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#ネタバレ 映画「カリフォルニア・ドリーミング」

「カリフォルニア・ドリーミング」
1979年作品
流れる無常観
2019/4/1 9:22 by さくらんぼ(修正あり)

映画「ビッグ・ウエンズデー」の後に公開された作品です。

私は少し遅れてTVで観ました。

もう詳しい内容を忘れてしまいましたが、記憶では、こんな話です。

まるで戸板のような、サーフボードとは言い難い長方形の板を携えた、人の良い主人公・TTが出てきました。シカゴからやってきた少年です。

それもあってか、ちゃんとしたサーフボードを持っている地元の仲間からは、ちょっと小ばかにされていたようです。

私は、それは大波に適した板であり、最後にはビッグウエイブに乗って、映画「ビッグ・ウエンズデー」のように仲間を見返す話だと、密かに期待していたわけです。

でも、その願い叶いませんでした。

映画のラストには、違う感動が用意されていたのです。

TTが下宿させてもらっていた先の、初老の主・デュークが、「オリンピックの金メダリストだった」という話題が出るのですが、ちょっとしたトラブルの腹いせに、TTは「大ボラ吹きだ!」とバカにするのです。あろうことか恩人を侮辱してしまうのです。

ところが、デュークが亡くなってから、遺品の中から金メダルが見つかる。

当時は、インターネットも無く、ニュースはすぐに忘れられてしまいました。少し専門的な事柄や、過去の事を調べようとしたら、(貧しい家には百科事典などありませんので)図書館にでも行って、少なくとも半日がかりで調べなくてはいけませんでした。私も仕事を半日休んで図書館へ行ったことがあります。ネット時代なら15分もあれば済むことを。

そんな時代の作品ですから、「私は金メダリストだ」と言っても、真偽を他人が調べることは容易ではなかったのです。いや、図書館へ行けば容易かもしれませんが、噂話の真偽を、半日がかりで調べるような酔狂な人は少ない。

そうやって、オリンピックに限らず、過去の栄光は、すぐ人に忘れられてしまいます。そして過去を語る者は、時に「大ぼら吹きの、老いぼれ」と蔑まれる。

たとえ、過去の栄光を信じてもらえたとしても、すでに過去の人であり、(ネットもなく世間の評価もわからない時代では)もう人気者にはなれないかもしれない。デュークが金メダルを見せず、メダリストだという事もめったに言わないのも、そのせいだったのかもしれません。

この辺りの無常感が、映画「ビッグ・ウエンズデー」、映画「カリフォルニア・ドリーミング」、そして(映画「カリフォルニア・ドリーミング」を連想する映画「 リヴァプール、最後の恋」にも、通奏低音のように流れているのです。

★★★★

追記 ( 「信仰に目覚める」お話 )
2019/4/3 9:54 by さくらんぼ

( 映画「 リヴァプール、最後の恋」のネタバレにもふれています。)

イエスさまはマリアさまが処女受胎して生まれた神の子です。当時のマリアさまを知っている家族・友人・知人なら、奇跡だと驚愕したかもしれませんが、大人になった頃の世間ではどうでしょうか。イエスさまは、やがて為政者の怒りも買い、十字架に置かれたのです。でも、復活し、神の子であることを証明しました。

「カリフォルニア・ドリーミング」の歌詞では、主人公である僕が、信者でもないのに教会へ行き、牧師さまの前で祈るポーズをします。ちょっと牧師さまを小ばかにした様子が伺えます。でも牧師さまは奇跡を起こしたイエスの弟子でもあるわけです。

映画「カリフォルニア・ドリーミング」で、主人公・TTは、下宿先のデュークがオリンピックの金メダリストだったことを信じず、小ばかにしていました。しかし、デュークは亡くなった後、金メダルとして(イエスさまのごとく)復活したのです。

映画「 リヴァプール、最後の恋」では、ヒロイン・グロリアが亡くなった後、オスカーの授賞式の様子が映しだされました。

つまり、デュークもグロリアも、牧師さまやイエスさまに繋がっていくのです。

そう思うと、映画「 リヴァプール、最後の恋」のチラシの、二人が寄りそう写真は、マリアさまが彼の胸に手を当てて癒しているように見えました。

これらの映画は、不信心な者が奇跡を見て、信仰に目覚める話の暗喩だったのかもしれません。

追記Ⅱ ( 「嘱託」 )
2019/4/4 9:52 by さくらんぼ

>たとえ、過去の栄光を信じてもらえたとしても、すでに過去の人であり、もう人気者にはなれないかもしれない。デュークが金メダルを見せず、メダリストだという事もめったに言わないのも、そのせいだったのかもしれません。(本文より)

定年後に、同じ会社で嘱託として働く人は少なくありません。

しかし、会社にもよるでしょうが、私の知る限り、嘱託に就いても、定年前の様に、生き生きとした人生を送っていない人が、少なからずいます。

給料は半分になるのに、時に、正社員がやりたがらない仕事の担当にされたり、老いにかまわず夜勤などが増やされるからです。さらに、同僚からの視線も…。

つまり、「敬意を表すべき大先輩」という扱いではなく、仕事も人間関係も、「使えるバイト」という扱いに変質するのです。

そんな彼らは、長年会社に貢献した末に、そのクライマックスには、人生の悲哀を味わって、リタイアしていくのです。

追記Ⅲ 2022.2.16 ( 長方形の板は「十字架」だったのか )

>まるで戸板のような、サーフボードとは言い難い長方形の板を携えた、人の良い主人公・TTが出てきました。シカゴからやってきた少年です。

>TTが下宿させてもらっていた先の、初老の主・デュークが、「オリンピックの金メダリストだった」という話題が出るのですが、ちょっとしたトラブルの腹いせに、TTは「大ボラ吹きだ!」とバカにするのです。あろうことか恩人を侮辱してしまうのです。

>ところが、デュークが亡くなってから、遺品の中から金メダルが見つかる。(本文より)

すでに書いたことの補足説明のようになりますが…

戸板のような長方形のサーフボードの異様さは今でも忘れられません。昨晩ふと気がついたのですが、あれは十字架をモチーフとしていたのではないでしょうか。つまり悩み多き主人公・TTは、サーフボードならぬ十字架を背負ってやってきたわけです。

そして、たどり着いたのが初老の主・デュークの家です。(演出で良くあるように)あの家の窓がステンドグラス状態だったのかは記憶がありませんが、デュークは牧師さま、あの家は教会の記号だったのでしょう。

しかし、親切に教会に下宿させてもらったのに、牧師であるデュークの教義を信じないどころか、逆に侮辱してしまうのです。信じてもらえないままデュークは亡くなりますが、後に金メダル(優勝証書だったかもしれません)となって復活するのです。

深層のストーリーがこれなら、「下記」の映画「カリフォルニア・ドリーミング」の歌詞と、おおよそ符合しているように思います。

>イエスさまはマリアさまが処女受胎して生まれた神の子です。当時のマリアさまを知っている家族・友人・知人なら、奇跡だと驚愕したかもしれませんが、大人になった頃の世間ではどうでしょうか。イエスさまは、やがて為政者の怒りも買い、十字架に置かれたのです。でも、復活し、神の子であることを証明しました。

>「カリフォルニア・ドリーミング」の歌詞では、主人公である僕が、信者でもないのに教会へ行き、牧師さまの前で祈るポーズをします。ちょっと牧師さまを小ばかにした様子が伺えます。でも牧師さまは奇跡を起こしたイエスの弟子でもあるわけです。


( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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