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『石垣りん詩集』を読む

『石垣りん詩集』伊藤比呂美編集 (岩波文庫)

家と職場、生活と仕事の描写のうちに根源的なものを凝視する力強い詩を書きつづけ、戦後の女性詩をリードした詩人、石垣りん(一九二〇‐二〇〇四)。そのすべての詩業から、手書き原稿としてのみ遺された未発表詩や単行詩集未収録作品をふくむ、一二〇篇を精選した
目次
『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』
『表札など』
『略歴』
『やさしい言葉』
『レモンとねずみ』
単行詩集未収録詩篇から

梯久美子『この父ありて 娘たちの歳月』で石垣りんの人を知り、「100分de名著 for ユース」の第4集で石垣りんが取り上げられてますます興味を持って詩集を読んで見たくなった。

伊藤比呂美の解説がわかりやすい。初期というか全体的に政治色の強い伊藤比呂美の言葉にするならアジテーションというような詩が多いのだが、それは時代性なのかな。敗戦後から自由な意見が言えるようになって社会性の詩を作っていたのだが、それから個人の詩をつくるようになる。石垣りんが教科書に載るのはこのころの詩で個人を押し出す詩なのだが、そこから一歩踏み出し家族の恥部というようなものも詩にしていく。そこがまさにこの社会で生きること他ならないのだ。そういう詩は教科書には載らない。

梯久美子が『この父ありて 娘たちの歳月』で石垣りんを取り上げ教科書に載るような『表札』や『くらし』よりも家族を読んだ『家』や『きんかくし』の方が好きだと書いていて読んでみたくなったのだが、壮絶だった。

半身不随の父が
四度目の妻に甘えてくらす
このやりきれない家
(中略)
この家
私をいらだたせ
私の顔をそむけさせる
この、愛というもののいやらしさ、

「家」より

家ひとつのちいさなきんかくし
その下に匂うものよ
父と義母があんまり仲が良いので
鼻をつまみたくなるのだ
きたなさが身に沁みるのだ

「きんかくし」

シジミ

夜中に目をさましました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。

「夜があけたら
ドレモコレモ
ミンナクツテヤル」

鬼ババの笑いを
私は笑った。
それから先は
うっすら口をあけて
寝るよりはほかに私の夜はなかった。

『石垣りん詩集』「表札など」から

石垣りんは茨木のり子と双璧の女性詩人だが、同じ戦争を経験していても茨木のり子はどこかモダンガール的な装いがあるのだが、石垣りんは生身の娘という感じがするのだが、この二人は仲がいいという。お互いにないものがあるのだろう?良きライバルという感じがする。



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