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大学を卒業して始めたバイトで事件

先日は、noteを始めた動機を書きましたが、最初に自己紹介させていただきます。

生まれは1958年、山形県河北町です。自分がどのようにしてワンダーラストの病に陥ってしまったかの理由は、幼少期から大学生までを振り返ってみると、いろいろとターニングポイントはあるのですが、それはおいおい書いていくことにします。

大学は工学部機械工学科でした。4年の時(5月)にヨーロッパ旅行に出てしまい、帰ってきたのは翌年になって、結果、1年留年しました。この8カ月にわたるヨーロッパ旅行は、旅する人生でも決定的なきっかけとなったのは言うまでもありません。

出会った旅人に影響されてしまったのですね。今まで、大学を卒業したら、会社に勤めて機械設計でもやるんだろうなと漠然と想像していましたが、自分があまり人といっしょに何かをやることが好きではないということには既に気が付いていて、会社員になることに違和感もありました。でも、人生とはそんなものなんだろうと諦めていました。

ところが、そうではないことを知ってしまったのです。ヨーロッパで出会った旅人は、いわゆるフリーターのような生活をしていて、お金が無くなったらバイトをし、お金ができたらまた旅に出るという生活をくり返している人がたくさんいたのです。日本人も、フランス人やドイツ人もです。

なんだ、こんな人生もありなんだなぁと思いました。大学を卒業したら就職しなければならないと、今まで頑なに信じていた(いや、両親や世間からそう信じ込ませられていた)価値観が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちました。それは快感でもありました。そして目の前に新しく輝かしい世界が見えたのです。なんだか「生きている」感じがしました。俺も彼らのような旅人になるぞと決意しました。

8か月後、大学に戻ってみると、同期の友だちはみな卒業していなくなっていて、まるで浦島太郎状態のまま、1年間後輩たちと大学生活を送ることになりました。当時はまだ田舎の大学なので、外国旅行をした学生もほとんどいなくて、8カ月だけの外国旅行で、しかも英語国にはまったく行っていなかったにもかかわらず、「さすが青柳君の英語の発音は上手だね」などと、講師からも褒められてしまうと、どうしても後輩たちは私を特別扱いするようなところがあって、居心地が悪い1年間でした。

そしてヨーロッパ旅行で決めた、大学を卒業したら、就職はしないで旅人になる、を実行しました。まず、時間が惜しかったので、卒業式には出ないで、急いで山形から神奈川に出て、バイトを始めました。旅行資金をためるためです。

新聞で「日払い2万円以上」の広告を見つけ、訪ねたのはチリ紙交換の仕事でした。6畳に3人の寮みたいなアパートで寝泊まりし、会社から軽トラを借り、トイレットペーパーを仕入れて、周辺をまわるのです。もちろんこんなバイトは初めてなので、古新聞を出す奥さんとの会話も下手だったし、ケチな人間だと思われたくなくて、必要以上にトイレットペーパーをあげてしまい、結局赤字になったり。「2万円以上」などというのは、仕事に慣れた人だけ、ということを悟りました。

甘かったんですね。世間知らずでした。そして10日間ほど経ったころでしょうか、事件が起こりました。

同室だった先輩と飲みに行ったのです。彼は当時30代後半くらいで、普段は落ち着いた優しい人だったので誘いを断らなかったのですが、飲み始めたら、実は、元ヤクザだったと匂わせ、しかも酒癖が悪いということがわかりました。

初めは良かったのです。そのうち目がうつろになり、ろれつが回らなくなってきました。酒には弱かったようです。問題は酒乱でした。

「おまえ、××だと思うのか~?」というので「いえ、思いません」と答えると、「なんだと~? 思わないだと?」「いえ、思います」「なにぃ? 思いますだと~?」

結局、何を答えても絡んでくるのです。そして突然コップのビールを顔にかけられました。「何するんですか!」と私が大声で言うと、今度は、ビール瓶を振りかざして殴りかかってきました。

とっさによけたら、ビール瓶は彼の手から抜けて、店の床に飛んでいき、大きな音で割れました。何とかなだめようとしたのですが、だんだん暴れ方がひどくなり、私には制御不能となりました。

店の人も私たちふたりを迷惑がって、「あなただけ、先に帰った方がいいよ」というので、私は彼を置いて居酒屋の表に出ました。

なんなのこれ? こんなことするために神奈川に来たんじゃないはず。外国旅行がしたかったんだろ?

自問自答しながら星空を眺めていましたが、急に私にある思いが沸き起こりました。「2万円以上」など、夢また夢の話だし、そろそろバイトは替えようかなと思っていたこともあり、私は、急いでタクシーを捕まえ、運転手に事情を話して、寮に寄ってもらい、バックパックひとつに荷物をまとめ、またそのタクシーで川崎駅前まで乗せてもらいました。つまり夜逃げしたのです。

そういえば、と彼が言っていたことを思い出しました。私と同世代くらいの沖縄出身の男もいっしょに寮で暮らしていたのですが、ある日、突然いなくなったとき、「あいつ、どうしたのかな? 昨日俺と飲みに行っていなくなったんだよね」と。

なるほど、私と同じく、沖縄県人も夜逃げしたということが分かりました。

私は、お金も無くなっていたのでホテルには泊まらずに、オールナイトの映画館で1晩過ごすことにしました。酒乱や反社会勢力の人間と出会ったのも初めてだったし、もしかしたら危ない目に遭っていたかもしれないと考えて、心臓のバクバクは止まりませんでした。

なんとか落ち着こうと映画のスクリーンを見たのですが、なんと上映されていたのは、高倉健さんが出演しているヤクザ映画で、これが朝まで延々と続いたのでした。

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