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松ぼっくり拾う者が居なければ

表紙の写真は、一日ぐらい引きこもってもストックはあるのだけれど。無為の日々だよな。それを有為にならざる日々と書くと詩的だな、と思ったりする。まあ、詩なんてものは無為から生まれるものなのだが。

読書。 (編集)正津勉 (解説)吉本隆明『東京詩集3(1945~1986)』。三巻目は、戦後詩でここから現代詩になるという。「荒地」の面々。まあ、このアンソロジー詩集が「荒地」メンバーの解説によっているのだが。吉本の解説は、難しくて何を言っているのかわからん。東京の変貌は戦時と高度成長期にあるんだけど、詩人はそこでパッと時流で輝いた人と時流に関係なく書き続ける人がいて、その中に東京を下りて郊外に行ってしまう人とそれでも東京で頑張って詩を書き続ける人がいる。

吉本は下町育ちだから、上流階級の詩人たちに多少の負けん気があるのかな。でも東京に住んでいるというだけで詩人としての価値が出てくるというのはよくわからん。まあ東京詩集ということだから。東京を表現して詩人についてなのだが。それで初めに「荒地」の詩人が出てくる。

ただこの選択は、吉本がしたというより(編集)正津勉がしたのだろう。それで政津勉は一つ下の世代で、最初にその頃の詩人について解説してもらい次に詩を載せるというパターンなのだ。その解説が吉本になると難しいというかこの頃は批評家になっていたんだよな。それも80年代のコピーライトの時代を肯定する批評家だから戦後の詩人に対しては複雑な感情があるわけだった。

そんな「荒地」のことを知りたくWOWOWで『荒地の恋』を見始めた。これはねじめ正一原作の荒地メンバーである田村隆一の4番目の妻と不倫した北村太郎のメロドラマなんだが、通俗的に描かれているが面白い。その頃は田村隆一は人気詩人(恋愛詩を書いていたり)であり、北村太郎はいまいちパッといない詩人であった。それでも大新聞の勤めていて多少は今の時代で言えばいい暮らしをしていたのだが、大新聞と言っても校正係だから、ゴーゴリ『外套』の主人公のような感じなのだろう。そこで不倫して、妻とのすったもんだがあり、田村隆一の妻と貧しいながら4畳半的生活をするのだった。でも田村隆一の妻というのは、金持ちの彫刻家の娘であり、鎌倉の持ち家は彼女のものだった。田村隆一は、編集者の女とそこで酒と女の日々を過ごすだめ詩人に描かれている。

まだ田村隆一が生きて、現役でバリバリ詩を書いていた頃だからこれはどういうことなんだろうね。まあ詩人が流行作家に成り得た時代であって、次第にそういうこともなくなって吉本は批評家に転向したのだが、このドラマには吉本らしき人は出て来ない。一番いい役なのが田口トモロヲ演じる鮎川信夫なんで、サラッと戦時中の詩のことなど語ったりするわけだ。「荒地」が出来た理由とか。それを浮気した北村太郎の娘に語るのだ。詩人たちの繋がりについて。戦友みたいなものだ。

ドラマは北村太郎が主人公で田村隆一は駄目詩人として描かれるのだが、北村太郎の家庭が崩壊していくさまが映画『死の棘』のように描かれおり、北村の妻を演じる富田靖子が『死の棘』で浮気されて狂っていく島尾敏雄の妻、島尾まほを演じた松坂慶子のようで面白いドラマになっている。

主役の北村太郎はトヨエツが演じており、トヨエツらしい演技、田村隆一の妻・田村明子が鈴木京香で悪女役なんで彼女の役相応しいのだけれどそれだからちょっと嫌な女になっている。そして、松重が駄目詩人の田村隆一を演じているのだった。実際は田村隆一ではなくて三田村貴一となっているのだが。北村太郎も北川太郎でこっちはわかりやすい。

二人共駄目詩人といえば駄目詩人なのだが、それでも北村太郎は好感が持てるように描いていた。現代詩に興味ある人はお勧めドラマだ。

そんなことでぐうたらにひきこもっていた一日だった。詩を書きたいと思いながら詩を書けないでいる無職だった。

それでも「短歌レッスン」は続けており、相変わらずブービー賞だった。まあ、「うたの日」でトップになる妄想を描いているのだが。そうなったらこのnoteも面白くなるでしょう。


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