見出し画像

#ネタバレ 映画「クライング・ゲーム」

「クライング・ゲーム」
1992年作品
性(さが)
2003/4/13 19:23 by 未登録ユーザ さくらんぼ (修正あり)


( 引用している他の作品も含め、私の映画レビューはすべて「ネタバレ」のつもりでお読みください。)

この作品はテロリストが主人公である。9.11以降は彼らへの風当たりも一段と厳しくなったので、今このような映画が作られるかどうかは分からないが・・・

ところで、主人公のテロリストが口にした面白い「性(さが)を例えた蛙とサソリの話」あれは今考えると主人公の性格を表現しているのではなく、テロリスト達の持っている原理主義に固持する性質を語っているのではないかと思った。彼らはそれが自滅の道を歩むかもしれなくても、そうしないではいられないのであるから。

しかし、それが破壊の為ではなく、ひとたび愛のために生かされたなら、この映画の様な結末を迎える事になる。映画はそう語っているのだろうか。この作品はとても心が温まる傑作となった。

ところで故、淀川先生が冒頭の遊園地のシーンを絶賛されていたので改めて観てみたら、恋人役の女性がぬいぐるみの方耳を持って振り回すように乱暴に歩いていた事が分かった。彼女の正体は非情なテロリストの戦士である。映画はそこあたりから、尋常ならざる展開を、観る者にさり気無く伝えていたのだ。

そしてあの甘いテーマ曲。これ以上の組み合わせは無いのではないだろうか。

追記 ( 時にはサンドイッチに甘えてみる ) 
2015/7/23 6:50 by さくらんぼ

> ところで故、淀川先生が冒頭の遊園地のシーンを絶賛されていたので改めて観てみたら、恋人役の女性がぬいぐるみの方耳を持って振り回すように乱暴に歩いていた事が分かった。彼女の正体は非情なテロリストの戦士である。映画はそこあたりから、尋常ならざる展開を、観る者にさり気無く伝えていたのだ。

きっと、彼女は料理が下手でしょうね。

ところで、最近、映画を観るときのランチはサンドイッチに決めています。

少し前は牛丼で、その前は蕎麦が多かった。でも、ある時ふと食パンが食べたくなって、それから貪るようにサンドイッチばかり食べています。新鮮な食パンを使って作ったサンドイッチは美味しい。

サンドイッチはもちろん中身の具も大切ですが、今日はパンのみに絞ってお話しします。

映画「あん」の追記Ⅱ ( どら焼きは皮が命 )で、『どら焼きの皮は、触覚で言えば「ひと肌の温もり」を味わうもの』と書きました。

つまり、愛情の代償行動なわけです。

このサンドイッチも、食パンの食感を味わう点で、同じなのだと気がつきました。

そうすると、ここで初めて、サンドイッチでは食パンの耳を切るのが基本スタイルである理由が想像できるのです。

硬くてほろ苦い食パンの耳は、食感上、違和感がありますからね。あれは愛情の代償行動にはならないから、破棄されるのでしょう。

でも、私は耳の歯ごたえ、ほろ苦さが好きでした。

サンドイッチでも耳付を好みます。蓼食う虫も好き好き、ですから、べつに変態でも何でもかまいません。

サンドイッチに愛情を求めるのが、古今東西の秘められた世界常識!?であるなら、それは「料理とは愛情を食するもの」である考え方にも合致します。

映画「病院で死ぬということ」では、私は「食べないと、本当に、人は死ぬのか」という話をしました。長期間断食をしていても生きている人がいるからです。

ここで、もし本当に死なないのなら、なぜ人は食事をするのかという疑問に行きつくわけですが、その答えの一つが見つかったような気がします。

人は「愛情を、食事を通しても補給しているのです」。

だから、きれいにテーブルに置かれた、愛情のこもった食事(料理)は、たとえ質素でも人を幸福感で満たしますが、それをゴミ袋に残飯とし棄てたもの(愛情の感じられないエサ)や、同じ食材を使っていても、愛情のこもらない乱暴な調理法で作ったまずい料理、冷えて硬くなってしまった料理などは、食べても食べても、人の心を満たすことがなく、飢えがとまらないのです。

