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#ネタバレ 映画「アイアムアヒーロー」

「アイアムアヒーロー」
2016年作品
富士山からの頂きもの
2016/5/6 16:46 by さくらんぼ(修正あり)

( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

昔から「一生に一度はお伊勢参り」とか申しますが、一生に一度は「富士山のふもとにも泊まってほしい」、そして、ゆっくりと富士山を眺めてほしい、富士山に抱かれて欲しいと思います。新幹線や高速道路からチラリと見るだけでも素晴らしいけれど、それだけでは、その神髄には触れられません。

あれは、きっと「日本人の精神的支柱」なのです。

どこか日本の国旗と同じスピリットを感じさせてくれます。自衛隊があそこで演習をするのは、単に「広場があるから」だけではないのでしょう。

そして映画「アイアムアヒーロー」。これはゾンビ映画。ゾンビは人間の形をした怪物です。でもゾンビから生きのびるために人間性を失い、なりふりかまわず弱肉強食の世界に堕ちた人も、ある意味、精神のゾンビです。

右も左も地獄なのです。

正解はその中央(グレーゾーン)にあり。片目だけがゾンビであることを示すヒロイン(有村架純)は、その記号だと思います。

そんなヒロインを見捨てずに最後まで守る主人公の英雄は、人間性という精神的支柱を失わないヒーロー。彼はグレーゾーンの中を泳ぎ、一つ一つ是非を判断していきます。

主人公には「映画の舞台となった富士山から頂いた精神的支柱があった」のだと信じます。それが彼の行動基準。

この映画はR15+なのです。近くの女性はアクションシーンのほとんどで顔を覆っていました。お叱りを受けるのを承知で言うと、まさしく「女と子どもには見せられないマニアックな衝撃作」でした。

おじさんの私も、映画の終わり近くになると軽い胃痛がしてきました。仕事で胃痛になったことはありますが、映画では初めて。終わった今は鎮静効果のある陰の酒・ウイスキーを飲みたい気分です。

★★★★

追記 ( 思慮深さ ) 
2016/5/7 6:49 by さくらんぼ

映画「シェーン」では「我慢すること」を描いていました。あれは「銃社会アメリカの、銃を扱う者の心得」を言いたかったのでしょう。

少年には少年のレベルで(つまり、玩具でもむやみに人に向けないとか、町には持っていかない)、大人には大人のレベルで(銃も単なる道具であり、問題は常に使用者側にあるとか、単純な怒りで使ってはいけないと)語られている様に思いました(その延長線上で「不倫も我慢しなさい」と語られたのです)。

ならば、この映画「アイアムアヒーロー 」では「思慮深くあれ」と語られていたのだと思います。映画「モスラ対ゴジラ」で「高い地位にあるものは、それにふさわしい社会的責任を負う」と書きましたが、「銃器を扱うものもそれにふさわしい思慮深さを負う」のです。

その思慮深さを持っても引き金を引かなければならない時が訪れるかもしれない。ラストには正当防衛によるバトルがあります。それはきっと日本映画史に残るもの。私も何十年の映画人生で初めて見たものです。

バトルの後、ヒーローと称賛される中、主人公・英雄がまじまじと自分の手のひらを見つめるシーンがありました。映画は観客にも感情移入させることに成功しています。「それがための凄惨だった」のだとそのとき分かりました。シェーンにもこんなセリフがありました「人を殺した者は、もう元には戻れない」と。

追記Ⅱ ( あっち側 ) 
2016/5/7 8:12 by さくらんぼ

> シェーンにもこんなセリフがありました「人を殺した者は、もう元には戻れない」と。

ゾンビは血液感染します。ゾンビが「あっち側に行ってしまった人間」だとしたら、

主人公・英雄も、ある意味「あっち側に行ってしまった」のです。血に染まった手がそれを物語っていました。

追記Ⅲ ( 「集団的自衛権」・ヒーローとは我欲を捨てられる者  )
2016/5/9 9:10 by さくらんぼ

人はゾンビになっても「人間時代の仕事など」を引きずっていました。また「人間時代の我欲」も引きずっていました。

だから我欲にまみれた人間もたくさん登場しました。不倫する漫画家、主人公をヒステリックに追いだした妻、銃を女子高生を奪う男、主人公でさえ革ジャンを欲しがりました。

しかし、そんな主人公も「だれか助けて!」という女性の声がトランシーバーから聞こえたとき、自分は遠くで安全なロッカーに隠れていたのに、足がすくんで動けなかったのに、全身全霊でその壁をやぶり助けに飛び出したのです。トランシーバーはロッカーの外、離れた床の上に転がっていて、「聞こえなかった」と言い訳できたのに。

