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ほろにがバレンタイン(75’)

あの頃。
事務所界隈でよく会っていたメンバーの間には、暗黙のルールのようなものがあった。秀樹が来ても、騒がない、まとわりつかない、負担をかけない。

だから日頃はプレゼントや手紙も控えていた。渡すとしても、ガムとかミントキャンディとか。手紙も、小さなメモにしてみたり。でも。さすがに大きなイベントには、何かしたい。贈り物をしたい。想いを伝えたい。特にバレンタイン には……。

ただ、2月には大事な予定があるらしい。かねてからの宿願であるアメリカでのレコーディング。世界的歌手を目指す秀樹の、夢への第一歩。

それって本当にすごいこと。でも、海外に行くのはいつからいつまでだろう。14日は日本にいるのかな。もしかしたら空港に迎えに行って、そこでチョコを渡すなんてことになるのかも。

75年の年明け頃には、そんなことを思っていた。どきどきわくわくしながら、あれこれ予定を考えていた。
ところが。

1月半ばのある日。スタッフが言った。
海外レコーディング、中止になった。
え。
驚いて言葉がでない私と友に向かって、彼は淡々と言った。
健康診断で、不調がみつかって。傷めた喉を休めるために、海外の予定だった2週間ちょっとを、入院と休養にあてることになっちまった。

そんな……。

色んな想いが渦巻いて、私達はしばらく呆然としていた。あれこれ思い巡らせて、ふたりでぽつぽつ話し合った。
2月の最初から、2週間ちょっと。
っていうことは、バレンタインは……。

16歳の私達は、子どもだった。どうしようもなく、子どもだった。本当に、つくづくそう思う。
だって、なんだかんだと悩んだ末、私達がとった行動。
それは。
チョコレートクッキーを焼くこと。

もちろん、何よりも先に「秀樹、かわいそう」という想いはあったはず。なんとか少しでも慰められたら。そうも思ったはず。
でも、たぶん。
まだまだ子どもで恋に恋するばかりの私達は、考えたのだ。

とにかく入院しちゃう前に、プレゼントを渡さないと。14日に会える可能性は低いから、だったら1日も早く、想いを伝えてしまわないと。

そして、1月末。焦るような想いでチョコレートクッキーを焼き、できる限りきれいに包んで、心をこめてカードを選び、想いをしたためて。そのプレゼントを手に、赤坂へ向かったのだった。

たぶんその日は何かの歌番組があったのだと思う。
いつものようにアマンド横のビルの入口辺りで待っていると、秀樹が向かいのTBSのTV玄関から現れた。が、珍しく事務所には寄らずに次の仕事に行くようで、そのままそこで迎えの車を待っている。しかも、番組観覧から流れてきたらしい女の子達が、遠巻きに秀樹を取りかこみ、いつになく辺りはざわざわと浮き立っている。

どうしよう。
一ツ木通りをはさんで、向こうとこちら。
これじゃ、いつもみたいには近づけない。
友とふたり、プレゼントが入った袋を抱えたまま、立ちつくす。

と。
ふっと、秀樹が歩き出した。
ジーンズのポケットに手を入れたまま、さほど広くもない通りを渡ってくる。散歩でもするかのように、ゆっくりと、何気なく。そして私達のすぐ近くに停めてあったアマンドの配達用のバイクに、ちょこんと腰掛け、こっちを向き、小さく鼻歌を歌いながら辺りを眺めている。

来ていいよ、っていう秀樹のサイン。
話しかけていいよ、っていう、いつものサイン。
静かに近づいて、勇気をだして口をひらく。

「秀樹。……これ」
「ん?」
「バレンタイン……」
 え? と怪訝な顔。
「なんで?」(まだ1月なのに)
「だって……」(入院しちゃうんでしょ)
「あ……」(入院か)
「バレンタインには……」(会えないじゃない)
「……うん」

いつも通りの、ぼそぼそとした会話だったけれど。だからこそ、言葉にならない想いがあふれてしまって。なぜか私達はちょっと怒り気味で。入院しちゃうなんてと責めるみたいな。秀樹の辛さや痛みをなぐさめることもできず、会えないことの淋しさばかりが大きくなって。

3つしか違わないのに、秀樹は大人だった。しばらくの間、何も言わずそこにいてくれた。派手なピンクと白のアマンドバイクに腰掛けたまま、泣きだしそうな幼い恋心を受けとめてくれていた。


誰よりも辛いのは秀樹自身だったのに。
子どもだったとはいえ、ほんとにごめんなさい。

と、バレンタインの想い出は、少しほろ苦くもあるのです。

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この時の週刊誌の記事、秀友さんのasachanさんがUPしてくれていました。アサちゃん。いつも貴重な記録を、ありがとう。

そしてまた、姫香さんもこんな記事を。

いったい真相はどれなのか。本人に訊いてみたかったけれど、でもきっと当の秀樹も「忙しすぎて覚えてない」って言いそうだし。秦野さんに確認してみればよかった、とも思うけど、でもやっぱり「そんなの覚えてないよ」って言われそう。とにかく、忙しすぎる日々だったっていうこと。それだけは確かな事実。

で。
この想い出ツイを読んだlily_botanさんが、妄想絵を描いて下さって。私はもちろんこんなに可愛い女の子じゃなかったけれど、でもあの時の、あの空気感、すごくよく出ていて嬉しい。私の宝物になりました。ほんとうにありがとう。


※この記事初出は2022年ですが、2023年2月に姫香さんが新たな記事をUPしてくださったので、編集しなおしました。

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