見出し画像

母の味と父の味

自分で再現できない味、それは母の味と父の味だと思っています。
母の味・父の味と聞いて、あなたはなにを思い浮かべますか。

私にとって母の味は「納豆スパゲッティ」や「大きなコロッケ」、「枝豆とコーンとちくわのかきあげ」です。そして、父の味は「手作りお好み焼き」。

どの料理も自分で作って食べるものの、毎回コレジャナイ感が残ります。
母の味も父の味も、作ってもらうからこその味なんだと、しんみり思うのです。

あと何回あじわえるのか

本屋さんを巡っているときに、ある本が目にとまりました。
『あなたが母親の手料理を食べられる回数は、残り328回です。』(上野そら/著)

この本は短編集になっており、そのなかのひとつに題名のお話がありあます。

-----------------

ある日、とつぜん主人公は謎の数字が見えるようになった。どうやらその数字は、母の手料理を食べるごとに減っていく。

もしかして、この数字がゼロになったら母は死ぬのではないか。そんな考えに至ってからは、恐れと不安から母の手料理を一切食べなくなった。

いままで喜んで口にしていた母の味。手作りのお弁当から家での食事まで、大好物が出てきても口にしなくなった。

そうして、母を避けるように一人暮らしをはじめる。母の手料理を食べなければ、見えている数字が減ることはない。これで、母の身は大丈夫だ。

母が悲しんでも、母の健康が保たれるなら…。
主人公はそう考えていたが、真実は思いもよらないことに。

-----------------

数字が示すとおり、母や父の手料理を食べられる機会は有限です。ただ、実際には数字で見えていないために、無限と錯覚してしまいます。

私たちはあと何回、父や母の味をあじわえるのか。
そもそもあと何回、父や母と顔を合わせ話すことができるか。

実家に帰ったら、私がご飯を作って楽をさせてあげなければ。
もう実家を出ているのだから、頻繁に帰るのは迷惑だろう。

そんな風に思っていましたが、この本を読んでからは甘えてもいいのかなと思えました。

いつ食べられなくなるかわからない、母の味と父の味。
食べられるうちに、めいっぱい食べさせてもらおうと思います。

夢のあるものをつくっていきます。応援していただけると嬉しいです。