変わっていく経験をしました。このテキストと毎日集う人々の表情がその証です。ひとつの庭の「はらっぱ」の経験から、次のはらっぱへ。「ここでなにができたらいいかな?」という問いかけは、創造拠点づくりの第一歩です。

「はらっぱをつくればいい」をあらためて気づかせてくれたアートプロジェクトの現場に感謝しつつ、その感触を失わないよう島へと足を運ぶ計画を立てています。

画像2

画像3

庭びらき第1回目レポートより。よい風景が生まれています。次の庭へ。


▼創造拠点についてはこちらのコラムでも。


この記事が参加している募集

この街がすき