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この社会に「成熟」を見出すということ

『成熟と喪失―“母”の崩壊』江藤淳

「海辺の光景」「抱擁家族」「沈黙」「星と月は天の穴」「夕べの雲」など戦後日本の小説をとおし、母と子のかかわりを分析。母子密着の日本型文化の中では“母”の崩壊なしに「成熟」はありえないと論じ、真の近代思想と日本社会の近代化の実相のずれを指摘した先駆的評論。

『男流文学論』で上野千鶴子が褒めていた批評なので読んでみた。

安岡章太郎『海辺の光景』は、認知症を患った母を他者として見ることで日本の母性ということからの喪失が成熟することだという。最近観た映画『波紋』もそんなような映画だった。こっちは母親は宗教にのめり込んでいくのだが、地方大学を受験して、離れて彼女を連れてくる。彼女を家に連れてくることが再生産になっていくのだが。

安岡章太郎『海辺の光景』が母の崩壊(喪失)を経験しながら成熟していかない私小説の中で、その一歩先の成熟という観点から批評したのが小島信夫『抱擁家族』だ。

それで面白い記事を見つけた。最近の女性批評家の中で江藤淳がブームだというのだ。母の崩壊で成熟しない男子という図式と共に父の復権が求められているのかと思う。それは上野千鶴子に見られる権威への追従だろうか?と思うことがある。はっきり言って江藤淳『成熟と喪失』を読んで保守性を見抜けない学者とはなんなんだろう?江藤淳の『成熟と喪失』の「"母"の崩壊」の先にはあるのは「父の成熟」なのである。

つまり成熟しない男子が存在する社会では悪しき社会のまま腐っていくのだ。それが今の日本社会だとしたら、女子たちが求めるものが成熟した父であっても不思議はない。それが今の家父長制が続いていく変わらない社会の元凶なのではないかと思う。

ただそれも幻想であると気付かされるだろう。すでに崩壊は始まっているのだから。その中で彼女たち・彼氏たちはどう生きていくのか?江藤淳のように父の復権を夢見て自己崩壊していくのか?それはすでに私たちの社会かもしれない。

江藤淳がアメリカで見出したのが精神分析のエリック・エリクソン(「アイデンティティ」を見出したそうだ)からの精神分析批評であった。それはフロイトの分析方法を継ぐもので、一神教の中心へと収斂していく。その過程で見出すのは、安岡章太郎『海辺の光景』(母の崩壊)から小島信夫『崩壊家族』(アイデンティティの崩壊)を経て遠藤周作『沈黙』(父の転向)という問題群を文学によって読み解いていく。ほとんど小島信夫『崩壊家族』が中心になるのだが。小島信夫はそれから中心性のない語りを見出していくのだと思うが、江藤淳の批評では中心性を見出していくのは「アイデンティティ」問題があるからだろうか?

そしてその模範として漱石の『明暗』を取り上げる。西欧の個人主義から儒教思想を見出していく「則天去私」のイメージがあると思う。漱石もイギリス留学体験から東洋的美意識を見出すのだった。それが神に変わる天というもの。

ただそれは敗戦と共に消え去ったものではなかったのか?アメリカ文化という洗礼が次世代の文学に影響を与える。「喪失」とは母の「喪失」で安岡章太郎『海辺の光景』で母の崩壊(認知症か?)を批評し、つづく小島信夫『崩壊家族』では、「母」の崩壊はアメリカの敗戦によってもたらされたというもので、アメリカの文化が日本にあった農耕民族の母性社会を破壊してしまった。女たちは母になることよりもアメリカ人の娼婦になることを望む。取り残された夫はその崩壊家族の中でなんとか人間性を見出そうとする、父の復権という話なのだが。それは別の方向では、村上春樹の成熟しない語り手であり、河合隼雄の母性社会の崩壊と共に論じられていくテーマであった。河合隼雄はフロイト派でなくユング派心理学を経て、日本の古典の中に思想を読み取ろうとするが、フロイト派のアイデンティティとは別の側面をみせてゆく。

はじめに戻って江藤淳『成熟と喪失』は上野千鶴子が涙するほど感動したという本だった。それは「成熟」という父権を求めてなのかもしれない。『男流文学論』での上野千鶴子の分析力は見事なものだと思ったが、富岡多恵子の文学的読みや次世代の小倉千加子の反権威主義に比べて「成熟」ということがポイントにあると思う。それが東大の学長まで上り詰めた上野千鶴子の権威だと思う。

母性社会をユング心理学の面から描いたのは河合隼雄『母性社会日本の病理』があり、それは村上春樹論に見られるように成熟しない子供のように、江藤淳も同じ問題を扱っているのだが、河合隼雄がユング心理学なのに対して、江藤淳がテキストにしているのがエリック・エリクソンの精神分析の本でフロイト派の『アイデンティティ』という代表作が示すように、主人公(男性)のアイデンティティを取り戻す話なのだ。そこにあるのは西欧の一神教にあるような分析学(哲学)であり、西欧キリスト教の神の代わりに持ち出すのが農耕母性社会の神であり、それは夏目漱石の個人主義から則天去私が導き出すような「天」の思想。それは天皇制に繋がっていくのだが、江藤淳は明治以前の天皇制を描いているのかもしれなかった。それが遠藤周作『沈黙』によるキリスト教徒の転向問題に言及していくのだが。

副題に「母の崩壊」とあるように、もう一つのテーマが隠されている。それは成熟ということだ。それは「父の復権」ということだろうか?敗戦によってこの父親像は見事に消滅させられた。それは日本の敗戦によって崩壊していくものではなかったのか?成熟しない社会というと河合隼雄が見出す日本の文化論がある(その代表的作家が村上春樹)。江藤淳もアメリカの精神分析(エリック・エリクソン)の「アイデンティティ」論から天を見出す。保守思想の核心なのか?

言えることは母性の喪失と共に父性の復権ということで成熟はこの父性のことを言っているのだと思う。例えばそれはモラルがなく崩壊している社会に対して儒教的な父性を回復することで成熟社会となるというような。それは夏目漱石の則天去私から来ていると思う。江藤淳はアメリカに留学してその過程を辿ったのだと思う。

そこで大江健三郎だった。同じアメリカでも大江健三郎はラテン・アメリカで母性社会の多様性を見出していく。

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