ボヘミアン・ラプソディ

 夫になる、はずの人だった。口約束だけしかしていなかったとはいえ、結婚することを約束し合った相手だった。そう、本当にこの人と結婚するのだとわたしだって心から信じていた、はずだった。別れは唐突に訪れ、そしてそれは想像していたよりもずっとずっと穏やかな別れだった。別れの予感が全くなかったというわけでもなかったのだが、もし別れることになるとすれば、それなりに荒れた別れになるだろうとは想像していたので、それはもう拍子抜けしてしまいそうなくらいには静かな別れだった。最後に彼と会って別れた日から十日が過ぎた。わたしはそれからの日々を特に大きく落ち込むようなこともなく過ごしたが、それはどちらかというと、落ち込まなかった、というよりも、目の前に日々に追われていたら落ち込む暇もないうちに気がつけば十日が過ぎていた、というような感じだった気がする。抱きしめ合って最後にお別れを伝え合った日の翌日からのわたしは、それなりに忙しかった。この十日の間にあった出来事を思い出すと、とても十日間とは思えないくらいにはそれなりに色々とあったような気がするが、そもそもほとんど毎日がずっと仕事だったし、その日常の合間に、勤務先の会社の店舗が新しくオープンしたり、友人がコストコの会員に新しくなったので一緒に買い物に行ったり、といった、大したことではないけれど日常のこととも言い切れないというような出来事があったりするうちに過ぎ去っていた。
 目が覚めてからもひとりのベッドにだらだらと寝転がっていたら夕方になっていた。久しぶりにやっとゆっくりできる日になったので、きのうは寝る前に家でお酒を飲んだ。レースのカーテン越しに西日が低く差し込んでいる。セミダブルのこのベッドについしばらく前まではふたりで寝ていたはずだが、本当にそうだったのかどうか、よくわからないように思えてくることがある。あれからまだ十日しか経っていないし、しかし、もう十日も経ってしまっている。ふたりで暮らしていた日々の確かさが、よくわからなくなってしまったような気がしていた。だが、ふとした時に、彼の痕跡を家の中に見つけてしまい、わたしはそれが確かに事実だったのだということを改めて知り直すことになる。たとえば彼が作ったカレーがジップロックに入って凍っているのを冷凍庫の中に見つけたとき、たとえば流しの下の雑巾が入っている袋の中に古くなった彼のトランクスが入っているのを見つけたとき、たとえば下駄箱の隅っこにぺたんこに潰れた彼の古いビーチサンダルを見つけたとき、そういうふとした瞬間に、確かに彼もここに暮らしていたのだということを、まるで真新しい事実のようにして、わたしは知ることになる。もともとはわたしがひとりで借りていた部屋で、そこに彼が泊まりにくるようになり、そしてやがて住むようになった。地方への出張がそこそこには多い仕事の人だったので、わたしの部屋に泊まりにくるようになってしばらくすると、ひとまとめにした荷物だけを持って彼は自分で借りていた部屋を解約して、出張がないときはわたしの部屋に帰ってくるようになった。家賃もきちんと半分入れてくれていたし、もともと荷物があまり多くはない人だったので、わたしの部屋がひとり暮らしにしては広めだったということもあり、彼の荷物はすっぽりわたしの部屋に収まり、ごくスムーズにふたりでの暮らしは始まった。その日々がそれから一年近く続いて、そして彼は十日前に出て行った。
 二日酔いというほどでもないのだが、あまり気分のいい目覚めではなかった。昼過ぎには一度目が覚めたが、まだ起きる気にはなれなくて、トイレに行って台所で水を飲んで、また布団の中に戻った。ふたつ並んだ枕のうちのわたしの頭が乗っていないほう枕の上に、画面の消えたMacBookが開いたまま置いてある。寝る前に映画を観ようとして、眠くなってやっぱりやめたことを思い出した。ひとりで寝るのに枕はふたつも要らないはずだが、彼が出て行ったあともなんとなくそのままふたつ置いてあるし、なんとなく、今まで通りベッドの片側半分に体を埋めてわたしは眠っている。彼が使っていた枕を、明確な意思を持ってそのままにしていた、というよりも、枕をひとつどこかにどける、ということを思いつなかったというだけなような気もするが、その枕をしまえるちょうどいい空きスペースはいまクローゼットにはなかったし、かといってわざわざ捨てる必要性を感じていたというわけでもなかったので、そのまま置いて置くという以外の選択肢については考えさえもしていなかった。