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歯に染みる苺パフェの甘さかな

ついにイチゴパフェを食べた。人生初パフェだった。言語の現実化というトライだったのだが、歯にしみるアイスは罰ゲームのようだった。昨日はまだ暖かったからいいけど、もうアイス食べる季節でもないし。短歌も作った。

いい人は一期一会のいちごパフェ珈琲無糖と無言地獄

普段は無糖珈琲無言で飲んでます。パフェ食べても一人ではしゃぐわけではないが。

図書館行って予約本借りて、映画待ちの時間に『ジャギー・ベイン』を読み終わって返却。また一冊借りてきた。

『シャギー・ベイン』は母と別な場所に引っ越し。母親が自殺未遂して精神病院に入れられて、一時父親である子沢山の家にあずけられるのだが、兄弟たちからイジメを受ける。
それは家を出た兄(アグネスの長男)との大きな違い。その兄のシャギーに対する兄弟愛と腹違いの兄弟たちのイジメが対照的に描かれる。

そして精神病院を抜け出した(退院したのか?)母がシャギーを連れ戻すシーンが凄かった。酔っぱい女の怖さか?そんな母と暮らした新しいアパートに腹違いの兄弟が迎えに来る。たぶん父の命令だと思う。父親はシャギーのオカマっぽさは母親のせいだと思っている。そんなシャギーは玄関越しに尋ねてきた兄弟にキスするよう要求するが、汚物の雑巾を口に突っ込むのだ。そんなときにもゲイである自分を意識するのだが。

一番は母がパーティーに行って食べるものがなく、タクシーで母を探しにタクシーに乗ったときにタクシー運転手がシャギーに対していたずらをする。そのときに母は帰らないので兄のアパートに行くときか、タクシーの支払いを身体ですると言うのだった。すでにゲイの意識が芽生えてきていた。

ただ最終的には女の子の友だちが出来るのだ。彼女の母もアル中で同じ境遇にいた。誰とも寝ると噂の女の子だがシャギーとは友だち関係だった。

そしてついに母の死。それ以外の結末はないのだが。シャギーは母が死ぬことでやっと離れられたのだ。それまで自分が母の面倒を見なければという強迫観念。それは共依存だったのかもしれない。実際にまだ自立する年ではないシャギーは母親と暮らすしかなかった。兄のアパートにいたこともあったのだが母がやってきて、また大喧嘩が始まるのだった。兄はすでに母親は治らないと諦めていたから、自立しか道がなかったのだ。

シャギーがそんな兄にどうして面倒を見てくれなかったのかと問い詰めるシーンがある。ただ兄も自分だけのことで精一杯だった。長女のアグネスは結婚という形で出ていったが、兄弟を助けることはなかった。そんな兄弟愛と母親愛との違い。しかし、それも母の死と共に終わり、彼も兄の援助を受けながら独り立ち出来たのだ。

それがこの物語で、著者によると半自伝だという。作家になる教育を受けてはいないが服飾デザイナーということで、そういう創造する訓練は出来ていたのだろう。衣服づくりは小説を書くことと関係があるのかもしれないのは、プルーストの批評で衣服のようだ、と言及するものがあった。襞とかレースとか継ぎ足すテクニックは物語作りにも役立ったのだろう。もともと母親をアルコールから逸らすために物語を離して聞かせていたというエピソードもある。それは、まさにプイグ『蜘蛛女のキス』のようだ。

『シャギー・ベイン』はなかなか感想がまとまらない。

映画、『LoveLife』。深田晃司監督が、矢野顕子の同名の曲からインスパイアーされて作ったという映画。錯綜する人間関係ドラマだが、面白かった。


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