でも、生でも食べられるぐらいの新鮮な食材と、出来たての食パンを使い、耳をカットして作った正統派のサンドイッチは、手軽に作れて、手軽に食べられて、それでいて、かなりの量の愛情の補給が出切る、最高の料理の一つだったのです。

高いストレスにさらされる人たちは、アルコールや、甘い音楽を好みます。それが癒しを与えてくれるからですね。ならば、ゲーマーがサンドイッチを食べる本当の理由も分かる気がします。

それからサンドイッチに合わせる飲料の選択も楽しいですね。それは映画と映画音楽のような関係です。

私は野菜ジュース、野菜スープ、ミルク、紅茶、ビールなどが好き。

その話は、またいつか。

追記Ⅱ ( 人の数ほど想い出はあるから ) 
2015/7/23 8:47 by さくらんぼ

もしかしたら、このDVDも現在は入手困難になりつつあるのでしょうか。

残念ですね。これも後世に残しておきたい、チョコチップの入ったクッキーのような、佳作なのに。

YouTubeなどで一部は実現していますが、あらゆるソフトを電子データ化して、ネット経由で、いつでも、どこでも、後世まで、見聴きできるように、してほしいです。

追記Ⅲ ( 食パンの価値は何できまるのか ) 
2015/7/23 9:18 by さくらんぼ

TVの食パンCMでは、愛情にあふれた家庭の映像の中で、食パンの柔らかさを競っているように見えます。

あれは、どまんなかで「愛情=柔らかさ」を謳っている。

「弊社の食パンは、あなたに、こんなにたくさんの愛情を提供できますよ」と言っていたのかもしれません。

もしかしたら、食パンの価値が、本当はどこにあるのかを、昔から、密かにメーカーさんはご存じだった!?

追記Ⅳ ( 魅惑の「甘辛く煮た椎茸サンド」 ) 
2019/6/16 13:51 by さくらんぼ

> ところで故、淀川先生が冒頭の遊園地のシーンを絶賛されていたので改めて観てみたら、恋人役の女性がぬいぐるみの方耳を持って振り回すように乱暴に歩いていた事が分かった。彼女の正体は非情なテロリストの戦士である。・・・

>きっと、彼女は料理が下手でしょうね。

>ところで、最近、映画を観るときのランチはサンドイッチに決めています。(追記より)

「いつから食べていたのだろう…」と考えましたが、積極的にサンドイッチを食べるようになって、もう4年ぐらい経つのですね。

実は最近、ほかの料理も食べたくなる時があるのです。売っているサンドイッチの中見なんて、どれも似たり寄ったりですから。

しかし、サンドイッチを食べないと食事をした気にならないような気もして…。

ちなみにタイトルにある「甘辛く煮た椎茸サンド」とは、子どもの頃に母が余り物のシイタケの煮物をバターを塗った食パンに挟んで作った、わが家オリジナルのサンドイッチなのです。思い出すだけで、よだれが出そうな美味しさです。もう、何十年も食べていないですが。

追記Ⅴ ( 映画「未知との遭遇」 ) 
2021/8/8 9:41 by さくらんぼ

(  映画「未知との遭遇」のネタバレにも触れています。 )

映画「未知との遭遇」の最初のあたりに、主人公の家庭が写ります。

幼子が部屋の中を動き回らぬよう、柵で囲った一平方メートル程度のスペースがあって、その中に小学生ぐらいの男の子がいて、手には赤ちゃんぐらいの人形を持ち、柵にぶつけて、バラバラに壊しているのです。