だからといって、また彼がここに戻ってくることを期待しているわけでもなかったし、とりあえず当分しばらくは、ここにふたりで並んで眠ることはもうないだろうというふうにはわたしも思っていた。布団に潜ってスマホを触ったりしているうちに気がついたらまたうとうとと眠ってしまい、そしてまた目が覚めてからもそのまま横になっていたらすっかり夕方になっていた。うたた寝しているときに夢を見たこは覚えているが、それがどんな夢だったのかはあまり思い出せない。なにか、住んだことも行ったこともというない家にいる夢で、誰かと一緒にいたはずだが、誰といたのかを目が覚めたときにはもう覚えていなかった。すこし喉が渇いていたが、どういうわけか空腹感はあまり感じなかったし、やっぱりまだ起きる気にはなれなかった。流石にもう眠れそうにはなかったが、布団から這い出るという行為が、死ぬほど億劫なことのように思えてしまい、そのままだらだらとわたしはベッドの上にいた。見慣れた天井の模様を眺めたり、車の通り過ぎる音や一本裏の通りでやっている工事の音に耳を傾けたり、スマホの画面をつけてそれからまた消したりして、わたしはだらだらとそこにいた。太陽が低くなって、実際の温度はもちろんのことだが、目に見える風景も、少しずつ寒くなっていくような感じがした。昼に最初に目が覚めた時は、部屋中に光が満ちていて、明るくて暖かだった。だんだんと太陽の光が弱くなるのにつれて、夜が来るのだという認識が、じわじわと意識の中へと侵略してくる。忘れもしないが、最後に彼とこの部屋で過ごした日は、そう、日曜日だった。明日の朝が来たら、わたしたちは恋人同士ではなくなって、他人になる。少し前にふたりで話し合って、恋人でいる期限をその日曜日までにすると決めてあった。その日はそうあまり早くもない朝に目覚めて、どちらからともなく服を脱ぎ、互いの体を触り合い、それからゆっくりと時間をかけたセックスをした。直接性器を触られていたわけではなかったのに、肌を触れ合わせているうちにわたしはすっかり濡れていて、彼のあれはすんなりとわたしの中に入って来た。わたしのなかに入ると、彼はわたしの体を抱きしめ、そして動きを止めた。彼が動かなくても、繋がっている部分から身体中にじんわりと気持ち良さが広がって来て、なんだか不思議な感じがした。いつもは腰を動かして自分のそれをわたしのなかへと出したり入れたりするくせに、その日、彼は入れてから全く動かなかった。ねぇ、全然動かなくてもきみもちゃんと気持ちいいの? わたしは思わず彼にそう聞いてしまった。うん、なんかこう、包まれてるみたいな、っていうのかな、動かないでいるとさ、逆に、入ってるっていうだけで、気持ちいいんだよ。わたしの中にあれを入れたまま、少しだけ動かないでいる、ということくらいならいままでにも何度かはあったような気がするが、ここまでにも動きのないセックスは、いままでにしたことがなかった。動くセックスがが嫌いなわけではないし、わたしが上に乗って動くことだってたまにあるが、入っているのに全く動かないというセックスには、経験したことのない不思議な安らぎがあって、とても心地よかった。それならもしかすると、ただ裸で抱き合っているだけでもいいのかもしれない、とも思ったが、そのことを彼に言うと、それだと勃ってるのが邪魔になるじゃん、だからなかに入れてぴったり収まってれば、限界までくっつけるからさ、そっちのほうがいいと思うんだけど、と言っていて、その彼の言い分はややよくわからなかったが、しかし、わたしもその言葉にはなんだか妙に納得してしまったような気がした。確かに、裸で抱き合っていれば、彼はすぐに勃つし、ふたりの体の間にそれがあると、ぴったりと密着することはできない。だから、わたしのなかにそれを収めてしまえば、驚くほどに近付くことができるようになる。体をぴったりとくっつけて繋がったまま、いままでふたりで過ごした日々のことからふといま思いついた他愛のないことまで、わたしたちはゆったりとおしゃべりをして過ごした。あまりにも馴染み過ぎて、時々、本当にきちんと入ってるのかどうか不安になったが、手で触ってみると彼のそれは硬いままで、しっかりとわたしのなかに収まっていた。ふと思い出したように、彼は時々、話の途中だろうと何だろうと、腰を全く振らない代わりに、わたしの乳房を吸った。