自分だけの自分がどのようなものであるのかを思い出せないでいる
久々の休みに、一人でランチに街にきた。
食後、クーラーの効いたハンバーガー屋で、窓の外を行き交う夏服を着た人々をぼんやりと眺める
友達も来るかしらとラインを送り、携帯を閉じる
すると、しっとりとした疲れが訪れる
休みなのだから何かをしなければならないと焦っていた自宅での心が嘘のように落ち着き出した
全てが終わったような気がするほど
疲れが身体全体に巡りはじめた
日々、沢山の人に会うこと、相手に適した自分を引き出し、演じること、
この疲れにあらゆるものが含まれている気がする
人といる時の自分は思い出せるのに
自分だけの自分がどのようなものであったかを思い出せない
だが、人に揉まれて、日々対人関係に試行錯誤を重ねている自分が嫌いではないのだ
この疲れには日々の自分の努力への称賛も入っているからか、どん底に落ちている時の絶望感とは無縁の穏やかなものである
人と刺激のある会話をするための、悩んだふり、興味のあるふり、楽しいふり、苦しいふり、
それもまた楽しい
この忙しい日々の中で底に落ちずに済んでいるのは周りの人々から与えられる愛によるものかもしれない
沢山の人が良い人間でいるように心がけをしている、それは私を上へ上へと上げてくれる
探している、どのような人間でいられるか、
なれるのか
尊敬する生き方をしている人間に囲まれているのは宝であるといえよう
友達から連絡がきた
優しさがふわっと私を包む
なんと幸せなのだろう
人生の甘さを噛みしめるには早すぎる年齢だろうか
休日に落ち着く場所で、思索にふける
自分だけの自分がどのようなものであるのか
思い出せないでいるのも良いのかもしれない
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