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正しさばかりが文学ではない

『本物の読書家』乗代雄介 (単行本 – 2017)

書物への耽溺、言葉の探求、読むことへの畏怖。群像新人文学賞受賞作『十七八より』で瞠目のデビューを遂げた、新鋭にして究極の読書家、待望の新刊!表題作のほかに「未熟な同感者」を収録。

書物への耽溺、言葉の探求、読むことへの畏怖。
群像新人文学賞受賞作『十七八より』で瞠目のデビューを遂げた、新鋭にして究極の読書家、待望の新刊!

傑作中編2作品を収録。

老人ホームに向かう独り身の大叔父に同行しての数時間の旅。大叔父には川端康成からの手紙を持っているという噂があった。同じ車両に乗り合わせた謎の男に、私の心は掻き乱されていく。大変な読書家らしい男にのせられ、大叔父が明かした驚くべき秘密とは。――「本物の読書家」

なりゆきで入った「先生」のゼミで、私は美少女・間村季那と知り合う。サリンジャー、フローベール、宮沢賢治らを巡る先生の文学講義、季那との関係、そして先生には奇妙な噂が……。たくらみに満ちた引用のコラージュとストーリーが交錯する意欲作。――「未熟な同感者」

「本物の読書家」

「読書家」というのも恥ずかしいのに「本物の」が付いている。どれほどの読書家なんだろうと読み始める。そういえばブック・レビューアーとか名乗るのは恥ずかしくないのだろうか?もしかしていつも感想って書くのだが批評とか書いたほうが読まれるのかなと思ってしまう。ここは今日からブック・レビューアーになってみようか?「本物の読書家」と名乗るよりはいいかもしれない。

太宰治『如是我聞』を取り上げて、フィクション上での川端康成『片腕』の盗作疑惑を描いたのは、それを川端康成の美文調の作品は切磋琢磨した彫刻なのだとするのだが、太宰のメタフィクション的構造をそこに当てはめていく文壇ミステリーであって、松本清張の模倣作品。

しかし、何故書くのかと問われれば文学を読む人だったからという明確な動機がそこにある。その為に苦悩して挫折する(挫折したのは川端康成に原稿を渡してしまった大叔父)。その感応力。弱さに対しての。「未熟な同感者」は、その感応力についてのメタフィクション。

大叔父を老人ホームに入れることにしたので本を整理したら川端康成の手紙が出てきたので、本が高く売れたとか。その大叔父を老人ホームに入れる為の道行き(常磐線)で相席した関西弁のおっさんが思いのほか文学通だった。

作家の引用やら、その叔父さんが川端康成の『片腕』を最初に書いて原稿を送った文学おたく趣味のメタフィクション文学ミステリー。文学者の引用が書くことについての興味深い考察になっている。最初の掴みは、太宰治「小説の神様」批判だった(太宰治『如是我聞』)。他にナボコフとか。ここに上がっている作品すべて読みたい。

太宰治『徒党について』『如是我聞』川端康成『片腕』松本清張『或る「小倉日記」伝』、森鴎外『小倉日記』。松本清張の芥川賞受賞作が種本みたい。だから列車ミステリー?時刻表トリックがあった。

海外作家はサリンジャー、ナボコフ、マーク・トゥエイン、カフカの文学についての引用文。あと知らない作家がいたけど思い出せない。『黒い笑い』の作者。これがわかったら文学通認定だな。絶版本です。

「未熟な同感者」

乗代雄介さんはブロガーから作家になったんだ。芥川賞取ってもおかしくないけど、作品がメタフィクション系だから受賞できないのだろうな。野間文芸賞とか三島賞は取っていた。もう一編『未熟な同感者』も卒論で『ボヴァリー夫人』の話で面白い。手淫→書くこと。

「未熟な同感者」は弱さに対して、その感応力についてのメタフィクション。フローベル『ボヴァリー夫人』を読む大学の講義で、先生が授業の途中でトイレに行くのは自慰行為をしているのだという噂から、女子大生の私と美少女・間村季那の関係性の書くこと→手淫についてのメタフィクション。

結末は変態大学教授でそういう事件もあり世間的にも問題になった。しかし、ここではあくまでも「個人的な体験」記であり、大江健三郎の小説を読むようなエロスがある。しかし、そこだけを問題にしているのではなかった。

サリンジャーが戦争体験のあとPTSDにかかり塹壕でもタイプライターを打っていたのだが、それ以降戦争体験のことは描けなかった。サリンジャーが晩年に書いたのはサマーキャンプに行く子供が主人公の話。そして7歳の甥っ子が叔母に手紙を書く。僕は退屈なキャンプに何を読んだらいいですか?

その答えは空欄だ。だけど、このメタフィクションに感応力のある人は答えられる。それが彼ら(作者と読者の共同作業)の物語だからだ。そしてある有名評論家の書評が、サリンジャーは老人になっても子供ことしか書けないと批評したという。上から目線の批評。子供の視点や若者の視点は稚さを描くことではない。

文学の弱さは共感力を引き出すことだ。そこに孤立した者同士を繋げる言葉の役割がある。サリンジャーの書くことはそうした文学の力だったのである。「未熟な同感者」が上手いなと思うのはその講義をした大学教授が偉い人でもなかったことだ。親鸞のいう悪人だった。

それでもその先生に同感した女子学生がいたという小説。そのエロスは大江健三郎を連想させる。個人的なことなことであるのだけれども、世間よりも先生に同感する女子学生は素敵だと思えてしまう。

「ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ」 https://norishiro7.hatenablog.com


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