その瞬間、彼はヒーローになった。

つまりこの映画では「我欲に溺れたものをゾンビ」と呼び「我欲を捨てられる者をヒーロー」と呼んでいました。これが主題でしょう。

ラストの「正当防衛」バトルは、たぶん「集団的自衛権」の行使だったのです。

追記Ⅳ ( のっぺらぼう ) 
2016/5/9 11:43 by さくらんぼ

残念なことですが、私はめったに人を頼りません。子どもの頃から「頼り下手」なのです。世に「人に頼るのが上手な人」が確かにいて、ほんとうにうらやましく思います。

そんな私でも、ときに頼りたくなる時があります。それは若いころの話、失恋して、信頼のおける先輩だと思っていた人に話を聴いてもらいに行ったら、その先輩からも冷たくされ、ショックを受けたことがありました。

もちろん、先輩には先輩のうかがい知れぬ事情があるはずで、単純にそれを責めるつもりはありません。頼るのが苦手な私も、頼られるのはもっと苦手ですから。

でも、その頃思いだしたのが「のっぺらぼう」の昔話でした。

「 『のっぺらぼう』に遭った男が、びっくりして友人宅へ逃げ込み、恐怖を話すと、その友達が、ゆっくりと振り向き、『こんな顔かい』と言って『のっぺらぼう』の顔を見せた 」と言うものです。

私は「のっぺらぼう」の話は、メンタル的には「裏切り」の話だと思いました。

そして「ゾンビ」の話からも「のっぺらぼう」を思いだします。

ゾンビの話が、怖く、衝撃的なだけでなく、どこか「寒々と、やるせない」のは、そのなかに「裏切るもの、裏切られた者の心情」が隠されているからではないのかと思いました。

先ほどまで愛する人だったのに、いつのまにかゾンビになって襲いかかって来たとか、仲間だったのに無政府状態になったと知るや「俺が法律だ」と言って「独裁者」になってしまったとか。信頼していた人なのに、ゾンビの恐怖に負けて、一人逃げてしまったとか。

たくさんの「裏切り」があって「人間関係が崩壊」し、「人間不信」になって…その中にあっても「人間性を失わない」ことができるのか。それが、このゾンビ映画なのだと思いました。

追記Ⅴ ( 映画「モンタナの風に抱かれて」 ) 
2016/5/10 17:12 by さくらんぼ

映画「アイアムアヒーロー」には怖いシーンが満載ですが、特に怖いのが「片瀬那奈」さんのシーンです。

彼女は主人公と同棲中の恋人ですが、漫画家として目が出ない主人公にヒステリーを起こし、アパートから力づくで放り出すのです。それだけでも怖いのに、しばらくの後「戻ってきて…」と電話。そして主人公が戻ると…。

あのときの怖さは、映画「リング」の「貞子」。

そして…

次の瞬間は、「殺虫剤をかけたら、暴れながら飛びかかって来て、噛みつく巨大ゴキブリ」みたいな怖さなのです。

あれだけは再観したくありません。

もう一度観るにしても、絶対あそこだけはカットしたい。主人公もあのとき大変なトラウマを負ったはずです。

そして、あれは映画のクライマックスで、トランシーバーから「だれか助けて!」と聴こえてきたのと対になっています。だから、トラウマのある主人公は、どれだけの決心をして助けに走ったのか…。

映画「モンタナの風に抱かれて」でも「電話は心を病ませる装置」として描かれていましたが、映画「アイアムアヒーロー」でも、その辺りに手抜きはありませんでした。

追記Ⅵ ( ヒロインの正体 ) 
2016/5/11 9:16 by さくらんぼ

>彼女は主人公と同棲中の恋人ですが、漫画家として目が出ない主人公にヒステリーを起こし、アパートから力づくで放り出すのです。それだけでも怖いのに、しばらくの後「戻ってきて…」と電話。そして主人公が戻ると…。

>そして、あれは映画のクライマックスで、トランシーバーから「だれか助けて!」と聴こえてきたのと対になっています。だから、トラウマのある主人公は、どれだけの決心をして助けに走ったのか…。

そして、主人公たちがタクシーで逃げる途中、ラジオのエピソードがありました。鳴っているカーラジオを指して「この局が通常番組を流している内は、日本は大丈夫!」と言った瞬間、「ニュース特番」に切り替わったのです。絶句する面々(正確ではありませんが、概ねそんな話)。あれも、電話ではありませんが、スピーカーから流れてくる情報の怖さを語っていますね。

そして、その怖さを人を使って再演したのが、ヒロイン(有村架純さん)が半ゾンビになって敵か味方か分からなくなるエピソード。衝撃的な恐怖が主人公を苦しめました。

つまり、あのとき「ヒロインは電話やラジオの記号」だったのかもしれません。音楽も聴かせてくれましたしね。突然に人を怖がらせますが、されとて味方に実害を与えることはせず、あとは静かに座ってしましたから。

