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この日この時から

出逢い」編に書いたように、70年代の西城秀樹が所属する事務所は赤坂にあった。赤坂のTBSの「TV玄関」を出て、目の前のさほど広くない「一ツ木通り」を渡ったところの中村ビル。その当時でも既に年季の入った建物で、IFはピンクと白の庇が華やかな喫茶「アマンド」、そのすぐ横にビルの入口があり、薄暗い階段が続いていた。

74年4月、私と友は初めて行ったその赤坂で、まさに出会い頭に(今風に言えば「秒で」)秀樹に会ってしまった訳だけれど。その記念すべき日、会った後にどうしたのか、なぜだかさっぱり覚えていない。

たぶん、秀樹がビルの中に入っていったあと、わらわらと彼を追っていた女の子達にまざって、その入り口付近で呆然と立っていたのだと思う。しばらくして出てきた秀樹が車に乗って次の仕事に向かうのを、呆然と見送ったのだと思う。そして呆然と、帰ってきた。これは夢? と思いながら。

たぶん、そんなことだったはず。
それでも。あの日あの時、私達は知ってしまったのだった。
あそこに行けば、秀樹に会える。あんなに簡単に会えてしまう。
そのことだけは、しっかりと胸に刻まれた。

だからその数日後、わたし達はまた行ったのだった。
学校帰りに、再び赤坂へ。
が、この前と違って辺りは静かだった。目に入るのは、せかせかと行き交う大人たちだけで、女の子の集団は見当たらない。アマンドの前に、セーラー服の子がひとりいるだけ。栗色のロングヘアーのきれいな女の子。
この子もファンかな。ここで待ってていいのかな。

そう思いながらビルの入り口に立っていると、また制服姿の女の子が。ひょろっと背の高いカーリーヘアの大人っぽい人と、ふっくら愛嬌のある小柄な子の二人連れ。たぶん、みんな高校生。たぶん、みんな秀樹ファン。
そうは思うものの、でも特に話しかけることもなく。お互い微妙な距離をとりながら、なんとはなしに待つこと小一時間。

やっぱり、いつも来るわけじゃない、いつも会えるわけじゃないよね。今日はもう来ないのかな。と、思い始めたその時。
TBSのビルの横の急坂から見覚えのある車が。
あれは、この前見た、茶色い外車。
もしかして。
そう思ったとたん、みんなが無言のまま、前に進み出て。
え、うわ、ほんとに…?

アマンドの前で横一列に立つわたし達の前に、車が静かに停まる。
停まると同時にドアが開いて、長い脚が。
すっと降りてきた秀樹は、私達をちらっと見ながら、ビルに入っていく。慣れた様子の彼女達も、あとから階段をあがっていく。
え、中に入っていいの?

思いのほか急な階段をあがり、狭い踊り場で折り返して2階へ。そしてまた踊り場で折り返し、3階へ。その右手にある「芸映」と書かれたドアを開けて、秀樹が「おはようございます」と入っていく。

ドアの手前の階段の少し下で止まった彼女達に倣い、友と私も立ち止まる。少し遠慮して、2階と3階のあいだの踊り場あたりで並んで待つ。時折ドアを出入りする芸映の人たちの邪魔にならないように、脇に寄って。お喋りもせず、静かに。

10分も経たないうちに、かちゃりとドアを開けて出てきた秀樹は、そのままドアの前の踊り場に立った。愛想笑いをするでもなく、壁に寄りかかってわたし達の方を向く。なんとはなしに、みんなが数段あがって、秀樹に近づく。つられるようにして、友と私も秀樹の近くへ。

背の高いカーリーヘアの子が、「札幌、どうだった?」と訊いている。
寒かった。
ほんとに? 
うん、セーター着てた。

ぽつりぽつりと話す秀樹の声は、TVで聴くよりも掠れていて、わたし達の顔を見たり見なかったり。みんなの話も途切れがちで、でも秀樹はそれを気にするでもなく、ただそこにいて。そこにいてくれて。

さ、行かなきゃ。
そう言って秀樹は芸映の中に。すぐにまたドアが開き、マネージャーらしき人と共に出てきて、階段をおりてくる。
そして、わたしたちの横を通り過ぎるとき、ちらっと顔を見て、小さく、「またね」。

たたたっと駆け下りてビルの外へ。いつの間にか車の前には、女の子たち。出てきた秀樹を見て、きゃあ、と小さな嬌声が湧き上がる。

乗り込んだ車の窓に見える横顔を見送ったあと、友とわたしは立ち尽くしていた。喋ることもできず、放心していた。
この前会えたのは千にひとつの偶然で、二度とないことかも。そう思ってもいたのに。こんなふうに会えてしまうなんて。見知った顔でもないわたし達がいることを訝るでもなく、自然に接してくれた。またね、って言ってくれた。

本当の意味で人生の道筋が変わってしまったのは、最初の偶然ではなく、この日この時から。今思えば、それがよく分かる。

あの日あの時、秀樹がどんな服を着ていたのか、私服とはいえ学校帰りの自分達がどんな格好をしていたのか、さっぱり覚えていないけれど。でも秀樹を見送ったあとの、あの初夏の夕暮れの街の匂いは、なんとなく胸の奥に残っていて、時折ふっとよみがえっては、切なさを連れてくるのです。




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