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どんまい人生も死(詩)よりましなのか?

見事な菊です。菊はあまり思い入れはないかな。『菊と刀』よんだぐらいか?秋は花よりやっぱ食のほうかな。昨日今年二回目の秋刀魚を食べました。例年より高いと言ってもまだ安い手頃な値段ですし。大根が安かったこともあります。秋刀魚が安くても大根が高い日があるから。

だいたい大根は鶏大根を作って、鶏だけ食べて翌日はおでんにする。ルーティーン化している。そして、辛子が使い切れなく余ってしまうので、辛子和えとかになる。あと焼きそばに入れるとか。そう言えば肉まんに辛子を付けるのが、当たり前だと岡山からやってきた人がゆーてました。

「うたの日」は大敗北でした。

そうゆーてどうゆーてとかゆーてない てないくちない岡山女
『 ゆーて 』 やどかり #うたの日 #tanka http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=3148c&id=29

うたの日

昨日は日中は外に出て、映画館と久しぶりの図書館。

『千夜、一夜』は良かったです。今年の邦画でベストの映画かもしれない。

図書館。返却本一冊で借りたのは二冊。どうして増やしてしまうのか?一冊は『角川 短歌 2022年5月号』を返して、『角川 短歌 2022年6月号』を借りたのだけど。もう一冊も短歌本。それなのにいつも「どんまい!」だった。

短歌は絶対的な才能がないのかもしれない。そう思うしかないな。短歌界も小さな世界だし、そろそろ詩の方にシフトしようかな、とか思ってます。昨日「とか」というお題もあったのにな。後からアイデアが出てくる。

それで『中原中也を読む』を読みました。滅茶苦茶な男ですけど。「在りしの日の歌」の「含羞(はじらい)」は息子の死よりも以前に書かれていて息子の死とは関係ないんだとか。

大岡昇平『中原中也』では息子の死が転機となって、贖罪の詩を書いたということでしたが、関係がなかったのです。それは小林秀雄に手渡したときにそういう表記がなされなかった。つまり小林秀雄がそういう読みに誘導したのではないかと思われます。

けっこうそれ以降の詩も無反省的に女を求めたり酔いつぶれて反省したりしている詩人ですから。やっぱミューズ(女神)を求めていたものがある。贖罪の羊の詩ではないのです。

電子書籍柳田国男『石川啄木』。こっちも滅茶苦茶な人生だった。詩人は滅茶苦茶な人が多い。

今日は昔、小説化出来なかったものがあって、それを詩にしておこうと考えてます。難しいのは、へんなキャラ設定だからな?


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