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あの日の青空~出逢い~

あの日。友とあたしは、いつもの駅で降りなかった。降りるべき駅に着いても座ったまま、銀色の扉がゆっくりと閉まるのを眺めていた。
        

高校に入って親しくなったその友とは家も近く、自然と登下校を共にするようになっていた。いつもの駅から小一時間電車に乗って郊外にある学園に向かい、授業が終われば又小一時間電車に揺られ、いつもの駅で降りて家までの商店街をぶらぶら歩く。
 
まさに歌謡曲全盛期。毎日いくつもの歌番組が繰り広げられ、家にも街角にも喫茶店にも、絶え間なく歌が流れていた。本屋に並ぶ雑誌の表紙は、人気歌手たちの笑顔で埋めつくされていた。友とあたしはそんな本屋の軒先に立ち、誰が好き?と訊きあって、同時に同じ雑誌を指さした。驚いて顔を見合わせ、抱き合って笑いころげた。

雑誌には、ご丁寧に「ファンレターの宛先」も載っていて、その歌手が所属する事務所は、どうやら赤坂にあるテレビ局の真ん前にあるらしかった。意外にもそこは、あたし達が住む町から、そう遠くない。いつも通学に使っている私鉄から地下鉄に乗り換えれば、学校帰りにでも、「簡単に行ける」。

ここに行けば、本人がいるのかな。いやいや、そんなわけないでしょう、会社員じゃないんだから。笑いながらそんなことを言い合って、でも一度行ってみようか、近いし、面白そうだし。うん。じゃあ、授業が早く終わる日に。

そう。あれは、そんな軽い気持ちからだった。ちょっとした好奇心、ただの、思いつき。

そして、あの日。
降りるべき駅を通り越したあたし達は、地下鉄に乗り換え、初めての駅に降り立った。まだ新しい地下通路をこつこつ歩き、ここでいいのかな、と首を傾げながら、白いタイルの壁に挟まれた階段をゆっくりと上った。

地上は、明るい初夏の午後だった。
大きなテレビ局の前のアスファルトは、澄んだ青空から降る光に満ちていた。

その光の中を、歩いていく人がいる。ゆっくりと大股で渡ってゆく。その彼に付き従うようにして、大勢の女の子たちが道を渡る。わらわらと集まってきて、そこここに小さな島をつくる。

え? と足をとめた、ちょうどその時。その人が、ふいに振り向いた。みんなに向かって、小さく手を振る。まるで自ら発する光を、撒き散らかすようにして。そのまばゆさに、あたしと友は息を飲み、互いの手を握り合った。声も出せずに立ち尽くした。

まさに。
まさにそれが、西城秀樹、その人だった。

幸か不幸か。あたし達の日常は、その日を境に変わってしまった。

そりゃあそうでしょ。ちょっとした思いつきの「寄り道」で、いとも簡単に「憧れの人」に会えてしまったのだから。今振り返っても、無理はない、それは仕方のないことだった、と思う。

学校が終われば、一目散に赤坂へ。あるいはテレビ局へ。そんな毎日が始まった。もちろん、あんな偶然が毎回あるわけもない。それでも良かった。構わなかった。

あの時代、歌謡曲だけでなくドラマもバラエティも(つまりはテレビが)それぞれ元気で、TV局を中心としたあの辺り一帯には、一種独特の空気が流れていた。誰よりも面白いことをやってやろうと目を輝かせ熱を発する大人たちが沢山いた。ひと癖もふた癖もある時代の創り手や、まだ若き時代の担い手。そういう人たちに憧れて集まってくる、大人びたキレイな女の子たち。

あの日、あの青空の下。
偶然の洗礼を受けたおかげで、学校生活では出会うはずのない人たちと出会い、親しくなって、日々の密度は増していった。高校時代の3年間、あたしはまだ何もできない子どもでありながら、あの熱狂の片隅に置いてもらっていた。きらきら輝く大人達が次から次へと繰り出す手品を、舞台の袖から見せてもらった。

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と、ここまでは2018年5月26日に書いたもの。この10日前、最初に訃報に触れたときは、なんだか呆然としてしまった。どう受け止めていいのか分からなくて、でもこれでもう辛い想いをしなくていいんだよね、よくがんばったもん、もういい、お疲れさまでした、何度も胸の中でそう思った。思ったのだけれども。やっぱりそれだけでは終われない。

よく、「ひとつの時代が終わった」とか「青春そのものだった」とか言うけれど。確かにそうともいえるけれど、でも、何かが違う。それとも違う、喪失感。寄る辺なさ。これは何だろうと考えるうちに、日々が過ぎて。

ひとつ思い当たるのは。あの頃の大人達が、もう居ない、ということだ。いつかまた会ったら、あの時のことを話したい。次に会ったら、あの頃のことを語り合いたい。そう思っていた、人達。寺貫のスタジオで怒鳴り声をあげていた久世さんも。友とわたしが大人になってからも何かにつけて会っていた、伝説のマネージャー・秦野さんも。そしてその中心にいた、秀樹、その人が。
みんな、いなくなってしまった。


心もからだも、なんだか急にすかすかになってしまって、それを埋めようとするかのようにネットを辿った。追悼記事、コメント、軌跡、功績。そして音源、動画。追うごとに、驚いていた。

テレビでも、ライブでも。いつだって手を抜かず、全速力で駆けまわり、からだごと、まさに全身全霊で歌っている。そうやって歌い続けても、音程がぶれない、リズムが狂わない、声量が落ちない。何曲だって歌える、このまま死ぬまで歌い続けたい、心底そう思っているような。

なんてこと。
こんなにも歌が上手かったのか、こんなにも歌うことが好きだったのか、こんなにもすごい人だったのか。

呆然としていたわたしは愕然とし、そしてしだいに焦りはじめた。だめだ。このままじゃ。伝えなきゃ、もっと知ってもらわなきゃ。居ても立ってもいられないような気持になって、ツイッターにアカウントを作った。西城秀樹という類い希なるエンターテイナーを広く伝えるための、専用垢を。

さて、何から始めよう。そう思って眺めてみると、そこにはたくさんの同志が居た。自然に集まってきた、同じ思いの人達。40年以上のファン、わたしのように戻ってきた"ブーメラン"ファン、そして訃報を機に沼に墜ちてしまったという新規ファン。

集まるうちに、少しずつ何かが始まった。決して事務所とかFCが主導するものではなく、あくまでファンによる自然発生的なもので。誰かひとりが仕切る訳でもなく、それぞれが発信し、情報を共有し、個々に試行錯誤して要望を届けたり拡散したり。ここぞという時にはアイデアを出し合い、集結し、結束して。

2018年5月。そうして、西城秀樹の軌跡・功績を広く伝えるための「秀活」が、スタートしたのだった。

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今思えば奇蹟のような日々。なのに何の記録も残っていないから、記憶もどんどん薄れていく。せめて、ちいさな場面だけでも。少しずつ、記していこうと思います。


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