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隣の問題は、合わせ鏡で日本を照らす

チョン・スチャン『羞恥』チョン・スチャン (著), 斎藤 真理子 (翻訳)(単行本 – 2018)

「私は罪を洗い流したくなかったし、浄化されたくもなかった。
罪を犯した人間のままでいたかった。罪を洗い流したら、
そのあとに何が残るのか? そんな生に耐えられるだろうか」

《脱北者》の三人には、亡命の過程で家族を失うという共通点があった。
ウォンギルはモンゴル砂漠で力尽きた妻を見捨てて娘を背負って逃げてきた。
トンベクは国境を越える直前に家族全員が目の前で公安警察に捕まるが、
自分だけ助かった。ヨンナムは別ルートで脱出した家族が中国で行方不明、
人身売買グループの手に渡ったらしい。

やがて冬季オリンピックの選手村建設予定地で、朝鮮戦争にさかのぼる
大量の人骨が出土した……。

経済至上主義のなかで、脱北者たちのささやかな倫理感が崩れ落ちていく。
北朝鮮出身の両親をもつ作家が韓国社会を凝視し、衝撃を放った小説。

オリンピックにまつわる政治状況は、来年2月の冬季北京オリンピックがアメリカなどが「外交的ボイコット」で騒がれていますし、日本でもコロナ禍の状況で中止問題が騒がれていたにも関わらず開催されました。そんなオリンピック騒動を背景に描いたのがこの作品です。

冬季オリンピックの選手村建設予定地から大量の人骨が発見された。どうも戦争の傷跡、人民軍(北朝鮮)が一般住民を虐殺したという政府発表。しかし、それに異を唱えて米軍が虐殺した証拠があるとニュースで報道される。その過疎村(老人だけの選手村建設も経済のためだった)で起きる反対派のデモ(都会からやってきた者たち)と関係者に買収されて反デモ運動を仕掛ける住民との間で、引き裂かれる脱北者の独身男。

オリンピック開催派の黒幕がいう。

「主催する側にとってはオリンピックは簡単に言って商売だ、商売!それ以上でも以下でもない。オリンピック誘致に金がいくらかかっていると思う。君なんぞ想像つかない額だぞ。そんな金をつぎこんでおいて、商売でなきゃ何だ?使っただけ儲けなくてどうする。慈善事業でもやっていると思うかい?それに、そもそも儲からないのなら何であんな必死になって誘致すると思う。他の国だって同じだ。世界平和のために頑張ろうってか?全部、金のためだ!経済効果という意味も知らんのか?資本主義がなんなのか、まだわかっていないのかね?」

資本主義国ではなく中国でも事情は同じなのだろう。韓国にはソウルオリンピックの経済効果の実績があった。東京も同じですね。北京も同じなんだろうと思います。同じ世界が続くと信じる勢力がある。

脱北者の男は、絶望を経験した男です。北から脱出するために妻と子供を喪った。その過程が非情に悲惨。中国のブローカーに騙され、妻は娼婦まがいのことをさせられる。それも男しかいない村だった。それでも死ねない(脱北者の男が目撃した頃のは)。何故か?幼い子供がいるから自分が死ぬと子供がまっさきに殺されるだろうと考えるからです。そういした絶望状況の中から逃げてきた男。たぶん、もう妻と子供は死んでいる。そのための懺悔をしたいと願う。それは妻や子だけではなく、置き去りにされ死んでいった者たち

極端な話だと思いますが似たようなことは難民問題や、日本でも敗戦後の満州帰還問題で同じようなことが起きていた。ある村ではソ連兵に守ってもらうために未婚の女性に性接待をさせていたという証言もありました。

この過疎村の独身男は、人骨発見のニュースを聞いて、死者に対する懺悔の意味で、その芝居をしたいと思ったのです(最初に誘われたのは僧侶の脚本家で懺悔芝居は供養のためだった)。それが人骨騒動がオリンピック開催問題と結び付けられて政治問題に発展していく。男は政治問題に関係なく懺悔芝居をやりたかった。

そこに娘を伴って脱北者の男が遊びに来ます。それは、過疎村の独身男が直前に自殺した脱北者の友人の弔いだったのかもと思います。脱北した頃に三人は知り合って助け合い都会で暮らしていた。後にこの頃が苦しい中でも一番楽しかったと娘がいる男(語り手)が語る。あの頃生きていけたのは、娘の存在があったからだ、と独身男に言われる。

娘は反抗期で脱北者の父とは上手く行かない。それは娘が日常で感じる差別感情を父は対処できない。ある日躁うつ病の男友達が出来て彼の弱さを弟にように面倒をみる友だちになる。その友だちを伴って脱北者の父の友だちの田舎に遊びにきていたが、人骨事件のデモ騒ぎに惹かれていく。そこでは彼女の怒りが体現され共感していると思うのです。反デモ派が露骨な脱北者をアカ扱いし、オリンピック妨害を彼らの先導なのだと思う。

その中心にいるのが、懺悔の芝居をやろうとする脱北者の男だと思ったわけです。ぜひとも中止させなければ、とオリンピック開催派が行動を起こすわけです。とても荒っぽい行動の中で、子供たちを守ろうとする父の感情と脱北者の友人で彼の懺悔と羞恥を知る感情の中で引き裂かれていく物語です。

経済優先で置き去りにされる者たち。彼らも過疎村の老人たちのような立場の者もいれば、都会からやってくる反対派のような者もいる。この状況は沖縄の基地問題を思い起こさせる。そういえば、脱北者の娘が反対派の前で演説をして、それが大いに共感をよんだとか。日本のニュース報道でも女子学生の演説から基地反対闘争が盛り上がったとかありました。

そういうことでこの小説はお隣のことでありながら、今の日本の社会とも重ね合わせて読むことが出来ます。さらに過酷な難民問題、これは日本では移民問題の実習生のブッラク企業問題もあります。羞恥を感じなければならにのはどっちなのか?彼らは絶えず羞恥にさらされているのだと思います。

娘を抱える語り手が、第三世界で生活する夢を見るのです。誰にも気兼ねなく生きられる世界、その第三世界はもはや夢の中にしかないのだろうか?脱北者の友人三人と娘が平和に暮らす光景。娘の未来は、きっとそんな予感を感じさせる小説でもあります。


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