もうすぐ卒乳だね、と笑いながら彼が軽口を叩いて、しっかりしていると思いきや子供みたいだったりもして、ほんとうに変なひとだったな、と付き合っていた日々のことをわたしは思い出してしまった。わたしの乳首を彼の舌先が転がすたびに、電気が走るように身体中に快感が響き渡る。結局、信じられないことにわたしたちは繋がったままベッドの上でそのまま二時間近い時間を過ごた。彼に胸を吸われているうちに打ち寄せる波のような快感を抑えられなくなってわたしが絶頂を迎えると、彼が射精しないまま、そのセックスは終わった。もうすぐ冬になろうという季節だったのにも関わらず、ふたりともじんわりと汗ばんでいて、裸のまま並んでしばらくはベッドに横たわっていたが、やがてもそもそと起き上がって、裸のままふたりでバスルームに行って一緒にシャワーを浴びた。セックスの後に一緒にシャワーを浴びたことも、考えてみるとやや意外ではあるが、初めてのことだったかもしれない。セックスの前に一緒にお風呂に入ったりシャワーを浴びたりしたことならもちろん何度もあったが、セックスのあとはそのままふたりとも眠ってしまったり、あるいはどちらかだけがシャワーを浴びたりするというようなことばかりだった。シャワーから出て時計を見るとすっかり昼を過ぎていてた。声に出して笑ってしまいそうになるくらいにはふたりとも空腹で、軽く相談してからよく行っていた近所の蕎麦屋に行った。十五時でランチタイムが終わろうとしているところになんとかギリギリ間に合って、彼が冷たいとろろそばを食べて、わたしは温かい天ぷらそばを食べた。彼が欲しがったので、天ぷらの海老を半分あげると、彼もとろろを少し分けてくれた。蕎麦屋の帰り道、わたしたちは手を繋いで歩いた。はい。そう言ってわたしが彼の前に手を差し出したのだが、彼は黙ったままわたしの手をとり、しっかりと握ってくれた。手を繋ぐのも、随分と久しぶりのことだった。ねぇさっきさ、出さなくてもよかったの? さっきのセックスのことが気になって、わたしは手を繋いだまま彼にそう訊いた。萎えちゃったとか以外でさ、出さないで終わりにしたのってたぶん、人生で初めてだと思うんだけど。彼はしばらく間を置いてからそう切り出した。でもね、出さないで終わるとさ、これは自分でもびっくりしてるんだけど、終わったあとでも、いまもそうなんだけど、愛情が溢れ続けてるみたいな感じになるんだよね。ゆっくりと言葉を選ぶようにして、彼はそう説明してくれた。確かに、いつもだったら、彼は射精が終わると、わたしのことなんかおかまいなしにそのまま眠ってしまったり、あるいはひとりでベッドから起きてビールを飲みながら本を読んでいたりすることが多かった。最後なんだな、って思ってるからっていうのもあるかもしれないんだけどさ、本当に、いまね、愛情が止まらない、そんなような感覚なんだよ。そう言ってから彼は急に立ち止まって、それに釣られてわたしも歩みを止めた。それから、彼は道路のど真ん中で、わたしの体を強く抱きしめた。彼の首筋に顔を埋めて、わたしは彼の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。懐かしくて、優しくて、甘い、いい匂いだった。
 部屋に帰ると、彼の私物を用意してあったダンボールにふたりで詰めた。服とか靴とか、生活用品とか本とかパソコンの付属品とか、そういうものを全て詰めると、ダンボールは三箱になった。集荷もあらかじめ依頼してあったので、あとはヤマトのお兄さんが引き取りに来てくれれば、彼の残る荷物は洗面用具と下着の替えとバックパックと明日着るコートだけになる。本当に彼がこの部屋からいなくなってしまうということを、ダンボールに荷物を詰めながらわたしはまじまじと意識してしまい、もうすっかり納得しているというのに、それでもちょっとだけ悲しくなってしまいそうになった。彼の物がなくなって空いたクローゼットの空間は、入りきらなくて部屋の隅に積み上げてあった荷物を入れたらぴったりと埋まったが、洗面台の彼の整髪料とか洗顔フォームがあったところはすっぽり空いたままだったし、下駄箱も虫食いのとうもろこしのように、彼の靴が入っていたところは空いたままだった。夕方になってヤマトの集荷が終わると、わたしたちはまた手を繋いでスーパーまで歩いた。スーパーへの道すがら、ちょうど夕日が沈むところが見えた。