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どうしても弁の尼がしゃしゃり出てくる

『源氏物語 52 東屋 』(翻訳)与謝野晶子(Kindle版)

全54帖の第50帖「東屋」。源氏が浮舟を所望していると聞いた浮舟の母は、身分違いだと諦め左近少将との縁談を進める。しかし浮舟が母の連れ子と知った少将から断られ、嘆く娘を不憫に思い異母姉の中の君に預ける。ある日匂宮が浮舟を偶然見つけ言い寄ってきた。驚いた母は浮舟を三条に移す。それを聞いた薫は会いに行き、翌朝宇治の山荘へ連れて行ってしまう。平安時代中期に紫式部によって創作された最古の長編古典小説を、与謝野晶子が生き生きと大胆に現代語に訳した決定版。

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だんだん系図も複雑になってきて系図を見てもよくわからなくなっていた。中の君が中の君と呼ばれたのはその下に妹がいたからで、それが浮舟だった。下の君とは呼ばないけど扱いはそんな感じだった。

それは浮舟が常陸前司の娘だからで、貴族階級ではなく地方豪族の家系だったからである。それでも浮舟の母はかつての八の宮の愛人だったわけで、高貴な血筋にあったわけである。明石の君に似ているかと思う。光源氏が地方豪族の力を素直に受け入れたのに対して(亡き父の導きでもあったのだが)薫は地方の娘としか考えておらず差別的な態度を示す。

薫が生きてきた殿上人の世界からみればそれ以下は人間以下という感じなのか?薫が浮舟を求めたのも亡き大君の面影を求めたためであり、地方で育った浮舟とは感性が違っていて当然である。題名の『東屋』も薫が詠んだ和歌。

さしとむるむぐらやしげき 東屋のあまりほどふる雨そそきかな

この「東屋」は三条の「東屋」だったのである。浮舟の移動の奇跡が、常陸国→二条院→三条の東屋→宇治と移動するのである。移動の人かと思うが浮舟の意志ではなく、それぞれの人の思惑によって流されていくのだった。それは光源氏の女たちの運命でもあるのだが、光源氏の場合は六条院という夢の場所が用意されていたのだ。しかし浮舟にはそういう場所は用意されていない。

それは薫が光源氏と違って貴族の制度にどっぷり浸ってしまっているからだろうと思える。光源氏は一時期須磨・明石という逃亡の過去があった。その息子である夕霧も殿上人から落とされた位置からの出発であった。薫は一度も外部を経験することなく貴族社会しか知らなかった。

そんな薫が受領階級を卑下したのも当然なのかと思える。それは東国武士の木曽義仲を田舎者侍扱いした『平家物語』にも通じるというかその先駆けだったのだろう。すでに東国の武士の力は迫ってきているのに薫はそういうことに敏感ではない。光源氏の先を見通す力もないのだ。

そんな薫が唯一頼りにしているのが弁の尼という女なのだ。それは母親代わりでもあり愛人でもあるという感じなのか。匂宮がマザコンで明石の中宮から逃れられないという解説があったが、薫は弁の尼だったのだ。

浮舟のよりも弁の尼に行き着くのは、薫のせいなのだ。

それでも浮舟の母上は昔のプライドがあるから、浮舟を姫と呼ぶのだが、そんなことも薫は一地方豪族のくせにと思うのかもしれない。そんな浮舟は中将の君(この呼称もわかりにくいが浮舟の母だった)によって、三条の東屋に置かれる。このことは母上のプライドの持ち方を奇妙に描いているように思える。それと彼女自身が帝の愛人に甘んじなければならなかったので浮舟に対する匂宮の態度に危機感を感じたのかもしれない。


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