大伴旅人のダメおやじぶりを語る大庭みな子
『「万葉集」を旅しよう』大庭 みな子 (講談社文庫)
万葉集の4500余首の歌には、同じ風土に生き続ける日本人の心が息づいている。そこには、脈打つ生命の響きがある。のびやかに麗しく、切なく悲しい、いつの世も変わらぬ生きざまがある。心に残る歌に誘われ、大和へ、東国へ、西国へ……。日本人の心に出会う旅に出てみよう。古典の旅シリーズ『万葉集』改題
大庭みな子の「万葉集入門」かと思って読んだら、紀行文的な旅日記的側面が強いのだろうと最初は感じた。それは、大和を旅して天理での宿泊に安い宗教施設に泊まって今では変わり果てた天理王国の街の感想をふと漏らしたり、近江ではローカル線で出会う若いカップルに額田王の歌を重ねる。
こうした古典を読む場合、自分の方に近づけて読む人と、自分から近づいて読む人がいると思うが、大庭みな子は明らかに後者なのだ。有名な山部赤人の「富士の歌」。
「田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける 山部赤人」
の富士山を見に田子の浦まで出掛けていく。自分の場合はその記憶の富士山から246を下っていくと海老名市近くになる富士を想い出す。けっこう億劫になってしまって実際にその場に行くということはしないで想像の中で楽しんでいるのだが、この本を読んで何故か行きたくなってしまうのだ。
現代との変化、例えば最後は能登半島の「シタダミ」という食用にされる巻き貝の話。能登半島のどこでも採れたというが、それをタクシーの運転手と一緒に捜しても見つからなかった。それを新聞記事にしたら全国から頼りがきて「シタダミ」が全国で採れて違う名前で呼ばれていること。その中でツブと呼ばれるエゾバエは食べたことがあるなと思ったり。そうして、またその和歌が親しくなる。
そうした和歌は民衆から伝わったほかいびと(乞食者)の歌として語り継がれたものが『万葉集』に取り上げられたのであり、また貴族社会の和歌とは違い唱歌として、繰り返しや対句表現を含んだ長歌として、越中や筑紫、東国に残る。
その発展系として物語歌のたぐいが万葉歌人に取り上げられ、例えば大伴旅人は、中央から左遷されていた鬱屈して気分を酒で紛らわせて中国の神話的な歌を歌ったとする。そんなオヤジを見て大友家持は、リアリズムの世界を歌う山上憶良を尊敬していたという。このへんの裏読みも作家ならではの感性なのか、面白い。
何よりも宮廷歌人であった柿本人麻呂の歌は当時の権力者天武・持統天皇に仕えながらも、壬申の乱以前の天智天皇の末裔たちを懐かしみを歌ったとして、権力者と対峙した歌人として描かれていく。そういう読みも新鮮だった。
それと大庭みな子が好むのは物語的な長歌のようだ。大伴旅人の酒の歌(十三首)も繋げて長歌的読みで、その前文を山上憶良でリアルな現実を示し、後文として沙弥満誓の常識人の歌としてまとめている。大伴旅人の筑紫歌壇というものが、常識人二人によって支えられていたというダメおやじ大伴旅人を大友家持が立てたという裏読みも面白い。
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