家庭の中が沸騰寸前にイラ立っています。

監督はその様子を、背景のバラバラ事件で深層心理的に観客に植え込もうとしているようです。

この「人形をふりまわすシーン」で、思い出した映画があるのです。映画「クライング・ゲーム」(1992年)です。

映画「クライング・ゲーム」も映画の冒頭、カップルの女性がぬいぐるみを乱暴に振り回しているのです。彼女の本性はテロリストの女性でした。その内面を映画「未知との遭遇」同様に観客に植え込もうとしていたようです。

そして、映画「未知との遭遇」(1977年)も映画「クライング・ゲーム」(1992年)も、主人公はそうしないではいられない性(さが)に操られていました。

追記Ⅵ ( 映画「未知との遭遇」② ) 
2021/8/8 10:15 by さくらんぼ

映画「クライング・ゲーム」のDVDのパッケージにも使われているチラシ写真。

光と影の中で、

横向きのヒロインが着ている、きらびやかなミニのドレス、

よく見ると、銀河の中に、たくさんのUFOが隠れています。

ヒロインは宇宙人の記号なのでしょう。

すると、主人公にとっては未知との遭遇。

( 画像をお借りした方には感謝を申し上げます。)

追記Ⅶ ( 映画「未知との遭遇」③ ) 
2021/8/8 12:43 by さくらんぼ

>ヒロインは宇宙人の記号なのでしょう。(追記Ⅵより)

もし、私の想像が当たっていたとして、

LGBTである映画「クライング・ゲーム」のヒロインを宇宙人扱いするのは、現代の感覚で言えばアウトでしょう。

しかし、この作品は最近作られたのではありません。

時代背景と、宇宙人映画へのオマージュだということも考慮しての評価が必要だと思います。

追記Ⅷ ( 映画「未知との遭遇」④ ) 
2021/8/8 13:05 by さくらんぼ

>ヒロインは宇宙人の記号なのでしょう。(追記Ⅵより)

書き忘れましたが、ご承知のとおり、その宇宙人は神だったのです。

映画「未知との遭遇」とは、神に選ばれた複数の者たちの、死と復活のお話だったのかもしれません。

イエスを連想するような。

なぜ私が、監督の代理みたいに映画のフォローをしているのか疑問がわいてきましたが。

追記Ⅸ ( 映画「未知との遭遇」⑤ ) 
2021/8/9 6:33 by さくらんぼ

映画「クライング・ゲーム」の冒頭、ぬいぐるみシーンのあたりでは、背景に二人がデートしていた遊園地が象徴的に映っています。観覧車は映画「未知との遭遇」のマザーシップ(空飛ぶ円盤の巨大な母船)の記号なのでしょうか。

主人公・ファーガスがバイトする場所はビルの工事現場で、武骨なデビルスタワーの記号。

ファーガスたちが警察のヘリコプターで攻撃を受ける前半の部分は、デビルスタワーのヘリコプター追跡シーン。

ファーガスとテロリストの女性が部屋の中で戦うシーンがありますが、記憶が確かなら、血のりか何かで床が滑って上手く動けないのです。あれはデビルスタワー作りで汚れた室内とか、宇宙人が冷蔵庫を開けて汚した室内の記号だったのかもしれません。

もう一度観てさがせばもっとあるのでしょう。

追記Ⅹ 2022.7.14 ( お借りした画像は )

キーワード「観覧車」でご縁がありました。まさにUFOみたいな観覧車ですね。色が滲んでいるところもクールです。無加工です。ありがとうございました。 

追記11 2022.7.16 (  映画「未知との遭遇」⑥ )

>ところで、主人公のテロリストが口にした面白い「性(さが)を例えた蛙とサソリの話」あれは今考えると主人公の性格を表現しているのではなく、テロリスト達の持っている原理主義に固持する性質を語っているのではないかと思った。彼らはそれが自滅の道を歩むかもしれなくても、そうしないではいられないのであるから。

