百人一読(読書の秋から退屈と暇な本)
秋の読書は、読書を深めることで批評本や哲学の本を。ただそれも文学も深めるためであって、思想の思想ための読書ではない。そんな堂々巡りの言葉の罠に囚われないことだ。ブランショの文学空間という虚構の世界を味わうような。それが理想の空間だと思わないこと。
例えばそれらは幻想の共同体ということだ。文学という幻想の共同体。
71 吉本隆明『共同幻想論』
戦後吉本隆明は言論界の中心であった。それも「共同幻想」なのかと思うのは、ほとんどの者はそこに何も見出さないのだろう。幻想という言葉は言葉の罠かもしれない。「対幻想」は恋人たちの、そして家族へと「共同幻想」を形作っていく。そして国家や共同体の幻想となっていく。文学はそこから外れたもののもう一つの「文学空間」なのだ。
72 ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』
共同体論は吉本を読んで理解したと思っていたが、ナショナリズムという思想に陥っていく文学盲者たち。
73プラトン『ソクラテスの弁明』
哲学書はこれを読めば十分だと思う。まず何よりも権威を疑い自分で考えること。プラトンの「洞窟の比喩」は後の共同体論へ影響を与えたと思う。
74 ドゥルーズ=ガタリ『リゾーム』
ドゥルーズ=ガタリの『リゾーム』がでた時の衝撃というか、それから『千のプラトー』が出て購入したけど読んでなかった。まずその語り方がそれまでの哲学書とは違うのだ。文体という「リゾーム」。
75 木村敏『時間と自己』
青春時代に「時間論」にハマったのは、時間に支配される日常を送っていたかもしれない。精神分析からの「時間論」は面白かった。ハイデガー『存在と時間』を読んだつもり。
76 筒井康隆『誰にもわかるハイデガー : 文学部唯野教授・最終講義』
筒井康隆のパロディ小説。このぐらいの理解でいいと思う。『存在と時間』を読んで時間を浪費するなら、むしろ諧謔性として楽しみたい。
77テリー・イーグルトン『文学とは何か』
その『文学部唯野教授』がパロディ化したのが、テリー・イーグルトン『文学とは何か』。文学理論として、批評の歴史を垣間見る。これを読めば精神論をかざす文芸批評家も怖くない。
78國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
國分功一郎は日本のドゥルーズ解説者なのか?哲学も「暇と退屈」を持て余す者の読書なのだ。
79 永井均『<子ども>のための哲学』
哲学の考え方の本かな。あまり覚えてないが一時期このような本ばかり読んでいたな。ニーチェとか。
80 ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』
ニーチェの言葉を言葉そのものの意味で受け取る者はいないと思う。この本は詩として読むとイメージが広がっていく。
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