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欲望としての天皇史最期の徒花としての上皇

『菊帝悲歌: 小説後鳥羽院』塚本邦雄 (河出文庫)

帝王のかく閑かなる怒りもて割く新月の香のたちばなを――新古今和歌集の撰者、菊御作の太刀の主、そして承久の乱の首謀者。野望と和歌に身を捧げ隠岐に果てた後鳥羽院の生涯を描く、傑作歴史長篇。
運命に抗う哀しき帝は、
美の現神と変じ、
我々を歴史の深淵へと誘う  ――澤田瞳子

文化・政治・軍事の中心たらんと、新古今和歌集を編纂し、自ら太刀を鍛え、ついには承久の乱を起こし隠岐に果てた後鳥羽院。稀代の帝の栄華と波瀾に満ちた生涯を現代短歌の鬼才が流麗に描く、圧巻の歴史長篇。

出版社情報

塚本邦雄は幻想短歌の雄であり前衛短歌という一翼を担った歌人である。そんな塚本邦雄が小説で後鳥羽上皇を描こうとしたのは、紫式部が『源氏物語』を歌物語として描いたことが意識の中にあったと思う。『源氏物語』が武家社会の到来と共に滅びていく王朝栄華物語を描いたのであれば、塚本は滅んでいた王朝栄華の最後の足掻きとして『新古今集』をプロデュースした後鳥羽上皇の幻視の勅撰集という形が徒花をこの世の地獄に咲かせた花なのだろう。それは慈円の悟りを開くという仏僧のあり方ではなく天皇の栄華を尽くすという欲望のあり方なのだ。

それは塚本邦雄が敗戦によってすでに失われてしまった天皇制の中に浪漫を見たのか?その浪漫はもはや消滅したものとして、それを成り立たせるのは虚構の世界だけにあったとする後鳥羽上皇の『新古今集』の成立過程とも重なるのだと思う。『源氏物語』の物語以後を歴史物語として、それを歌物語で描いた最後の徒花としての和歌が『新古今集』という位置づけなのだ。後鳥羽上皇は、『新古今集』を勅撰集としてプロデュースすることによって、天皇の権威を示そうとした。それは編集者(監督者)である定家との確執を物語るものであった。

定家は後鳥羽上皇と違い鎌倉へすり寄って行ったのは、例えば堀田善衛の定家像とは違っていて、政治に我関せず『源氏物語』の方が大切だと書いた『定家明月記』の裏読み的な著者のもう一つの小説が定家伝であるならば、そのことが深く明記されているのだろう。

歴史物語としては、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が終わる頃の話だ。実際にドラマを見ていないので見当しかつかないのだが、源頼朝系の武士たちがことごとく北条系に滅亡された間歇を狙って王朝政権を夢見た者たちに担がれたのが後鳥羽上皇だった。歴史的にはそういう視点だと思うのだが塚本邦雄のこのフィクションでは後鳥羽上皇は最初からそれは幻であると悟っていたのではないか(むしろその悟りきれない人間であればこそ地獄、幻視の桃源郷に生きたいと願った)。現実社会の中にもはや王朝世界はなく和歌の世界だけあればそれを完成させることが、歴史の跡に天皇が勅撰した和歌の世界を示せる。その壮絶な生き様を描いたものである。

菊帝というのは、もう一つ後鳥羽上皇が菊作りに長けていたということから菊帝と呼ばれた。それは花として桜ではなく国家の象徴である菊帝と呼ばれることこそ彼が天皇の直系であったと塚本が示していたものなのか?

関連書籍:堀田善衛『定家明月記私抄』『方丈記私記』




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