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虚実皮膜という境界性を描く泉鏡花

『菊あわせ』1932(昭和7)

泉鏡花の幻想文学というか怪談話。それも秋の怪談というのが珍しいかも。鏡花特有の雅な古語使いが幻想の世界へ。温泉地の鹿威しの音なのか「カーン・・・、カーン・・・」と響くのが狐の鳴き声のような感じで響いてくる。そこに何とも艶めかしい女が子供背負って、というような話。前半はちょっと分かりづらく、文体に慣れてくる頃に話が面白くなっていく感じか。

『小春の狐』1924(大正十三)

旅先の温泉地で茸売りに出会った主人公は、少年時代の一日を思い出す。昔、茸を一緒に摘んだ、「亡き母への思慕」を感じさせる年上の姉さんへのあこがれを基調とした淡い恋心が描かれる。どこか紀行文のような味わいのある作品。

先に読んだ『菊あわせ』の姉妹編のような作品だけどこっちの方が読みやすい。題名からして「狐」となっているので、狐の化身の話だと想像できる。小春は「小春日和」ということかな。季節はきのこ狩りの秋だった。怪談話だけどこっちの方が幻想風。『菊あわせ』(1932年)『小春の狐』(1924年)で『小春の狐』の方が先に書かれていた。

『小春の狐』は関東大震災後の話で、電車とかウィスキーという近代的なアイテムの中に古典的(江戸時代か?)怪談噺で、近世から近代という境界性を描いているのだと思う。狐憑きも彼岸性の話という幻想譚だった。

ポーのゴシック小説に近いのかもしれない。ただ泉鏡花は雅さが根本にあるのでホラー度は低いかもしれない。


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