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「鴨南蛮」から「折鶴」に変態する女

『売色鴨南蛮』泉鏡花 Kindle版


泉鏡花の短編小説。初出は「人間」[1920(大正9)年]。宗吉は、芸者お千の学資を受け医者として大成するのだが。鏡花が紅葉門下になるまでの放浪生活をモチーフにした「風流後妻打」「手習」の類型と言える。なかでも本作は、著者自身の不安感と好みの女性像がより投影されている。

溝口健二『折鶴お千』(1935)の原作ということで。どうしたら「鴨南蛮お千」が「折鶴お千」になるのか?泉鏡花の幻想譚なんだが、妖怪や幽霊のたぐいではなく精神的な内面世界を描いたものである。手籠にされる娼婦(妾)の話なんだが医学生の奉公人が自殺するのを助ける。そのときに娼婦が観音様のような仏になるという話。すごく話が分かりにくいのは美文調の文語体で書かれている。本筋と関係ない装飾的な言葉が多すぎるのは、現代小説になれてしまった者には辛いものがある。

はじめ、目に着いたのは――ちと申兼ねるが、――とにかく、緋縮緬(ひぢりめん)であった。その燃立つようなのに、朱で処々ぼかしの入った長襦袢で。女は裙(すそ)を端折(はしょって)いたのではない。褄(つま)を高々と掲げて、膝で挟んだあたりから、紅がしっとり垂れて、白い足くびを絡まとったが、どうやら濡しょびれた不気味さに、そうして引上げたものらしい。素足に染まって、その紅(あかい)のが映りそうなのに、藤色の緒の重い厚ぼったい駒下駄こまげた、泥まみれなのを、弱々と内輪に揃えて、股を一つ捩った姿で、降ふりしきる雨の待合所の片隅に、腰を掛けていたのである。

女は赤い着物を着て、泥だけの下駄だが長襦袢の朱色から出ているおみ足が色ぽかった。と語り手が語るのもこんな具合だ。描写はそんな感じの文章で分かりにくい。会話はなんとなくわかると思う。まあ、私は映画を先に見ていたので、物語を知っていた。ただ映画では医学生から医者になるまでを物語るが、ここは折鶴のシーンで終わっている。そこが見事なんだな。

お千は妾として金持ちの家に住んでいるのだが、その奉公人が語り手のわけだった。それで欲望坊主のような主とその手下のものにお千が手籠されるシーンは、まるで漫画みたいな擬音で表現しているのだ。その落差が面白かった。講談調ということなのかな。

 
「うふ、うふ、うふ。」と平四郎の忍び笑が、歯茎を洩れて声に出る。
「うふふ、うふふ、うふふふふふ。」
「何じゃい。」と片手に猪口(ちょく)を取りながら、黒天鵝絨(くろびろうど)の蒲団の上に、萩、菖蒲(あやめ)、桜、牡丹の合戦を、どろんとした目で見据えていた、大島揃(おおしまぞろい)、大胡坐(おおあぐら)の熊沢が、ぎょろりと平四郎を見向いて言うと、笑いの虫は蕃椒(とうがらし)を食ったように、赤くなるまで赫かっと競勢きおって、
「うはははは、うふふ、うふふ。うふふ。えッ、いや、あ、あ、チ、あははははは、はッはッはッはッ、テ、ウ、えッ、えッ、えッ、えへへ、うふふ、あはあはあは、あは、あはははははは、あはははは。」

浅葱色というお千の表情が鴨がネギを背負ってみたいなことなのか?「鴨南蛮」として食べられちゃうわけです。

そんなお千だけど、語り手の宗吉に対しては姉のように守ってくれるのです。イジメを受けている新入社員にちょっと先輩のOLのお姉さんが普段はセクハラとか受けているのに、この時は身体を張って助けてくれるのです。

そして、それが警察沙汰の事件になって、そのときに折鶴をふっと吹いて宗吉に渡す。その表情が観音様だったという話です。欲望の色街の中で、お千のプラトニックな愛が渡されて医者になったという話です。


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