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画像生成AIについて思う事…そんなに心配しなくても大丈夫かなって話
今月初めから「非戦の想像力展」という展示会をやっていて、そこで見た絵画(油絵)を見て感じた事です。
既に様々なAIにお世話になっている方もいらっしゃるかもしれませんが、昨今、あちこちで生成AIが物議を醸していますね。
生成AIが作り出す絵画のクオリティが半端なくて、そのショックから廃業してしまったり、ネットから一切の痕跡を消してしまった作家さんもいらっしゃると聞きます。
まだ、人間には劣るとは言ってもそれなりのクオリティの作品を短時間に何枚も(それも安価、場合によってはタダで)生成されてしまっては、専業作家さんにとっては、まさに
死活問題!
お先真っ暗という気持ちになるのは良く分かります。
それに、ネット上に公開している自分の作品を勝手に取り込まれて類似の作品を大量生成されては、怒りというか憤りというか、憤懣やるかたない気持ちになるのも良く分かります。
…かといって、今の世の中、ネット無しで食っていけるのかって言うと、それも難しいし…
もう、絵描きは廃業するしかないって?
でも、「そんな心配は必要ないんじゃないか…」
っていうのが、この展示会で感じた事です。
絵を見ていて感じた事、
作者の悲しみ、憤り、嘆き、激しい怒り、etc…
そういった感情が絵の全面から伝わってきます。
この想いを生成AIの絵から感じることなんてできるんだろうか?
正直、相当に疑問を感じました。
作者の心と、鑑賞者の心の対話。
絵っていうのも、結局は描き手と鑑賞者の心のコミュニケーションの媒体なんだろうと思う。
心と心。
作家さんと見る人の心が響き会った時、感動が産まれ、心が通じ合った事への喜びを感じるのだと思うのです。
AIに心が有るんだろうか?
少なくとも今の技術では「否」でしょう。
じゃあ、将来技術が進歩してAIが心を持ったら…
それは、きっと別の一つの人格で、自分とは違うもの。
人が一人ひとり、みな違うように…
別の人格が作り出す絵は、自分の絵とは違うもの。
どんな想いを持って、どんな動機から制作するのか、人それぞれ違うように、AIがより人間に近いものになるのなら、模倣からは離れていくんじゃないだろうか。
そんな風にも感じます。
その人の経験や感性、技術から産み出される表現は、その人だけのものです。
それを完全に模倣することは技術的にはあるいは可能になるのかもしれません。
でも、膨大なコストが必要でしょうし、「心」の動きっていうのはとてもとても繊細で、仮に数式化できたとしても、どんどん、その予想からも外れていくものでしょう。
なので
過剰に恐れる必要はない…
そう思います。
ただ、そういった心の表現ではない部分については…
技術だけ…
鑑賞者の心の琴線に触れることのない表現…
確かに上手いんだけれど…
奇を衒っただけ…
こういった表現はAIに置き換えられてしまうのかもしれません。
(でも、それってAIが無かった時代でも同じだよね)
結局は、人間力。
これを鍛えるしかないってことなんでしょうね。
自分の分野にAIが進出するのは、まだ、先だと思いますが技術のブレークスルーは何処で起こるか分からないので、
精進しなきゃ!
ですね。
8/9追記
一応書いておきますが、自分の立場としては、AIの無批判な推進には否定的です。
社会に大きなストレスや不安を与える制度や技術は、どんなに有用であっても慎重に導入されるべきと思います。
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