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昼下がりの蕎麦屋

 女々しいのはいつだって男だ。男の恋愛は名前をつけて保存、女の恋愛は上書き保存。よくそんなことを言ったりもする。とにかく、過去の恋人のことをウジウジといつまでも思い出したりしているのは、いつだって男の側だ。いつまでも別れた恋人のことを考えていたって仕方がないし、もう駄目だと思って別れを決意したのは他ならぬ自分自身なんだから、どんなにそう自分に言い聞かせていても、ちょっとでも精神が弱っていたりすると、別れてもう半年以上が経つというのにも関わらず、オレはいまだにさゆりのことを思い出してしまう。セックスしたいだけなんだろ、オレはそう自分に問う。確かにそうだ、それはそうだろう、セックスはしたい、もしもさゆりがいまもオレの目の前にいて、そういうことができそうな雰囲気なのであれば、オレはもちろんさゆりとセックスがしたい、性欲が溜まっているからそういうことを思うわけではないと思うし、フィジカルな性欲でそういうことを思うわけではない。性欲ではなく、性交欲、オレはそう呼んでいるが、誰かとセックスがしたいという欲ではなくて、特定の対象とセックスがしたい、そういう欲求だ、適当に出会う一夜限りの女とか、お金を払ってする女とかとではなくて、オレはさゆりとのセックスがしたいのだ。さゆりは、オレにしてはだが、長く付き合ったほうだった。性格はそれなりに合っていたし、一緒に過ごすこと自体は苦痛ではなかった。文化レベルの違いというか、持っている知識の量や質、それに物事に対する見地がお互い随分と違ったので、同じ経験を同じように分かち合うことは出来なかったり、休日の過ごし方を巡る小さな諍いがあったりはしたが、それでも、割合に楽しく付き合っていたと思う。生理の周期と連動してさゆりが精神的に不安定になって、急にものすごく不機嫌になったり、ほとんど一方的に叱責されたり批判されたりすることもあったが、べつにオレもいまさらそういうことでいちいち狼狽えたり本気で反論したりするような歳ではもうなかったし、いつもオレが謝ったり折れたりして乗り越えてきた。それに、なにより、セックスの相性はかなり良かった。さゆりのはついている位置が少し後ろ寄りで、ふたりが足を伸ばして向き合う体位だけは上手く出来なかったが、それ以外は本当に具合が良くて、互いのからだを数え切れないくらい求め合った日々だった。そういうようなことを、落ち込んでいたりするとぼんやりといまだに考えてしまう。昨日の夜も、明らかに酒の量が過ぎていた。ひどい二日酔いで、今朝は早朝に目が覚めた。酒を飲みすぎると、交感神経が活発になって眠りが浅くなってしまい、却ってよく眠れずに、ほとんど眠れていないのにも関わらず飲みすぎた翌朝はとんでもない早朝に目が覚めたりする。それでも起き上がって動く気にはなれなくて、昼までベッドの上でダラダラと携帯の画面を眺めて過ごした。iPhoneのカレンダーに拠ると、きょうは日曜日だった。空腹感に耐えきれなくなってオレはベッドから這い出た。とにかく何かを胃に入れたかったが、見るまでもなく冷蔵庫にはビール以外はマヨネーズすら入っていないし、だいたい料理なんて、このアパートに住み始めてもう数年が経つが、その間で、数えるくらいしかしたことがない。何も考える気になれなくて、とりあえず駅まで出ることに決めた。抜け殻みたいな形で床に落ちていた昨日脱いだままのジーパンを履いて、ソファの上に脱ぎ捨ててあったシャツとパーカーを着る。外は相変わらず寒そうで、マフラーを巻いてダウンを着た。白金台にあった馴染みの蕎麦屋が、去年の暮れに閉店してしまった。その店で蕎麦の味を覚えたと言っても過言ではないくらい、オレの蕎麦に関する価値観に影響を与えた店だった。行きつけだったその店が無くなってしまった今、もちろん他にもいくつか信頼できる蕎麦屋はあるにせよ、久しぶりに新しい蕎麦屋にも行ってみようと思い、駅の近くの蕎麦屋を携帯で検索した。入ったのは駅からほど近い路地にあった蕎麦屋で、アルコールのお供になる小料理が充実していた。メニューを眺めると、千円を出しておつりがくる値段で天せいろを食べられるらしい。年末で閉店してしまったその白金台の蕎麦屋のオヤジの口からも、この店のことを聞いたことがあった。随分と安いなぁと感心しながら天せいろを注文する。精神的に弱っているとき、オレはどういうわけか、世界中に見放されたような気持ちになる。誰からも必要とされていないし、オレがいなくても誰も何も困らない、そんなような気持ちになる。もちろんそれは紛れもない事実で、誰かに必要とされる人間なんてどこにもいないし、いなくなって困る人間だってどこにもいない。