>しかし、それが破壊の為ではなく、ひとたび愛のために生かされたなら、この映画の様な結末を迎える事になる。映画はそう語っているのだろうか。この作品はとても心が温まる傑作となった。(本文より)

主人公のテロリスト・ファーガス( スティーヴン・レイさん )は根が優しすぎるがゆえに、不本意であっても、そうしないではいられないようです。

①映画の前半、ファーガスは、誘拐した黒人兵士・ジョディ( フォレスト・ウィテカーさん)の見張り役をします。しかし、ジョディは話し好きで、ファーガスに話しかけるうちに、「小便がしたいから、(縛られているので)俺のおちんちんをズボンから出してくれ。何を困惑してるんだ、ただの肉の塊だから問題ないさ」みたいにせがむのです。そして、とうとうファーガスにやらせてしまいます。

②そして、「恋人・ディル(ジェイ・デヴィッドソンさん)の写真を見せ、「もし俺が死んだら、『愛していた』と伝えて欲しい」とも頼みます。「最高の娘なんだ」とお願いします。その後、警官隊が来て、逃げ出したジョディはトラックに轢かれて亡くなります。事故死でした。

約束通り、ファーガスはディルのところへ向かいます。

ディルが美女だと知ったから、つい、願いをかなえてしまうのは、男の性とも言えそうですが、少年の初恋では無いのです。テロリストになるような世間ずれしたおじさんが、その娘にこだわるのは不自然と言えば不自然です。それに、自分が死に追いやったと言われ、返り討ちに会ったり、警察に通報されても仕方ないリスクを冒してまで、ディルに近づくでしょうか。

③やがて、ディルがLGBTで肉体的にはおちんちんもある男性なのを知って、大きなショックを受けますが、それでも、捨てられないのです。

④そうこうしている内に、追ってきたテロリスト仲間の女性から襲撃を受けますが、意外にもディルが反撃して殺してしまいます。ディルは三角関係でファーガスを取られると思ったのでしょうか。

ファーガスはディルを殺人罪にするわけにはいかないと思い、自分が罪を被って刑務所に入ります。

そこにディルが面会にくるのです。

「恋人の罪を被って刑務所に入るなんて…これ以上の愛は無いわ。あなたの健康管理は、これから私の仕事よ」と。

⑤しかし、LGBTを恋人にする趣味の無いファーガスは、ディルのご機嫌を損じずに別れるため、あれこれ弁明をするのですが、目がハートマークになっているディルに通じるでしょうか。

①~④は、表層上、優しすぎるテロリスト・ファーガスの悲喜劇とも言えそうですが、深層では、映画「未知との遭遇」と同じく、ジョディとディルからのテレパシーでファーガスは操られていた、とも言える気がしてきたのです。

追記12 2022.7.17 (  映画「未知との遭遇」⑦ )

ネットにUPされている映画「クライング・ゲーム」の本編動画の一部に、こんなエピソードがありました。

テロリストたちに捕まり、頭から布袋をかぶせられ、後ろ手に縛られて座っているディルがいます。

そこにやってたファーガスに、ディルは「袋をとってくれ」と言いますが、ディルは断ります。すると唐突に、あの「サソリとカエルの話」(性・サガについてのたとえ話)をするのです。

「どういう意味だ」というファーガスには、「話した通りさ」としか答えず、それどころか、再び「さあ、袋をとってくれ」と、お願いではなく、今度は指示をするのです。

すると、なにか心境の変化があったのか、あっけなくファーガスは袋をとってしまいます。

これは表層的には、フォーガスの性・サガを見抜いたディルが、「お前は根は優しい奴だから、上司の命令はどうあれ、袋ぐらいとってくれるさ、そうだろ!?」と迫ったのだと思いますが、深層的には「サソリとカエルの話」という呪文で、ディルがフォーガスを操った瞬間の映像なのだと思いました。



( 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 

更新されたときは「今週までのパレット」でお知らせします。)


#映画感想文

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?