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『同時代ゲーム』を読む(その2)

『同時代ゲーム』大江健三郎

海に向って追放された武士の集団が、川を遡って、四国の山奥に《村=国=家=小宇宙》を創建し、長い〈自由時代〉のあと、大日本帝国と全面戦争に突入した!? 壊す人、アポ爺、ペリ爺、オシコメ、シリメ、「木から降りん人」等々、奇体な人物を操り出しながら、父=神主の息子〈僕〉が双生児の妹に向けて語る、一族の神話と歴史。得意な作家的想像力が構築した、現代文学の収穫1000枚。『同時代ゲーム』

「第二の手紙 犬ほどのおおきさのもの」

娘よ、『同時代ゲーム』は複雑過ぎて手に負えなくなっている。それは登場人物の複雑さからだろう。まず壊す人は太字で繰り返しでてくるのだが、その理解が難しい。それがテーマともなっているのだが破壊神というべきか?外部からやってきた人の意味で在の先住民を破壊した人なのだが、善悪を超えて伝承として語られることで人々に反省を促して良き世界を作っていく。

それは弁証法的というべきか。今やっている「100分de名著のヘーゲル『精神現象学』」に近いのかもしれない。精神=魂の問題ではあるのだが、人の精神の中に現れる神(自然神)=魂だと思うのだ。

娘よ、それは繰り返される伝承(神話)として伝えられたというのなら納得できるのではあるまいか?それを繰り返すことで大江健三郎の魂を伝承している。しかしそれはその神話を壊すことでもある。何故なら外部の者が伝えるには外部の話も混じってくるからなのだ。

例えば「聖書」が元のイエス・キリストの話ではなくそれぞれの語り手の福音書(批評)であることは、娘よ、もっと知られてもいい事実なのだよ。さらにそのイエス・キリストはすでに信じられていたユダヤ教を壊す人なのだから。さらにお前の好きな歌だって、たえず繰り返され元歌を壊しながらも伝えられていく歌もあるはずだ。シド・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」とか。

すでに僕は、妹から娘よとお前に語りかけているのだから、そこは違った内容になるだろう。

続いて「おしこめ」という『M/Tと森のフシギの物語』でも「Matriarch(女族長)」と明記している。それは家父長制が始まる前の部族社会は巫女的な役割を持った者が中心となるべく神話が日本だけでなく世界各地にあるのだ。中でも大江健三郎が影響を受けたメキシコでのアメリカインディアンの中にもあったのは、娘よ、お前が小さい時に見たディズニー映画『ポカホンタス』の世界にも伺えられるだろう。しかしそれは白人が作ったものとして、壊されたとインディアンたちは言うだろう。

そもそも「おしこめ」の元となった「醜女(しこめ)」というコトバは日本の神話にも出てくるコトバだ。それは生む性として「美女」であったならあっちこっち浮気して困るから「醜女」という性的快楽よりも生む性として特徴付けた名前だとフェミニストたちは言うだろう。それはそうかもしれないと反省せねばならないことだったと思うのは、娘よ、お前が化粧や派手な服を着て美人になることを許せなかった父の本音はそんな所にあるのかもしれない。

それは「おしこめ」という壊す人によって懐妊させられ、また壊す人を再生産する運命にあるのだが、そのことは伝承者による僕は、神主である父によって授けられ弁証法的に学んでいた西欧的思考とも言えるかもしれない。

その冬眠および再生という言葉を導きだす他者(宇宙人)として「ダライ盤」とよばれた旋盤工がいた。彼が村にやってきて、工業化をして恵みをもたらしたのだが、それは破壊をも呼び込んだ。これは資本主義のイメージだろうか?そんな彼が癌に犯されて自らを冬眠させ未来に送って治療するSF的妄想にかられる(『燃あがる緑の木』の元・外交官の「総領事」に繋がる)。それで作ったのがカプセルの冬眠機械であり宇宙船と言ってもいい鞘なのだが、それに語り手である僕と妹が乗り込み未来に送り出されることを希求するのだ。

そして、科学者と言えば忘れてはならない双子の天体力学の専門家がアポ爺・ペリ爺だ。彼らはアポジー(遠地点)・ペリジー(近地点)に由来するとあるが、私はイタリアの作家であるイタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』の影響もあると思う。二人組の道化役なのだが、大江健三郎の作品ではこのような二人組によって話が発展していくスタイルだと言われている。彼らは直接的には物語に影響はしないが壊す人が導かれる「死人の道」ついて宇宙の論理を明らかにするのだ。

さらにその壊す人を死に致しめる「シリメ」はどう説明すればいいのだろう?その村での最底辺に居る人物だからこそ「不死の人」壊す人を殺すことができたという。彼の役目が毒草を栽培してた薬草園(それは壊す人を治療するためのものでもあったのだ)の毒草を管理する者であり、「シリメ」は蝿を纏わせるほどの醜い者だったのだが、その尻という目から悪臭を放つ姿が異様な有様であり、娘よ、お前は近づいてはならない男なのだが、世界にはそういう醜い男もいるのだということを学ぶ必要があるのだ。それは「シリメ」の悪意が村人の総意であったということなのだが。つまり壊す人が死なない限り村は代替わりはしないという若者らの憤懣・不満が流布されていったのだ。娘よ、それは今のネット社会に生きるお前なら感じていることだろう。


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