見出し画像

ヴェネツィアという夢魔に死す

『ヴェネツィアに死す』マン (翻訳) 岸 美光 (光文社古典新訳文庫)

高名な老作家グスタフ・アッシェンバッハは、ミュンヘンからヴェネツィアへと旅立つ。美しくも豪壮なリド島のホテルに滞在するうち、ポーランド人の家族に出会ったアッシェンバッハは、一家の美しい少年タッジオにつよく惹かれていく。おりしも当地にはコレラの嵐が吹き荒れて……。『魔の山』で著名なトーマス・マンの思索と物語性が生きた、衝撃の新訳。

映画『TAR/ター』を見て、ヴィスコンティ『ベニスに死す』を見て、マンの原作を読みたくなったのです。以前読んだのは『ベニスに死す』だったけど新訳では『ヴェネツィアに死す』になってました。

ちなみに新訳で一番引っかかるのがタイトルの問題。「ベニス」は英語で「Venice」、ヴェネチアはイタリア語で「Venezia」ということだった。まずそこから明らかにしていかないと先に進めない。

「ベニス」でも「ヴェネチア」でも場所の名前であることは同じで、主人公アッシェンバッハはドイツの作家(作曲家マーラーをモデルとも、原作者マンをモデルとも言われているがどっちかなんて限定しないほうがいい。それぞれの顔を持っているのです)。ドイツ出身のアッシェンバッハはフリードリヒ大王に憧れる貴族だが彼の中にあるドイツ精神というものがフリードリヒ大王の世界を体現している。哲学者カントが「フリードリヒの世紀」と称えたとある。

一方「ヴェネチア」自由な商業都市の観光地。シェイクスピア『ベニスの商人』で書かれていた通りだ。そうだ、「ベニスの商人」はユダヤ人だったのだ。これは大きな意味を持つかもしれない。

もともとアッシェンバッハは貴族ではなかったのだ。ジプシー根性という表現もあるような出身階級ではなかったのか?考えられるのはユダヤ人。グスタフ・マーラーはユダヤ人の血を引く家系だった。そのマーラーとの共通点は父が厳格なドイツ人で母は芸術家肌(ジプシー的)ということだ。そこで精神(父)と芸術(母)が対立構造として出てくるのだ。

そしてその対立構造は、精神としてはドイツ精神であり、芸術は自由なヴェネチア芸術ということなのだ。フリードリヒ大王とヴォルテールの論争が言及される。それとヴェネチア芸術というとプルースト『失われた時を求めて』にも描かれていて、同性愛問題や老いの問題は似ていると思う。ヴェネチア芸術がルネッサンスというギリシア・ローマ文化を復興させようとするものだった。特にギリシアはここで重要なような気がする。

ギリシア世界にあった多様性の商業都市としてヴェネチアなのである。そして、アッシェンバッハが目に止めるのはポーランド貴族の少年なのだ。彼の姿に投影されているのはギリシア芸術であり、ギリシア神話の人物(神=芸術)なのである。「バイエーケスの子供」と彼は呼ぶのだ。

「バイエーケスの子供」はホメロス『オデュッセイア』に出てくる話。アッシェンバッハが「オデュッセウス」になぞらえていると思うのは彼もまた放浪者であるからである。

ギリシア神話からギリシア哲学のソクラテスのような同性愛が出てきて美的世界を形作る。それがダッジオとの理想世界なのだが、そこにコレラの伝染病。その意味はなんだろうか?と考えてしまう。これは病の文学なのか?

ダッジオとの理想的美の世界は夢でありだからこそ美で在りえたわけだった。そこにコレラという現実的な病の世界が襲いかかる。ヴィスコンティ『ベニスに死す』ではコレラの世界は生の世界として「エロス」と「死」が存在した(フロイト「エロスとタナトス」)のだがそこに意味を見出すとしたらコレラ(感染症)のまん延は戦争ということかもしれない。カミュ『ペスト』を想い出したのもそんなところだろうか?

アッシェンバッハがヴェネティアの街で感じる臭気は、死の影としてのメタファーであるように感じる。そしてそれを盛んに打ち消そうとする住民。住民に取っては観光都市であり、コレラは経済の死活問題である。日本でもコロナ禍によってそうした死活問題が浮き彫りにされた。社会情勢はその共同体の中にいると見えてこないものである。そのことに気づいたアッシェンバッハは外部の人である。

しかしアッシェンバッハのヒロイズムがすぐに立ち去ることをさせなかった。そこにダッジオとのエロス世界があったのだが、カミュ『ペスト』の連帯がないのは、ダッジオにはアッシェンバッハへの愛がないからなのであろう。この愛は一方的な片思いであり、年寄(鬼)の撹乱に思える。

アッシェンバッハはイタリア政府の隠蔽工作を知る。そしてコレラはオリエントから侵入してきた異教の神だと知るのだ。それはキリスト教世界に対する「異教の神」なのだ。しかしダッジオの関心を引くことは出来ない。そこでダッジオの関心を引くために化粧をする。それは道化役者のようだった。彼は異教の道化役者としてパイドロス(プラトン『パイドロス』)であるダッジオに夢の世界で語りかけるのである。

アッシェンバッハの夢想はギリシアの夢であり、それは過去の世界であった。それが精神に通じる芸術の世界だと知ったときにはコレラに感染していたのだ。彼は愛を成就できたのであろうか?


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?