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死んだ恋人に会いにいく 第2話

第一章 水守唯

帰省

 納戸代わりの空き部屋から45リットルのキャリーバッグを引っ張り出し、向こう三日分の着替えと礼服を詰め込む。
 新幹線を使うことも考えたが、お盆休み初日の今日ともなれば過剰なまでの乗車率であることは間違いない。
 駄目もとで取引先のレンタカー屋に問い合わせた結果、幸いにも昨夜遅くにキャンセルされたコンパクトカーが一台あるという。
 鉄道に比べ倍以上の出費にはなるが、今から向かおうとしている田舎で足がないことの不便を考えれば、割高なこの出費も元を取ることができるはずだ。

 想定の範囲内ではあったが、高速道路は蟻の群れを思わせる車列が遥か視界の彼方まで繋がっていた。
 そこに並ぶ働き蟻たちの多くは、餌を巣に持ち帰る途中ではなく、私と同じように帰省の只中にいるか、あるいは行楽地へと向かっている最中なのだろう。
 隣の車線のミニバンの中では、やんちゃ盛りの幼い兄妹がジュニアシートから身を乗り出すと、楽しそうに前席の親に話し掛けているのが見える。
 普段、運転など滅多にしない身としては、ベテランドライバーでも音を上げかねないこの状況に肩の力を抜く暇はなかった。
 ただ、最新のレンタカーに搭載されていた運転アシスト機能が、疲労の数割を肩代わりしてくれたおかげで、かろうじて今朝の出来事を反芻する程度の余力は残っていた。

『死んだ恋人に会いにいく』
 それが水守さんが残した遺書に書かれていたすべてだという。
 なぜだかはわからないが、私にはその文言が、この上なく美しい一行詩のように思えた。
 彼女をして、そんな意図などあったはずがないことはわかってはいる。
 ただ、そう感じてしまった途端に、本来ならばこの夏は帰る予定のなかった田舎へと足が向いていた。
 高畑曰く、連絡の取れた同級生のうち数人ほどは、今夜執り行われる通夜に顔を出すような話になったらしい。
 日暮れ前に母校の前で集合し、皆でまとまって水守家へと向かう計画も、彼ともう一人のクラス委員長により立てられている。

 一時間も渋滞の列に参加していると、ようやくにして高速道路の名に恥じぬ速度で車が動き出す。
 ちょうどその時だった。
 つけたままでまったく耳に入っていなかった不遇のカーラジオから、十代だった時分に何千回と聴いたロックバンドの楽曲が流れてくる。
 私はその曲が大嫌いだった。
 歌い出しの”明日もし君がいなくなってしまっても”という歌詞が耳に届いた瞬間、ラジオの音量を一気に下げると、その存在もろとも世界から消し去る。
 代わりに窓を少しだけ開け、アウターミラーが風を切る単調な音に眠気覚ましの刺激を求めた。

 数回の休憩を挟みながらひたすらに高速道路を走っていると、ついさっきまで東の空の高い場所にあったはずの太陽が、いつの間にやら進行方向にあたる西側から運転席を強烈に照らしていた。
 ルーフの上部に取り付けられたバイザーで日光を遮りながら、尚もアクセルを踏み続ける。
 やがて見えてきたインターチェンジで久方ぶりに車に横Gを加えると、やはり久しく見ていなかったコンビニの駐車場に滑り込む。
 ここからは下道したみちを使い、あと二つの町と一つの山を越えればようやく目的地である故郷の町へとたどり着くことができる。

 太陽が西の空をオレンジ色に染め始めた頃になり、やっとのことで高校卒業までの十八年間を過ごした町に戻ってくることができた。
 四方を低い山に囲まれた盆地にあるこの町は、町域のそのほとんどが田畑によって占められている。
 一万人ばかりの住人はその一部を間借りするような形で、最低限の衣食住に事欠かぬだけのミクロな集落を形成し暮らしていた。
 当初は実家に荷物を置いてから集合場所に向かう予定でいた。
 だが、今朝の電話の主である高畑を迎えに行く時間が目前に迫っており、予定を変更して彼の家へと直行する。
 スマホのナビに入力した住所はここからそう遠くはないはずだが、そこは私の実家とは間逆なこともあり、足を踏み入れた記憶のほとんどない未知のエリアだった。
 メーンストリートの県道はかろうじて二車線分の幅員が確保されてはいるが、半分消えかかったような路側帯側の白線の外側はすぐに田んぼになっており、運転に慣れていない身としては非常に心許ない。

 目的地への到着を知らせるナビの音声と一緒にエンジンを切ると、いかにも古民家といったふうの日本家屋を前にして車を降りる。
 ちょうどその時、背丈ほどもある槇囲いの真ん中にある切れ目から、見覚えのある青年が手を振りながら出てくるのが見えた。
 やや直毛気味の短髪姿の彼は、日焼けで黒くなった肌以外は学生時代とさして変わっていないように見えた。
「高畑久しぶり。電話しようと思ってたところだったよ」
「庭先にいたら車の音が聞こえたから、叶多君かなって」
 六年半ぶりに会った友人は人懐こい笑顔でそう言うと、槇の木の向こう側にある屋敷を指で差しながら続ける。
「お茶でも出すから中で着替えてってよ」

 案内された和室で礼服に着替えていると、盆に茶を載せた高畑が戻ってくる。
「叶多君はあっちで何してるんだっけ?」
「ああ、旅行代理店でプランナーしてる。零細だけどね」
「叶多君に向いていそうな仕事だね」
 彼が何を以てそう思ったのかは知らないが、確かに今の仕事は自分に合っていると感じていた。
 それに私の部署に限っては、ほぼカレンダー通りに休みがもらえるというのも魅力のひとつだった。
 もともと狭い町で生まれ育ったせいか、大学進学で出た都会ではすべてのことが目新しかった。
 在学中にはバックパッカーの真似事をしていたこともある。
 そんな理由で、知らない土地に強く興味を抱くようになった私は、卒業後も都会にとどまり今の職場に勤めることになった。
「高畑のとこは農業だっけ?」
「そうだよ。今は親父とお袋と奥さんと四人でやってるよ」
「奥さん?」
「あ、そういえば叶多君には言ってなかったね。式はまだなんだけど、今年の五月に籍だけ入れたんだよ」
「それはおめでとう。式はまだって?」
「それがさ、その……デキ婚ってやつでさ。年末には生まれるから、やるとしても早くて来年の春以降かな」
 道理でといったらなんだが、私が知る高校時代の彼と、いま目の前にいる彼は――再会してまだ十分ほどしか経ってはいなかったが――まるで別人かのように活気に溢れて見えていた。
 農業という仕事に就いているせいもあるだろうが、サーファーのように日焼けした肌と逞しい体つきに、これから父親になる男の持つ説得力のようなものまでをも感じた。
 首を縦に振り納得顔をしている私を見た彼は、なんだかばつが悪そうな、それでいて満更でもないような顔をしてみせると、胸のポケットから加熱式タバコを取り出すと口に咥えた。
「あ、いい?」
 それはここでタバコをやってもいいか、ということだろう。
「どうぞ。でもそれも、そろそろやめないといけないね」
「いや……はい。まったくその通りです」
 タバコの蒸気を燻らせる彼としばらく談笑したあと、連れ立って乗り込んだ車で懐かしの母校へと向かう。
 四方を山々に囲まれたこの町は、他所の世界よりもひと足早く日暮れの刻を迎えつつあった。



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