足を止めて、歩道沿いのベンチに腰掛けて、街並みの向こうに沈みゆく太陽をわたしたちは静かに眺めた。沈まなきゃいいのにね。わたしの手を握ったまま彼がぼそりとそう言って、わたしは黙ったままその言葉の意味について考えた。散々話し合って決めたことだった。わたしにしたって、もう気持ちは固まってしまったし、どうにもならないということは、わたしも、彼も、もうよくわかっているはずだった。でも、それでも、この夕日が沈まなければいいのにね、という気持ちは、わたしにだって、わかるような気がした。切なくて、悲しくて、名残惜しくて、やるせない、でも仕方がない、そういう複雑な感情がふつふつと心の奥に湧いていたが、沈みゆく夕日はまるでそれをすべてさらってどこかへ持って行ってしまおうとしているかのようだった。沈んじゃったね。太陽が見えなくなると、つぶやくように彼がそう言って、わたしたちは立ち上がってまた歩き出した。スーパーでの買い物から食後の片付けに至るまで、その最後の夕飯は、まるでまだ付き合いたてだった頃のふたりのようだった。売り場を回って歩きながら、お互いに自分の意見を強く主張し過ぎることもなく、穏やかに話し合って献立を決めるところから始まった。普段なら買わないようなちょっとだけいい国産牛を買って、すき焼きにする、ということにふたりで決めた。家に帰ってからの調理だって、今までにないくらいに終始、穏やかで和やかだった。彼が野菜を切って、わたしが割り下を作って、一緒にお皿を並べて、そうやってふたりで仲良く支度をした。それから食卓の真ん中に置いたカセットコンロに火をつけて、最初で最後のすき焼きをした。思い返してみても、こう改まっていい肉を買って来て、ふたりで家ですき焼き鍋を突いたというようなことはいままでの日々では記憶になかった。ビールを何本かふたりで空けて、食後には一緒にお皿の片付けまでして、それからベッドに腰を下ろしたらわたしは急に酔いが回って来て、そのまま横になってしまった。彼はそのまま少しひとりで食卓でまだ飲んでいたようだった。うつらうつらと半分眠っていたら、彼が体を起こしてくれるのを感じた。着ていた服を脱がせてくれたのだが、パジャマを着せてくれるわけではなく、気がついたら彼はわたしの下着までも脱がそうとしていた。健康のために全裸で寝ましょうね、全裸健康法ですよ。などとふざけた調子で彼がわたしの耳元で囁いて、わたしにはそれがなんのことなのかはよくわからなかったが、とりあえず感謝を述べて、腰を持ち上げて彼がショーツを脱がせるのにも協力した。それから彼も裸になって、わたしたちはふたり、裸でタオルケットに包まった。曖昧な意識の中で、全裸健康法というものが本当に存在するのだろうかということについてわたしは考えようとしたが、意識が散り散りに分散してしまっていて、よくわからなかった。タオルケットの中で彼のあれがわたしの手に触れて、それがしっかりと勃っているのがわかった。わたしがそうするといつも彼は嬉しそうにするので、わたしはほとんど無意識のうちに、手のひらで包むようにしてそれを握りしめた。彼もそれなりに酔っていはいたようで、わたしの肩の下に腕を通すと、優しくわたしの体を抱き寄せて、そしてふたりともそのまま眠った。明け方に、喉の乾きと尿意で目が覚めて、わたしはパジャマの上だけを着て、トイレに行ってから歯を磨いた。ベッドに戻ると彼も起きてきて、わたしと全く同じようにパジャマの上だけを着て、トイレに行って歯を磨いていた。それから、またふたりともパジャマを脱いで、わたしたちは本当に最後のセックスをした。

 昼間の暖かさでのせいで、やや寝汗をかいていたこともあり、完全に日が沈んだころになって、わたしはやっとベッドから出てシャワーを浴びた。シャワーを浴びていると、太ももの内側に生ぬるい血が伝うのを感じて、生理が始まったことに気がついた。予兆は感じていたし、そのせいもあってなかなか起きようと思えなかったのだろうということに納得しながら、こうして生理が来たということは、結局、彼の子供を身籠もることはなかったということなのだと、無意識のうちに考えた。一緒に暮らすようになってしばらくして、彼はセックスの途中まではゴムを着けないでするようになった。いつも彼はまずは生で入れて、出そうになると一旦抜いていそいそとゴムを着けて、それからまたわたしのなかに戻って来て、最後はゴムの中に射精した。