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東京の真夜中の音

 いままで気づかなかったが、そのコップはよくよく見ると傷だらけだった。ガラスの表面には経年による摩耗で無数の小さなキズが刻まれている。卓上にはおかわり自由のジャスミン茶がピッチャーに入って置かれていて、他の客はタクシーの運転手の中年の男が一人いるだけだった。麺カタ、アブラ少なめで。席について、食券のプレートをテーブルに置いて、顔なじみのマスターにそうオーダーを伝えると、その傷だらけのコップをひとつ手にとり、ジャスミン茶を注いで出してくれた。テレビでは全豪オープンが中継されている。マスターは夜勤専門で、夜の十時頃から、朝の九時過ぎまで店にいる。毎週水曜日の夜だけはお休みで違う人がいるが、それ以外は、毎日、ラーメンを作っている。この店のスープは基本的には一日二回、マスターが作っていて、ともすると夜の方が客数が多いかもしれない。昼間にこの店に来たことがオレは実はまだ一回もないのではっきりとしたところはわからないが。麺は必ず、堅めでオーダーしなければならない。堅めとオーダーしないと、どういうわけか、驚くほどブヨブヨの麺が出てくることになる。初めて来た時にそのことを知り、それ以来オレはこの店では堅め以外を頼んだことがない。二四時間やっているラーメン屋なんてろくな店がないと思っていたが、この店だけは特別で、いまでもこうして真夜中につい足を運んでしまう。マスターはスポーツを観るのが好きで、テレビでは大抵なにかしらのスポーツ観戦番組が放映されている。なにもやっていないとニュースとか、差し障りのない番組が流れている。テレビの画面では、シャラポワがドイツ人の選手と対戦していた。いつだったか、ネットの記事で、シャラポワはベッドではマグロ、みたいなことが書いてあるゴシップ記事をみたことがあった。コートでの叫び声はベッドでは聞けないらしい、シャラポワとの退屈なセックスを元カレが告発、みたいなことが書いてある低俗な記事だった。シャラポワが小気味よく点を重ねていく。最近は夜のほうがお客さんが多いの? マスターがラーメンを食べ終わったタクシーの運転手の男にそう訊く。うーん、そうでもねぇかなぁ。曖昧に男が答える。このあとも朝までだからな、はー、頑張るか。男は咥えていた爪楊枝を目の前の丼のなかに落とした。麺が茹で上がる時間を伝えるタイマーの音がして、オレは割り箸を割った。厨房の奥に戻っていったマスターが麺を湯切りする小気味の良い音がする。卓上にはザルに盛られた輪切りの長ネギが置いてある。右のほうにあったそれを引き寄せて中にネギが残っていることをオレは確かめた。シャラポワ、足長いよなぁ。ラーメンを啜っていると、店を出ていったタクシーの男の丼を流しに下げたマスターがオレの斜め前でテレビの方を見ながらそう言った。でももう三十越えてるんでしたっけ、たくましいですよねぇ。シャラポワの叫びを聴きながら、箸を止めてオレはそう応える。うん、そうだよなぁ。マスターはそう言いながら厨房の奥に戻って煙草に火をつけた。この店に来るようになったのは、たぶん、四年位前からだ。乗っていた車も違ったし、仕事も、付き合っている女の子も、ぜんぜん違った。その頃はオレも煙草を吸っていて、ラーメンを食べ終わると、カウンターの隅に置いてある鯖缶の空き缶の灰皿を手繰り寄せて、煙草を吸っていた。いまは煙草を吸わないので、他の客が煙草を吸うと少し嫌に思うようになった。厨房の奥で大将が吸う煙は業務用の強力な換気扇に吸い込まれて客席には届かない。四年前のある日、夜通し仕事をしていた明け方、急にラーメンが食べたくなって、オレはおそるおそるこの店に足を運んだ。昔からある有名な店だったし、何度か深夜に前を車で通ったことはあったので、二四時間営業しているということを知ってはいたが、入るのは初めてだった。その頃のオレはいまよりもずっと金がなくて、殆ど外食をしないで暮らしていたし、ラーメン屋でラーメンを食べることも、殆どなかった。だが、その店のラーメンには、なんだか文化があるような気がして、オレはそれ以来、真夜中とか明け方に、時折食べに来るようになった。そのうちに、夜中だけ店にいるそのマスターと仲良くなって、だいたい深夜零時頃にスープを新しいのに入れ替えるから、その直後だとスープの味がスッキリ澄んでいるのだとか、交換直前の煮詰まったスープの方がコクがあって好きだというお客さんもいるだとか、ラーメンに入れるネギは、切って冷蔵庫にそのまま入れておくことで、空気に触れて辛さが飛ぶようになっているのだとか、そういう話を聞くようになった。食生活が変わって、あまりギトギトとジャンキーなものを食べなくなったが、それでも、いまでも時々こうして食べに来てしまう。以前から聞いてはいたが、郷里の鹿児島に帰ろうと思っている、とマスターは言っていた。まだいつになるかわからない、しばらく前までは言っていた。八月で帰ることになったよ。シャラポワがきれいなサーブを決めたあと、マスターはボソリと訛のあるイントネーションでそう言った。マスターがいなくなってもオレはこの店にラーメンを食べにくるのだろうか。四年の間に、ラーメンの値段は七〇〇円から七五〇円に変わったし、ブラウン管だったテレビも大型の液晶テレビに変わった。ピンク色の十円電話も、気がつけばいつのまにか複合機に変わっていた。その日のラーメンは、ここ最近で、最高の出来だった。麺の加減も、スープの味も、チャーシューの風味や食感も、全てが最高だった。人の手で作るものだから当然だが、誤差の範囲で味にムラがある。風味がいまいちだったり、濃さが微妙だったり、そういうふうなことを感じることが、たまにあった。その日のラーメンは、なぜだかはわからないが、とにかく美味しかった。郷里の鹿児島では奥さんとか子供とか孫とか、家族が待っているらしい。単身東京に暮らし、ラーメンを作る生活が、もうすぐ終わろうとしている。給料がいいからなぁこの仕事。どの仕事と比較してかはわからないが、いつかマスターはそんなことを言っていた。丼に残っていた最後の麺をオレは啜った。テレビでは、シャラポワがこのまま勝ちそうだった。空になったコップに、オレはジャスミン茶を注ぎ足した。店の外からは、東京の真夜中の音が聞こえてくる。(2018/01/19/02:57)

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