追記Ⅶ ( ラジオに慰められた夜 ) 
2016/5/11 9:40 by さくらんぼ

そして主人公たちが野宿をした、つかの間の平和なひと時に、ヒロイン・ラジオが聴かせてくれたのが、記憶違いでなければ、たしか「峠の我が家」(Home on the Range)。

「 神経を使った後は、甘い音楽がおいしい 」。

正確ではありませんが、どなたかの、そんな言葉も思い出されました。

追記Ⅷ ( 「人気商売にとっての、読者の怖さ」 ) 
2016/5/11 10:00 by さくらんぼ

>ゾンビの話が、怖く、衝撃的なだけでなく、どこか「寒々と、やるせない」のは、そのなかに「裏切るもの、裏切られた者の心情」が隠されているからではないのかと思いました。

主人公が漫画家を目指している男なので「ゾンビとは読者のこと」でもあったのかもしれません。

話にラジオが入っているところから、重層的な話の、どこか中間層には「人気商売にとっての、読者の怖さ」が隠れているのかもしれません。

追記Ⅷ ( 「マジックアイ」 ) 
2016/5/12 6:43 by さくらんぼ

ヒロインは「電話やラジオの記号」だとお話ししましたが、そのヒロインは「猫缶」が大好物なのです。

それで思いだしたのですが「猫の目」(俗称)というものをご存じでしょうか。正確には「マジックアイ (magic eye tube) 」(日本名「同調指示管」)と言います。

これは真空管ラジオの時代に、ダイヤル同調を正確にするために活躍した真空管の一種。ウキペディアの「マジックアイ」の項目に画像がありますので、ご覧いただくと、どんなものか分かると思います。緑色に発光し「猫の目」みたいに動くでしょ。

その「猫の目」が高級な真空管ラジオの(向かって)右上などに一つ付いていて、それを見ながらチューニングしたものです。現代みたいにボタン選局ではありませんから。

ヒロインの(向かって)右目だけが「猫の目」(ゾンビ目)になっていたのはそんな理由だったのかもしれません。

またボウガンの矢が頭に刺さった様子は「ロッドアンテナ」みたいでもありました。それでもヒロインが死ななかった理由を「脳幹」を外れていたためと説明していましたが、「脳幹」=「真空管」とも理解できますね。真空管は半導体と同じくラジオの命だからです。

追記Ⅹ ( 昔の侍はいないけれど ) 
2017/11/5 22:13 by さくらんぼ

もしかしたら、今の日本人って… こんな感じかもしれない。

「 『日本は北ミサイルを迎撃すべきだった』? 『武士の国なのに理解できない』米大統領が疑問表明か

… 外交筋によると、トランプ氏は8~10月、東南アジア諸国首脳らとの電話会談や直接会談で、北朝鮮への圧力強化策を協議。その際に「自国の上空をミサイルが通過しているのに、なぜ撃ち落とさないのか」「武士の国なのに理解できない」など、日本が破壊措置を取らなかったことへの不満を口にしていたという。 … 」

( 「産経ニュース」 2017.11.5 12:49更新 より抜粋  )

追記11 ( 「HERO」の本当の意味 ) 
2019/4/25 16:29 by さくらんぼ

>あれは、きっと「日本人の精神的支柱」なのです。

>どこか日本の国旗と同じスピリットを感じさせてくれます。自衛隊があそこで演習をするのは単に「広場があるから」だけではないのでしょう。

>そんなヒロインを見捨てずに最後まで守る主人公の英雄は、人間性と言う精神的支柱を失わないヒーロー。彼はグレーゾーンの中を泳ぎ、一つ一つ是非を判断していきます。

>おじさんの私も、映画の終わり近くになると軽い胃痛がしてきました。仕事で胃痛になったことはありますが、映画では初めて。終わった今は鎮静効果のある陰の酒・ウイスキーを飲みたい気分です。(本文より)

街で偶然、(事件、事故、病気などで)倒れている人に遭遇した時、あなたは躊躇なく救命措置ができますか。医療知識の問題だけではありません。そこには見えない精神的な壁があります。

近日公開の映画「空母いぶき」でも、その苦悩が描かれていると思いますが、自衛隊の戦闘行為が一線を越えることなら、他人のパーソナルスペースに侵入し、場合によっては、衣服を緩め、救命のために体に触れる行為も、素人にとっては一線を越えることなのです。

この映画「アイアムアヒーロー」は、自衛隊が一線を越える姿を描いた戦争映画でもあるのでしょう。

戦争映画だからこそ、戦闘の悲惨さを、私も気分が悪くなるくらいにストレートに描いたり、ラストには、血に染まった自分の手のひらを見て、呆然自失となる主人公を描いたのでしょう。しかし、その手のひらを見つめる主人公の姿は美しかった。