付き合い初めの頃はちゃんと最初からゴムをしていたのだが、お互いになんとなくの暗黙の了解のもと、いつからかゴムを着けないで入れるようになった。そのことについてはっきりと話したことはなかったが、もし子供ができたら、ということをそれぞれでなんとなくは考えていたということなのだろう。まだ籍も入れていないし、積極的に子供を作ろうとしていたというわけではもちろんなかったが、でも、もしできたら、そのまま産むのだろうと、彼も、わたしも、なんとなくはそう思っていたのだろうと思う。最後に彼とセックスをしてから、十日が過ぎて、わたしは妊娠することなく、またいつも通りに生理が来た。もちろん最後のセックスだって、なかに出されたというわけではないので、可能性は限りなく低かったが、それでも、万に一つくらいの確率で、妊娠していた可能性だってあってもおかしくはないはずだった。自分の意思だけではどうにも出来ないことに掛けていたというか、期待していたというか、まるで来週の天気はどうなるのだろうか、とでもいうように妊娠についてわたしは考えていた。そうやってぼんやりと気にしていたことの結果を、生理が来るという目に見えてわかる形で示されて、わたしはがっかりしたわけでもないし、かといって安心したというわけでもない、不思議な気持ちになった。
 最後のセックスは、夜が明ける前に始まって、朝日が登る頃に終わった。前の日ほど長くではなかったが、彼はまた入れたまましばらく動かなかった。彼のものを受け入れたままわたしが絶頂を迎えると、彼は一度抜いて、そしてゴムを着けてまたわたしのなかに戻って来て、そしてしばらくしてラテックスの膜越しにわたしのなかで精液を放った。きのう出さなかったということもあってなのか、いつもよりもどくどくと強く彼のそれはわたしのなかで脈打っていた。射精が終わると、彼は覆いかぶさるようにしてわたしを抱きしめると、優しい声で、ありがとう、と耳元で言った。何に対するありがとうなのかはよくわからなかったが、それでも、彼の気持ちはしっかりと届いたような気がして、ありがとう、とわたしも心から言った。だんだんと彼のあれがわたしのなかで力を失い、やわらかくなっていく。そして形を失いゆくそれは、やがて、押し出されるようにしてわたしのなかから出て行く。満たされたような、寂しいような、そんな不思議な気持ちで、わたしは目を閉じて彼の体の重みを感じていた。

 シャワーから出るとすっかり窓の外は暗くなっていて、本当に何もしないうちに一日が終わってしまったことに気がつき、わたしはひとりで笑った。すこしだけ空腹を覚えて、冷蔵庫に入っていた生ハムと、めかぶを食べ、インスタントの温かいコーンスープを飲んだ。何を食べるかを考えるのが面倒でとりあえず目についたものを食べたというような感じだったので、まったくちぐはぐな組み合わせだったが、空腹はひとまず満たされた。動かないとお腹も減らないのだということを、うわのそらでぼんやりと思いながら、何をしてこの無為な一日を終わらせるかということについてわたしは考えた。
 寝室に戻り、昨日、寝る前に観ようとしてやめた映画を観るためにわたしはパソコンを開いた。ボヘミアン・ラプソディ。公開された時に彼と一緒に劇場に観に行った映画だ。わたしも彼も、もともと特別にクイーンというバンドに詳しかったわけではなかったが、もちろん有名な曲はそれまでにも何度も聴いたことはあったし、あまりにも周りの評判が良いので、流石に観ておいたほうがいいだろうというくらいの感覚でなんとなくチケットを買って、そしてふたりで観に行った。日本橋の映画館でレイトショーで観たのだが、その頃の世の中にはまだ新型コロナウィルスは存在していなかったし、それから数年後にわたしたちが別れるということをふたりとも想像さえもしていなかった。
