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誰にも言えなかったこと

一度、自殺を試みたことがある。

小学校の頃はたくさんの友達と元気に外で遊び、成績は優秀、学級委員を務め「学校の有名人」だった僕は、中学になると思春期ゆえか強烈な自意識によって自由を失いふさぎ込むようになった。家族とも言葉を交わさなくなり表情が無くなった。
必死に勉強して入った高校では、県内から集った優秀な生徒たちに天狗の鼻をへし折られ、「何もかもうまくいかない」と悲観する時間が日に日に長くなっていった。
恋愛も、楽しい学校行事も、当時の自分には漫画の世界の話でしかなかった。

大学に入っても状況は何も変わらなかった。多くはないけれど楽しく過ごせる友達がいて、楽しめることは身の回りに転がっていたと今ならわかる。しかし、当時の自分はまるで暗い世界を一人彷徨っているような気分だった。寝ている間に死んでいたらいいのにと思ったことが何度あっただろう。

ある日、刑事ドラマの再放送でドアノブに首を吊って自殺をしているシーンがあった。夜中になってネクタイを使って同じことをした。苦しかったけれど死ぬ気配は一向にしなかった。死ねるだけの覚悟が自分にはないと悟った。
そして、ならば生きるしかないと決意した。

手始めに精神科に行って自分の辛いと思うことを洗いざらい話してみた。例えば、『高校のころ昼休みのサッカーで足技を使ったら別のクラスの男から「今のいる?」と笑われて心底不愉快だった』、とかそういう話。くだらない、そんなこと気にするなよ、と笑われそうで怖くて話せなかったことだった。数か月のカウンセリングが必要だと言われたが高価だったので受けなかった。何より話してスッキリしたので、それで十分だった。

サークルは入る勇気がなくて、勉強が活かせそうなゼミ選びに真剣に取り組むことにした。藁をもつかむ思いで入りたいゼミの試験を受けた。
とにかく印象に残らなければと思うあまり、履歴書の裏面を真っ黒にぬって、女子受けが最悪なモノマネをしてしまった。
後から聞いたところでは、僕ともう一人でどちらを入れるかで大揉めになり、最終的に評定が高いという理由で合格したという。
今でもみんなで集まる大切な人たちと出会えて、僕の寿命は延びた。
もしゼミに受かっていなかったらと思うと本当に恐ろしい。

高校からの友人たちも本当に自分の助けとなった。みんな変な奴ばかりで、恋愛経験がないとか「普通じゃない」なんてことは気にしなくてよかった。「こちら側」だと思えた。一時期離れたこともあったけど、恐らく死ぬまで付き合う仲間だろう。

何年もかかって、社会人になった僕の考え方はあの日の自分と変わった。
ネガティブなことを考える暇を与えずに、仕事をして友人と会って趣味をして恋もして、明日からも生きていく予定である。

そういう意味では、あの日確かに僕は「死んだ」。
命を失わずに済んだことに心から感謝している。

眠れない夜に、今まで誰にも言えなかった過去の話をここに昇華する。



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