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14歳、はじめて文章でお金を稼いだ日

始まりは、同級生のひとことから

私がはじめて文章でお金を稼いだのは、14歳。
中学2年生の時だ。

当時、私は、学力テストの予想をするのが得意だった。

先輩たちから過去のテスト問題を手に入れ、先生の性格を読み、出題傾向を自分なりに勝手に分析して毎回「ヤマ」を張っていた。無駄な勉強はしたくなかったので、できるだけ要領よく試験を乗り切りたかったのだ。

もともと観察力、分析力があったのだろう。毎回毎回、ヤマがあたるので、テストではいつもいい成績をとっていた。

その頃から、学校には行ったり、行かなかったりして、出席率の悪い子供だったから、あまり授業に出ない私がなぜテストでいい点を取れるのか不思議に思った同級生の山本さん(仮名)が、私に質問した。

山本さん👧「どこの塾に行ってるの?」

青山華子👩‍⚕️「塾?そんなの行ってないよ」

「テストは、先生のことをよく観察していると、だいたいどこが出るかわかるんだよ。だから毎回、予想問題を作ってそこだけ勉強してる」

すると、山本さんは驚いた顔で、
「えー!!すごい」
「なんでわかるの?」
と、食いついてくる。

青山華子👩‍⚕️そんなの、よーく先生の言動を見ていればわかるよ。あと、過去問とか分析したり。

山本さん👧私は全然、わかんない。次のテストでどこ出るか教えて。

青山華子👩‍⚕️いいよ。でも、絶対当たるかどうかは保証しないから。外れても、文句言わないでね。

山本さん👧わかった。

・・・・という流れで、その同級生に理科と数学の予想問題とその回答集を渡した。

予想問題&回答集を作って売ることに

次のテストで、山本さんの成績は急上昇した。

ずっと理科と数学が苦手で、今までのテストでは、20点~30点台だったらしい彼女が、次のテストでそれぞれ78点、82点をとったらしい。

急に成績が良くなったのは、私の予想問題集のおかげだと、すごく興奮した彼女が、私にお礼を言いに来た時に聞いた。

翌日、山本さんの友達だという女性が2人、私のところにやってきて、自分たちにも、次回のテストの時、その予想問題集をくれという。

私は、少し考えてノーと言った。

だって、あれを作るには、かなりの労力と時間がかかっている。それを友達でも何でもない人たちにあげるのは、嫌だった。

だから断ったら、「お金払うから売って」「そうだよ、お金払うよ」「1000円で売って欲しい」というので、仕方なく、1部500円で作ると約束した。

次のテスト前、まず、私は数学の予想問題(回答付き)を作った。

自宅のワープロに文字を打ち込み、図解は作れなかったので、一度教科書をコピーしたものを、いったん印刷した回答集の用紙に図形だけ切って張り付けた。

そうやって作ったものを、コピー機でコピーして、表紙を作り、ホチキスで止めただけ。

こうして、手作りの「予想問題集」ができあがった。

次のテストの前に、それを山本さんの友達のところに持っていったら、喜んでお金を払ってくれた。

1部、500円。
2人が買ってくれたので1000円を現金でもらった。

口コミが広がり、50人に売れる


これで終わりだと思ったら、またその予想問題集を買いたいという人がやってきた。山本さんの友達から聞いたという。仕方がないので新しくコピーをしに行って、1冊追加で作った。

すると、またまた違う人がやってきて、俺にも売ってくれという。

そんなこんなで、うわさを聞きつけた人たちが次々と私のところへやってきて、結局、50人がその予想問題集を買っていった。

1部500円。それを50人分で合計、25,000円。

こうして、クラスのほぼ全員と、その友達が買ってくれたおかげで、
思いもよらず収入を得ることになったのだった。

この件がバレ、職員室に呼び出される

後日、私が予想問題集を作って学校で売ったことがバレ、職員室に呼ばれた。急に私のクラスだけ数学の平均点が上がったので、カンニングを疑った教師が調べたところ、誰かが私のことをチクったらしい。

教師に説教をされたが、そこでどんなことを言われたかあんまり覚えていない。ものすごく怒られ、「学校で商売をするな」「とんでもない奴だ」「末恐ろしい子供だ」というようなことを言われたような気がする。

その後、自分が何を言ったのか、これも記憶が定かではない。おそらく教師たちの感情に火をつけることを言ったのだろう。

カンカンになっている教師たちの顔を見ながら、しらけた表情をしていたら、いきなりモノサシで叩かれた。

この事件以来、一気に教師たちと私の関係性が悪くなり、だんだんと私は学校に行かなくなっていった。

不登校、そして家出

教師たちとのいざこざで、学校に行くのがバカバカしくなった私。
親と話し合った末、学校はもうやめることにした。

いわゆる不登校。
いや、正確には「非登校」か。

当時はまだ幼く、世の中のことをなめきっていた私は、学校なんて行かなくても何とかなるさと本気で思っていたのだった。今思うとアホすぎる。

そのあと、ボストンバッグ1つをもって、私は家を出た。

14歳。
人生が激変した年だった。

*この話は実話です。青山華子は、ビジネスネームです。


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