 最後のセックスのあと、前の日に近所のパン屋で買っておいたトーストを焼いて、一緒に朝食を食べた。彼がコーヒーを淹れてくれて、わたしはスクランブルエッグを作った。気持ちのいい秋の朝だった。窓の外の街路樹が風に揺れていて、暑くも寒くもなかった。こういう毎日がずっと続いたらいいのに、と思いながら、コーヒーの水面に映る自分の顔が揺れるのをわたしは眺めていた。朝食が終わると、別れの時刻がいよいよ近づいて来ていた。何時に出ると決めていたわけではなかったが、まるでホテルをチェックアウトするときのようだった。彼は身支度を整えて、洗面用具をバックパックに仕舞った。わたしは特に何もすることがなかったので、その様子をぼんやりと眺めていた。彼と暮らす様になって、テレビを観ることが減った。彼は、テレビから聞こえてくる音は全部豚の鳴き声だ、と言っていて、テレビを付けっ放しにすることを嫌がった。ひとりで暮らしていた頃、わたしはとりあえずテレビをつけておくことが多かったので、彼と暮らすようになってから、テレビに関しては生活様式がガラッと変わった。リビングにはいまでもテレビは置いてあるが、いつからかわたしも、別に観なくてもいいような気がするようになって、ひとりでいるときも常にはテレビの電源を付けないようになった。彼が身支度を整えていて、わたしはそれをただ眺めている、というこの状況で、もしいまテレビがついていたらどうなるのだろうか、とわたしは電源の消えた真っ黒なテレビの画面を見ながら考えた。月曜の朝だから、ニュース番組とかワイドショーとかが流れているはずだった。自分たちにあまり関係のない話題について、訳知り顔のコメンテーターがわかったようなわからないようなことを語るコメントが聞こえる様子をわたしはぼんやりと想像した。持って行く荷物を全てバックパックに詰め終えると、彼は食卓に戻って来て、わたしたちはふたりでカゴの中に入れてあったみかんを剥いて食べた。彼はこのあと、そのバックパックを背負って仕事に向かうし、わたしも出社は午後からだが午前中に一本ウェブ会議があるからそろそろその支度もしなければならなかった。自分たちで決めた別れのリミットが近づいて来ている、というのは不思議な感覚だった。玄関の外に立つ彼を、わたしもサンダルを履いて外に出て見送った。強く抱きしめ合って、最後のキスをして、通りの向こうに彼が見えなくなるまで、わたしは手を振り続けた。見えなくなる前に最後に振り返った彼は、なんだか晴れやかな顔をしていて、普通に考えればとても悲しいはずなのに、わたしもなんだか明るい気分になった。

 あの日、レイトショーで映画を観終わった帰り道、まだふたりとも昂ぶった気持ちが醒めやらぬまま、彼の運転する軽自動車のステレオでDon't Stop Me Nowをエンドレスで繰り返し聴いた。音が良いとは言い難いスピーカーだったが、大音量でハイテンポの曲を聴いていると、なかなか興奮は醒めそうになかった。劇中で流れた曲はもちろん他にもたくさんあったが、高まったテンションのまま真夜中に家路を辿りながら聴くのにはこの曲がベストなのだ、と彼が言っていて、それがどういうことなのかちょっとよくわからないとわたしは思ったが、聴いているうちだんだん、メロディアスなピアノとメロウなボーカルの歌い出しから、バンドがバックに入ってからのスピード感のある展開へのコントラスなどが、なんだかいま聞くのにぴったりの選曲だという気もしてきて、結局、家に着くまでの間、その同じ曲をわたしたちは何度も何度も繰り返し聴いた。彼自身、別にクイーンの大ファンだったわけでもあるまいだろうに、帰り道、彼は興奮した様子で、曲に合わせて体でリズムを取りながら、時々思い出した様にぽつりぽつりと映画を観て感じたことを話していた。何がどうよかったのかということをわたしはあんまりはっきりと言葉にまとめることはできなかったが、この映画を観て、心が動いたのはわたしにしてたって同じだった。物語が進み、初めは幸せそうなふたりだったメアリーとフレディが、すれ違って行く様を見るのは辛かったが、それでも、確かにふたりが本気で愛し合っていた瞬間があったのだということに、なんだか救われたような気持ちになった。フレディを取り巻く物語は、わたしの暮らしとはあまりにもかけ離れた世界すぎて、自分と重なるというような共感の気持ちとは違ったが、とにかく愛に溢れた人だったんだろうな、とフレディのことをぼんやりと考えていたら、急になんだか身近な話に思えて来たような気がした。その夜、眠る前に布団の中で、この映画をこの人と一緒に見ることが出来てよかった、とわたしは彼のことを思いながらふと思った。この先の人生でボヘミアンラプソディを観るたびに、こうしてきっとわたしは彼とレイトショーでこの映画を観た日のことを思い出すのだろう、そう思いながらわたしは、アマゾンプライムの再生ボタンをクリックした。

(2020/11/18/04:58)

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