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鴨群れる落花の流れ餌でなし

桜の花びらに鴨たちが大騒ぎだった。まだそれほどでもないが桜が植えてない(東京都は植えてあり県境で横浜市になると植えてない、遊歩道も整備されない)地域でも桜花を楽しむことが出来る。でも雨ばかりの天気だから昨日は引き籠もりだったのだ。今日の一句。

鴨群れる落花の流れ餌でなし

桜といえば和歌の世界なのだが『新古今集』をプロデュースした『菊帝悲歌 小説後鳥羽院』を読んだ。栄華は幻。現実は地獄。しかし人間の欲望は深まるばかり。

図書館本で4週間借りても読みきれずに再び借りた本だった。塚本邦雄の美文が読みにくく日本史にも疎かった(鎌倉武士の登場人物がまったくわからず『鎌倉殿の13人』も見てなかったから)。

そして、またも鈍器本リチャード・パワーズ『黄金虫変奏曲』は読み切れるのか?今月中に春旅行に行こうと思ったが4月にした。天気も良くないようだし。計画も立たなかった。昨日、旅行のプランを少し考えたが今回は図書館めぐりということにしても鈍器本は持っていけない。

読めなければ途中で返してもいいのだ。ある程度覚えていれば一度に読めない場合もある。それは『失われた時を求めて』を読んだ自信だった。死ぬまでに読めばいいと。死んだらそういう欲望もないのだから。そうだ『源氏物語』も読んでいるのだ。『宇治十帖』になってから手強くなっている。物語が複雑になっているような。紫式部(彼女が一人で書いたとして)、光源氏が死ぬまでのところは栄華物語として桃源郷を描いていたのだが次第にそれは苦界なのではないか?と現実も描くようになったこと。あと系図が錯綜してくるのは三代目になっているから。フォークナー的なマジック・リアリズムはすでに紫式部によって書かれていたのではないか?

聴き逃しラジオ「紫式部の「絶望名言」後編」

職業人の擬態という話が面白かった。就職するとその職業に合わせて性格が形作られるという。社会的な適合かと思うが、それが合わないとストレスになっていく。紫式部も侍女としてのストレスを感じていたのだろうか?『源氏物語』も侍女の視線で読むと面白い。

今日は恩田川の桜を見に行こう。無職適性が出来ているな。ただ引き籠もっているから腰痛になった。

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