あのとき、追いつめられ、正当防衛で、100人ほどのゾンビと戦った主人公の一部始終を目撃していた、ゾンビとのハーフのような人間少女(有村架純さん)が、最後の一人を倒したときに、小さな声でポツリと言いました。「HERO」と。

あのハーフは、現実に置き変えてみると、誰を指しているのか分かるような気もします。戦争になると敵国人は差別されるのです。しかし、生死の修羅場でも、主人公のように、味方として冷静に区別しなけれなりません(2022年のウクライナへのロシア侵略での、在日ロシア人も)。

映画のエンドロール最初には、有村架純さんが言った「HERO」というセリフだけが、まず画面に浮かび上がりました。「これが「HERO」の本当の意味」なのでしょう。

追記12 ( 「右折注意」 ) 
2019/4/26 23:00 by さくらんぼ

(  映画「大脱走」のネタバレにもふれています。)

>あのとき、追いつめられ、正当防衛で、100人ほどのゾンビと戦った、主人公の一部始終を目撃していたゾンビとのハーフのような人間少女(有村架純さん)が、最後の一人を倒したときに、小さな声でポツリと言いました。「HERO」と。(追記11より)

あそこは、ビルの地下にある通路(駐車場への?)のような場所でした。

最後の一人を倒したとき、天井に「右折注意」の大きな表示板があるのが見えました。

表示板があるのは、通路だから当たり前かもしれませんが、画面からカットすることも出来たのに、「わざとらしく映っていた」のが気になり、一晩考えていましたら、理由が少し分かったような気がしました。

あの時、仕留めそこなった一人のゾンビが、女性たちに襲いかかってきました。しかし、主人公にはもう弾がありません。

主人公は、とっさにショットガンの銃口側を持ち、バットのようにブン回して、一撃でゾンビの頭を破壊したのです(ゾンビはそうしないと死なない)。

きっと、ブン回したのが、右回り(右折)だったのでしょう。「右折注意」とは、しつこいゾンビ君に宛てた注意喚起だったのです。

そして、あのゾンビ君は、人間時代はスポーツ選手でした。何の選手だったのか正確には覚えていませんが、ゾンビになった後は、ボールのように飛び上がって地面に落下し、自分の頭を潰して遊んでいました。

もしかしたら、あのゾンビ君は「ボール」の記号だったのかもしれません。ということは、このエピソードは野球をモチーフとしていたのでしょう。

するとハーフの女性が「HERO」と言ったのは、「ヒーローインタビュー」の事でもあったのです。

ならばその直後にある、クルマの中での、もう一人の女性(長澤まさみさん)からの質問、「…名前はなんて言うの?」が、まさしく、それ。

だから、あのラストエピソードは、表面的には崇高な、しかし、裏面では笑うところだったのです。大声あげて。

少なくとも、胃けいれんの私に笑うゆとりはありませんでしたが。

戦争が野球(ベースボール)との騙し絵になっていたのは、映画「大脱走」も同じでしたね。

追記13 ( ゾンビ君の右旋回 ) 
2019/4/26 23:17 by さくらんぼ

>きっと、ブン回したのが、右回り(右折)だったのでしょう。「右折注意」とは、しつこいゾンビ君に宛てた注意喚起だったのです。(追記12より)

右回りというより、「右バッター」ですね。

でも、ゾンビ君が女性に襲いかかるために、右旋回をしたのだから、「ゾンビ君の右旋回」の方が、正解かもしれません。

追記14 ( 正しい情報の選択法 ) 
2021/10/1 8:55 by さくらんぼ

>そして、主人公たちがタクシーで逃げる途中、ラジオのエピソードがありました。鳴っているカーラジオを指して「この局が通常番組を流している内は、日本は大丈夫!」と言った瞬間「ニュース特番」に切り替わったのです。絶句する面々(正確ではありませんが、概ねそんな話)。あれも、電話ではありませんが、スピーカーから流れてくる情報の怖さを語っていますね。(追記Ⅵより)

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という言葉があります。

これを「正しい情報の選択法を教えよ」と言い換えれば、主人公の「特定のラジオ局(例えばNHK)を信用する方法」も、その一つとして簡単で効果的なものだと思います(「大本営発表」のような戦時中の日本や、2022年のロシアではどうか知りませんが)。

「情報は何を言ったかではなく、誰が言ったかが重要だ」という言葉があります。もちろん無名の人・匿名の人でも正論は言えますが、たとえばNHKや総理の言葉は、それを超えて重いはずです。

最終的に自分がどう判断するかはともかく、デマから逃れるために、そのような軸足を持っているか否かは大切だと思います。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


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