ストレスは溜めるな!泣いて吐き出せ!


ストレスとは目には見えない、かつ人によって感じ方が変わるものだ。
だから、人によっては大したことのない出来事でも、ある人にとっては泣き出してしまうほどストレスフルな出来事となり得るのだ。

私もよく仕事中泣き出していた。それを見て先輩は「泣いてどうにかしようとするな!」と言ってきた。よく考えてほしい。一般人の私に、いつでも涙が流せる演技力があるとお思いなんですか?

別に泣いて許してもらおうとして泣いているのではない。ミスをしたり、注意を受けると、勝手に涙が出てくるのだ。それがなぜなのか、当時の自分は分からなかった。

自分が情けないダメな人間なんだろうか?どこかおかしいのだろうか?みんなが我慢できることができないのはやはりよくないのだろうか?
と、徹底的に自分を責めていた。

ところが、ある時捉え方が変わった。私は他の人よりストレスに弱い体質なのだと。同じストレス量でも、人が変われば感じ方は異なる。だから、体がストレスに耐えられなくて、ストレスを一刻も早く体外に出そうとして涙となるのだ。

先ほど、演技力なんて無いんだから…と書いたが、実は自在に泣くことはできる。演技と言っていいか微妙だが、昔の嫌な記憶を鮮明に思い出し、その時の感情を呼び起こし、泣くことができる。
何だか嫌な技だなあと思うが、とにかくそれだけストレスの影響を受けやすいのだ。

つまり、よく泣く人は、人一倍感受性が高く、繊細で、感動しやすく、感情が出来事に左右されやすい体質なのだ。

こう捉えると、嬉しさや楽しさも、人一倍に感じているんだから、悪いことなら尚更刺激が大きく感じるのも納得がいく。泣けて当然なのだ。

映画やドラマに感動して泣くのは誰にも怒られないのに、仕事で注意されて泣くのは怒られる…理屈上は理解できるけど、人間の摂理上は、とても理不尽なことを言われていると思う。どちらも感情が動いたことによる結果なんですが…。

泣いていい時といけない時を、なぜ他人に決められなければならないのだろう?

一番ヤバい人って、泣きたいほどストレスを受けているのに、ギリギリ我慢できてしまっている人だと思う。

ストレスの吐き出し手段としての泣くという行為を理性で封じ続けたら、最後の最後まで我慢した人はどうなってしまうのだろうかーー想像に難くない。


おわり。




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