「同情するなら金をくれ!」という言葉は排除される『東京都同情塔』
『文藝春秋3月号(3月特別号)』
芥川賞特集号。『東京都同情塔』九段理江の選評を読むために普段買わない『文藝春秋』を買ったのだが、けっこう評価は割れていると思った。
九段理江よりも『迷彩服の男』が興味深い。まだ受賞作を読んでないのだがAIによる「バベルの塔」というアイデアがそれほど新しくないような。ディストピア小説なんだろうけど、SFでももう新しいアイデアではないよな。ただ九段理江の文体がどうなのかだな。三島由紀夫が好きな人なんで、ちょっと作りすぎのところがあるみたいだ。
早速、選評を読んでみた。
小川洋子は無難だな。ただ彼女が『迷彩服の男』を推しているので評価できるかもしれない。小川洋子は批評はまあまあだけど安全パイなんだよな。3点ぐらい。標準点ということで。
島田雅彦は批評家タイプ。すべての作品にコメントしているな。特別に推し作品はないみたいだった。3点。
松浦寿輝は川野芽生『Blue』評。詩的な部分か?幻想譚であるから好みなだけに評は厳しい。九段理江推しか?評は無難。で3点
山田詠美のいきなりの川野芽生『Blue』批判。文体がすきじゃないのがわかる。けなし評に山田詠美らしさがある。読んでいて面白いが大したことは言ってないな。3.5ぐらいか?
平野啓一郎。無難なこれと言ってないが、やはり九段理江の受賞は三島らしさを感じるのか?3点。
奥泉光は九段理江のような小説が好きそうな感じ。『迷彩服の男』のような作品は好まない感じか。2点。
吉田修一は逆に『迷彩服の男』に好評だった。ただホセ君のハッテン場小説のスタイルに飽きている感じか。2点。
川上弘美は逆の意味で面白い天然系評だった。けっこう凄いことを言っているな。書き続ける作家はそれほど言いたいことがないだと。それはあんたでしょうとツッコミたくなる。だから文体勝負だみたいなことか。論理は通っているのか。4点
堀江敏幸は最後の選評。小砂川チト『猿の戴冠式』推しだった。カフカ的なのかな読んでみたい気もする。選評は無難で3点。
受賞者インタビュー。タイトルが「とうきょうとどうじょうとう」と韻を踏んでいるのだとか。なかなか上手いな。そういう言語センスはある。
一推しは平野啓一郎の選評か。三島由紀夫『金閣寺』の影響を読み取っていた(ビルド&スクラップ)。そのビルドの部分で関わってくるのがAIなのだが、検閲というシステムの中で対峙するのが設計者である女性建築家なのだ(設計時点では建築物だけのことを考えていた)。
東京オリンピックに対しての批評小説みたいなパロディなんだが、競技場を女性器とイメージしそれに添えるビルディングを男根に見立てているのが面白い。都市設計としては正しいあり方なのかな。集客力のある器と誰もが憧れるビルディングが。「東京都同情塔」は犯罪者しか入れないのだが。
そのきっかけになったのが教育も受けて無くセックスして子供を産んで犯罪に走ってしまった女性の更生ということだった。そこに同情の余地があるということだ。そして否定的な思考は排除して明るい未来に向かっていく。
ラストの女性建築家のモノローグ的雑念が読みどころになっている。結末がアンビルドになっていくのはオーウェル『1984』のような。
『東京都同情塔』は基本的にはそうしたシステムに管理されていく小説だった。三島由紀夫を意識しているというのは『金閣寺』の美という観念だろう。その美の観念としての構築物としてが『東京都同情塔』なのだが、それはオリンピック精神にあるような真・善・美を肯定的に描きながら、ある挫折を語るものだった。
それがコンペで失敗した競技場(女性器に喩えられる)とそれに添えられる男根(「鶴光でおま」だな)としてのビルディングが「東京都同情塔』というもので、それがシステム的に集約するAI的な人工知能による支配の構図を作品にしたのだろう。「東京オリンピック」に対するパロディになっている。
アメリカのジャーナリスト?の体臭。臭気に対する嫌悪感とともに懐かしさみたいなものが彼女の雑念を生んでいくのだ。排除することの目的として建てられた『東京都同情塔』が物ではなく人としての体臭と共に崩れていく。
九段理江『東京都同情塔』の前に、AIについて、小説家の立場から否定的な小川哲と技術者の立場から落合陽一らの鼎談が掲載されているのが『文藝春秋』側の気の使い方なんだろうか?と考えてしまった。AIが使われた小説と言っても枝葉的な部分で利用しただけのパッチワーク的(引用)なものなんで、実際にAIを使って書いたわけでもなかった。テーマとしてAIがあるという作品。
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