見出し画像

クィアから見る映画批評

『クィア・シネマ 世界と時間に別の仕方で存在するために』菅野優香

クィア・シネマという「可能性の地平」に向かって。ジェンダーやセクシュアリティ、人種に対する規範や制度を問い直し、家族主義や都会主義に抗い、直線的な時間に逆らって歴史を書き直す。気鋭の研究者が照らし出すクィア・シネマの重層性。アルフレッド・ヒッチコック、オードリー・ヘプバーン、ジュディ・ガーランド、グザヴィエ・ドラン、セリーヌ・シアマ、田中絹代、三池崇史、美輪明宏、原節子、高倉健…作家、スター、作品のみならず観客やコミュニティを縦横に論じる「雑種」で「不純」な映画論。
目次
第1部 映画文化とクィア・スタディーズ(クィア・シネマの場所―歴史を変えるために;クィア・シネマを知るために―クィアの理論と歴史 ほか)
第2部 クィア・シネマの再発見(ヒッチコック問題―『レベッカ』と『マーニー』をめぐるフェミニスト/クィア批評;ハイスミス映画のクィアと逸脱―冷戦下のホモセクシュアリティ ほか)
第3部 クィア・シネマとスターたち(パンパン、レズビアン、女の共同体―女性映画としての『女ばかりの夜』;人種化される欲望―三池崇史と「沖縄」をめぐる映画的想像力の一考察 ほか)
第4部 クィア・シネマと上映空間(政治的なことは映画的なこと―一九七〇年代の「フェミニスト映画運動」;クィア・LGBT映画祭試論―映画文化とクィアの系譜 ほか)

クィアを扱った映画批評。クィアがよくわからないのだが性的なマイノリティーで差別される人たちという意味だろうか?先日、りゅうちぇるさんが自殺したという痛ましい事件があった日本ではまだまだ認知されていないのだろうと思う。

ヒッチコック『見知らぬ乗客』の原作はパトリシア・ハイスミスで、映画の中に同性愛が隠されているとか。ハイスミスの映画が公開されるので、それも興味があった。ただ『見知らぬ乗客』は未見なのでよくわからないところがある。当時は赤狩りが行われおり、それ以上に同性愛狩りも行われていたという。それは同性愛者のハッテン場がワシントンD・Cにあり、権力者が同性愛者が紛れ込むのを恐れたからというだという。ロック・ハドソンが同性愛者だったとか、ハリウッドにも多いのかもしれない。

未見の映画はわからないが、面白いのは小津安二郎「紀子三部作」の原節子の映画批評。小津安二郎の保守的な映画の中に描かれる同性愛的な友人関係。ヒロインの紀子(原節子)は同窓会仲間が同性愛的だと指摘する。また彼女と家族の関係も女性との関係が目立ち、夫は影が薄い。もっとも晩婚の縁談話というストーリーが多く、結婚で結末シーンを迎えるのだ。『東京物語』は夫は戦死しており、写真だけの登場となる。そこでもいい嫁を演じている。

『麦秋』では『若草物語』のキャサリン・ヘップバーンのファンだと公言する紀子に「変態」と言うオヤジの佐野周二。佐野周二は同級生の学友とのホモ・セクシャルな関係で、フェミニズムの欲望の三角形で解いて見せる。小津の映画はオヤジギャグがセクハラだというのは、あまり映画評論家も指摘しない。

あと高倉健のゲイ説とか東郷健の歌で聞いた。目が誘っているとか。沖縄が舞台となる映画がゲイ的な観光地になっているとか、面白いと思った。

東郷健の歌は、渋さ知らズ『歌謡大全』で聞いたのだが、オリジナル版がユーチューブにあった。すごい内容だ。今ではこんなアルバム出ないだろうけど。当時も斬新だったと思うが寺山修司の関係かな。おすぎとピーコがいたり、今よりはクィアな社会だったのかもしれない。



この記事が参加している募集

#読書感想文

190,781件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?