ガーダ パレスチナの「もだえ神」
『ガーダ 女たちのパレスチナ』古居みずえ
映画『ガーダ パレスチナの詩』のテキスト版か。映画を見たのでガーダの本が翻訳されていると監督である古居みずえさんが言っていたので探していたら図書館にこの本があった。
ガーダはパレスチナの石牟礼道子というような感じなのかな。存在感はそんな感じで、パレスチナの男尊女卑の中でも結婚について自分の意見を押し通せる稀有な女性だった(パレスチナというよりイスラム社会は『源氏物語』の世界だった)。
彼女は人間が作った法は人間ならば変えられるはずだといい、誰もやらないのなら私が最初の人になるというような気概を持ったパレスチナ女性だ。映画ではパレスチナの悲惨さだけを描くことはしていなかったのは、ガーダの結婚式をめぐる話(パレスチナ女性の家のための結婚というシステム)から聞き書きで祖母や農婦の難民の話も、まずラブ・ソングから始まる。
そして彼女はパレスチナの歴史を聞き書きして本に出すことだにするのだ。その中で祖母のナクバやシャティーラの虐殺を聞き出すのだが、そこにかつて歌われていた歌があることだ。パレスチナの人々の歌と踊りは彼らの生き方を伝えている。それは悲しいときには悲しんで喜びのときは喜びを爆発させる感情表現にある(エミール・クストリッツァ『アンダーグランド』の世界だった)。そして銃弾が飛び交うときでも美味しいものを食べたいと思う生きる欲望があった(映画では銃弾の中でもお菓子作りをしていたナーダ家を映し出していた)。
女性が歌う唄は結婚にまつわるラブソングだったり、農民詩人のおじさんが即興的にプロテスト・ソングを歌ったりする民族性がパレスチナだった。それはイスラム教徒の別の顔だ(テロリストばかりニュースにされるが)。
戦時のパレスチナでもしなやかに生きる姿を描いている(今と状況は変わってしまったと思うが)。作者である古居みずえさんもパレスチナ難民の悲惨さよりも元気を貰ってくるという。それが彼女がパレスチナに関わるようになることだった。それはただパレスチナの悲惨さを伝えるのではなく、ガーダのようにイスラエルに行ってヘブライ語を勉強し、イスラエルとパレスチナの架け橋になろうとしているのだろう。ただイスラエルの酷さには感情を爆発させ、イスラエルでも抗議する女性だった。
彼女が変わったのは第二第二次インティファーダ親戚の子供が犠牲になったので民族的アイデンティティに目覚めるのだ。そしてそんな子供の葬儀の日に検問で帰れなくなったときに真っ先に飛び出してイスラエル兵と話をつけてくるのだった。そして何よりも歌と踊りが好きなパレスチナ人に感動する。
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