必要な気がすること、困るような気がすること、必要とされているような気がすること、困られるような気がすること、そういうことはたくさんあるが、本質的には、やはり、誰かに必要とされる人間なんていないし、いないと困る人間なんかも存在しない。たしかにそれは事実だが、そんなことはどうでもいいことだと思って生きていればいいものを、人はふと弱っているときには、そういう、いちいち考えなくてもいいような事実について本気で考えそうになってしまい、更に落ち込むことになる。そんな時に、自分のことを受け入れてくれた、かつての恋人のことを男は思い出したりする。べつにセックスのことを言っているわけではないが、肉体的に、物理的に、自分を受け入れてくれていた、というふうに考えると、あながちセックスも関係のない話ではない。誰でもいいから誰かに受け入れて欲しいわけではもちろんないから、好きな人、好きだった人に受け入れてもらうことが重要になる。付き合っていた当時は自分がさゆりのことを本当に好きなのかよくわからないと思うことも多かったし、誰かのことを好きになるということがどういうことなのか、いまだによくわからないと思ったりもする。それでも、誰かではなくてさゆりとセックスをしたいと別れたいまでもこうして思うことを考えると、やはり、オレはさゆりのことが好きだったのだろうか。窓の外から白くぼんやりとした光が店内に差し込んでいる。寒く曇った空の日曜日の昼下がり、客はぼちぼち出入りしているが、蕎麦屋はあまり混んではいなかった。入り口の引き戸が開く度に冷気が店内に流れ込む。湯呑みのお茶をすすりながらカウンターの向こうで天ぷらが揚がる遠い音をオレは聞いていた。誰かに自分を受け入れてほしいとか、そういう女々しいことを、もしかすると女は考えないのかもしれない。セックスの仕方を考えても、男が女を受け入れるのではなく、侵入してくる男を女が受け入れる、そういうふうに出来ている。さゆりがいまどうしているのかは知らないし、もう随分と何の連絡もお互いしていない。さゆりと別れる前、できればそのまま付き合っていたいとオレは思っていたが、同時に、そろそろ限界だとも思っていた。お互いの実家とか仕事とかそういういろいろな事情を考えると、そのままの関係で付き合い続けることはたぶん、もう無理だった。別れることになる少し前に、いつものように揉めて、しばらく合わなかった時期があった。その期間の終わりに、会って話しをすることになり、さゆりの家の近所のファミレスで二人で合った。別れようと思ってオレはそこに行ったはずだったが、結局ふたりとも別れたくなくて、そのままさゆりの家にふたりで帰った。玄関のドアを後ろ手で閉めながら、靴も脱がずに真っ暗な中でキスした。さゆりのショーツの中はびしょびしょに濡れていたし、オレも痛いくらいに硬くなっていた。剥ぎ取るようにしてさゆりの着ていたワンピースを脱がせて、そのままソファでして、ふたりで一緒にシャワーを浴びてから、ベッドでまたもう一回した。最高に幸福で、最高に悲しいセックスだった。さゆりはおれをからだのなかに迎え入れたまま何度も何度も絶頂に達したし、おれも射精し終わったあとにその反動でしばらく動けなくなるくらいの快感と幸福と、そして、悲しさに震えた。季節は夏で、エアコンをつけてはいたが、それでもふたりとも汗でぐっしょりになった。その日、さゆりが着ていたワンピースの色をオレはいまでも、ときどき思い出してしまう。この店の天せいろは、蕎麦も天ぷらも、蕎麦屋のそれとしては、全く思っていたような代物ではなかった。白金台の蕎麦屋のオヤジは、この店に来ると、飲んでる途中にせいろを一枚、飲み終わったら〆でもう一枚、調子がいいとそんな感じでせいろ二枚食べちゃうくらいだからな、なんていうようなことをいつか言っていた。この店の蕎麦とか天ぷらとかに対する純粋な評価としては、それこそ、その白金台の蕎麦屋のオヤジのそれには、全く足元にも及ばないレベルのものだった。それでも、どういうわけか、食べ終わって蕎麦湯を飲んでいると、不思議と、悪くはないよな、という気持ちになってきた。つゆのバランスもいまいちだし、わさびは本わさびではなくて人工的なニオイがする加工品だし、天ぷらは衣が厚すぎるし。でも、蕎麦そのものは風味こそあまり強くない、ごくありふれたニハチではあったが、キリッとしたきれいな蕎麦ではあったし、蕎麦湯も充分に立派な蕎麦湯だった。さゆりがあの夜に着ていたワンピースの、あの青よりも青い青色を久しぶりにまた思い出しながら、オレはカウンターの上のステンレスのポットから注いだ蕎麦湯をそば猪口に注いだ。あのワンピースの青い色を、たぶん忘れることはないのだろうな、となんとなく思いながら、オレは蕎麦湯をまたもうひとくち飲んだ。(2018/01/15/02:08)

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