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『同時代ゲーム』を読む(その3)

『同時代ゲーム』大江健三郎

「第三の手紙 「牛鬼」および「暗がりの神」」

娘よ、壊す人の亀井銘助について、すでに外部の人間である僕と村の最後の人だという二十歳になる演劇青年の一揆の捉え方について外部の書『吾和地義民伝』を辿りながら、彼が壊す人であり英雄視された経緯について考察したいと思う。

彼(演劇青年)とは亀井銘助について意見の相違があるが、彼の中で亀井銘助は英雄なのだ。そして、僕の伝承では反逆でもあった。視点の違い。彼は内部の人で、僕は外部の人間になっていた。

娘よ先日、BS世界のドキュメンタリー「青い募金箱 イスラエル建国の真実」を観た。イスラエルの木を植える人(語り手の曽祖父)が実はアラブ人から土地を略奪して追放する人だったという裏歴史。「木を植えた男」は戦争の荒地に木を植えたこととされるが、実際はアラブ人の廃墟を隠すためだった。それはイスラエル建国時にアラブ人の住居を破壊して彼らを追い出して、廃墟となった土地に木を植えることで、アラブ人の歴史の上にイスラエルの建国したということだった。そこでの森の木は都合よくアラブ人の廃墟を隠蔽するということだった。それを曽祖父の日記から調べ上げたのが、娘よ、ひ孫の娘だったということだよ。彼女は青い募金箱(イスラエルの入植を助ける木を植える運動)がアラブ人の土地を隠蔽するブラック・ボックスだったということを明らかにしたのだ。

僕がメキシコで第三世界がキリスト教の世界の犠牲になり、例えばメキシコの教会の下にはマヤ文明が埋まっている、そういうことをメキシコ人と交流することから学んで、またアラブ人なら作家の親友であるエドワード・サイードに『オリエンタリズム』という名著があるのだが、そこから思考すべき同時代というものがかつての僕たちの村の神話にもあったということなのだ。

娘よ、昔の映画だが『アラビアのロレンス』という映画を観てもらいたい。そこに描かれている英雄としてのロレンスは、亀井銘助なのだよ。アラブの砂漠を駱駝に乗った白人のターバンの男が疾走する(それはもう一人の男の失踪も描いていた)。それがロレンスで義賊とも呼ばれた。もとはイギリスのスパイでアラブ人を探る任務だったということだが、小説や映画の中では義賊とされている。

娘よ、亀井銘助は「アラビアのロレンス」には程遠いかもしれないが「四国の銘助」と言えばロレンスに劣らず四国では英雄だったのだ。それでも壊す人(亀井銘助の先祖だが入植したときの「甕村(かめむら)」とは、棺(甕は死体を入れる壺だ)に覆われた村のことで、そこで壊す人は外部世界と遮断するために木を植えた。それは先祖代々のタブーの歴史だったので隠蔽されたのだ。外部にいる僕が語りうるのは、すでに内部に居ないからだった。内部で最後に生まれた脚本家にとっては壊す人は英雄神話だったのだ。


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