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夢現の鏡花の世界

『春昼』泉鏡花

明治後期から昭和初期に活躍した小説家、泉鏡花の短編小説。初出は「新小説」[1906(明治39)年]。春の好日、鎌倉の古刹へ足をのばした男は、かつて寺の客人に起きた不思議な悲恋話を住職から聞かされる。鏡花が逗子で静養中に書いた分身譚。澁澤龍彦が幻想的な舞台の場面を「ぞっとするような異様な感動」と賞した傑作

「春昼」は俳句の季語でもあった。読みは「しゅんちゅう」。あまり聞いたことがない言葉である。そういう美文調(古語)によって書かれた「春昼」は文体がまず幻惑的で、俳句や短歌で使えそうな美文調のコトバで満ちている。そこをクリアして始めて物語に入り込めるわけだが、そこにすでに鏡花の文学の狙いがあると思われる。

つまりそれはすでに忘却してしまった言葉で、主人公が散歩しながら、それが逗子で主人公も散策子というのは散歩する人の意味で、それは読んでいてもなかなかわからない。泉鏡花の文体を辿ることが散策子であり、逗子という実際の地名よりもそこの和尚?から話を聞く摩訶不思議の世界から成り立っているのである。

それは例えば小野小町の和歌の世界。

うたゝ寐に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき   小野小町

古今集

そのコトバに導き出される夢現の世界が広がっていくのである。太宰治にも『春昼』という短編があるのだが、鏡花のこの短編を読んだのか、こちらは読みやすく桜見物で桜の感想をする夫婦と妹の会話の短編

『春昼後刻』泉鏡花

泉鏡花の短編小説。初出は「新小説」[1906(明治39)年]。静養のために逗子に一室を借りて暮らす散策子は、ほかほかと春の陽が射す野路をゆく。鍬を長閑に使う農夫の会話が繰り広げられ、春昼の風物を背景に話が進められていく。散策中に出会った和尚に「一年前寺に逗留していた客が”玉脇みを”なる人妻に焦がれ死にをした」との話を聞く。快奇な物語。

『春昼』の続編。こちらの方が読みやすいのは語りが三人称で、夢現でも直接、女(玉脇みを)に出会うからか、先の和尚の話(間接話法だったことも分かりにくさの原因か)に馴れたのかイメージされやすい。最初馴れないのは着物とかの描写が多いのが現代人にはイメージしにくいからだった。そこをクリアすると女の身体が見えてくる。エロスの世界。「エロスとタナトス」。

こっちは和泉式部の歌から導かれている。

君とまたみるめ生(お)いせば四方(よも)の海の 底の限りはかづきみてまし

鎌倉に行きたくなる短編だった。美文調なのに、絵を◯▢△で語るのも面白いと思った。


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