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ガザ黙示録

『ガザに地下鉄が走る日』岡真理

それでもなお人間らしく生きることが、暴力への抵抗だ。生きながらの死を強いる占領と、パレスチナで暮らす人々との出会いを伝える。イスラエル建国とパレスチナ人の難民化から70年。高い分離壁に囲まれたパレスチナ・ガザ地区は「現代の強制収容所」と言われる。そこで生きるとは、いかなることだろうか。
ガザが完全封鎖されてから10年以上が経つ。移動の自由はなく、物資は制限され、ミサイルが日常的に撃ち込まれ、数年おきに大規模な破壊と集団殺戮が繰り返される。そこで行なわれていることは、難民から、人間性をも剥奪しようとする暴力だ。
占領と戦うとは、この人間性の破壊、生きながらの死と戦うことだ。人間らしく生きる可能性をことごとく圧殺する暴力のなかで人間らしく生きること、それがパレスチナ人の根源的な抵抗となる。
それを教えてくれたのが、パレスチナの人びとだった。著者がパレスチナと関わりつづけて40年、絶望的な状況でなお人間的に生きる人びととの出会いを伝える。ガザに地下鉄が走る日まで、その日が少しでも早く訪れるように、私たちがすることは何だろうかと。
目次
第1章 砂漠の辺獄
第2章 太陽の男たち
第3章 ノーマンの骨
第4章 存在の耐えられない軽さ
第5章 ゲルニカ
第6章 蠅の日の記憶
第7章 闇の奥
第8章 パレスチナ人であるということ
第9章 ヘルウ・フィラスティーン?
第10章 パレスチナ人を生きる
第11章 魂の破壊に抗して
第12章 人間性の臨界
第13章 悲しい苺の実る土地
第14章 ガザに地下鉄が走る日
あとがき

岡真理さんはパレスチナの支援活動もしているし、ガザの惨状も経験しているのでパレスチナ関係はもっとも信頼できる人かもしれない。その前に読んだ『アラブ、祈りとしての文学』が良かったので、また手にする。

イスラエルの「漸進的ジェノサイド」は1948年ナクバ(大虐殺)から年々酷くなっており、イスラエルはパレスチナの人間性喪失を狙ったものだという。実際にイスラエル兵に撃たれるために抵抗している者もいるという(イスラム教では自殺を禁じられているが殉死者は手厚くされて家族はハマスの支援をうけるのだ)。そのことが武力に対して武力というイスラム原理主義が広がっていく要因になっているという。

それに対抗する手段として文化的アイデンティティを培っていくこと、タイトルの「ガザに地下鉄が走る日」とは希望の芸術だということだ。地下鉄という平和都市(東京やパリやNY)に当たり前に走る街にしたいという願い。

地下鉄のメタファが脱出したいという願いもあるのかもしれない。それは「銀河鉄道」と同じようなものだろうか?しかし、そうした芸術家も次第に希望が持てなくなっているという(2003年NHKスペシャル「ガザ 封鎖された町で」)。

実際のパレスチナ難民の惨状を文学や映画で紹介して、カナファーニー『太陽の男たち』、ジュネ『シャティーラの四時間』などの批評もわかりやすかった。そうした文学を過去のもの(『アラビアン・ナイト』のように)としないことが必要だと思う。

また日本がイスラエルと軍事協力していることや、在日コリアンの立場がパレスチナに重なるとしてウトロ地区は難民キャンプと同じ感想を持ったというパレスチナ難民を紹介している(彼は役者の道に進んで殺されたのだが)。

「地獄とは、人が苦しんでいる場所ではない。人の苦しみを誰も見ようとしない場所(世界)のことだ」アル=ハッラージュ。


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