「ドン・キホーテ」としての「長江古義人」
『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』大江健三郎
「三人の女」妹、妻、娘の大江健三郎の過去の作品の批評という体裁で始まった家族通信というスタイルの連作短編集は大江健三郎の読者なら懐かしい人々の登場する家族(ギー兄さんや父や義弟のかつての大江文学)と現在のカタストロフィー(3.11の震災よりも原発事故)にどう向き合っていくかがテーマととして色濃く出てくる。中で息子のアカリ(光)とのわだかまりと和解、さらにインタビューするのがかつての重要人物の「ギー兄さん」の息子であるギー・ジュニアも登場してくる。
エドワード・サイードとかはそのまま書くのに日本の例えば武満徹とかは小説のモデル名にされるのはなんでだろうと思うのだ。実際に家族からクレームが来たら困るだけの話なのかな。いろいろモデル出てくるので彼らとの関係を知るのも興味深いがそこを文化人のエスタブリッシュメントと突いてくる人もいるのは事実だ。ところで六義先生って誰なんだ?相変わらずまとまらん感想だ。でも『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』もあっちこっち飛び散る作品なのだから感想もいろいろ飛び散るのだった。(2017/04/29)
再読(2023/09/13)
3.11のカタストロフィからどう生きればいいかを模索した作品か。大江健三郎の晩年の作品は死者たちとの対話で成り立っていたのだが(義兄である映画監督の自殺が大きく影響する『取り替え子』からの「おかしな二人組 三部作」)。
それは生者である女三人からの批評を受けて改編を余儀なくされる。大震災後、障害のある息子が自殺をほのめかす発言をしたことから、女たちアサ(妹)と千樫(妻)と真木(娘)から古義人(作中の私)が批評されるのは、障害のある息子を運命共同体のように作者の従属する者と思考してきたのだが(大江健三郎も男根中心文学であった)、それは別人格であるという女たち、アサ(妹)と千樫(妻)と真木(娘)から古義人(作中の私)への批評だった(フェミニズムからの批評?)。それは『ドン・キホーテ』のサンチョ・パンサのような役割。
大江健三郎は世界文学として詩に多く親しんできたのだが、それは彼岸(西洋だとダンテ『神曲』とか)の世界であり、現実問題として生きている者、生者の世界は彼のイメージ(作品)の中のコマ(キャラクター)にすぎず、現実とは違うということで読み直しを余儀なくされる(批評)。
そこから晩年の仕事として、亡くなったサイード(サイードとの生前の約束が大江健三郎の最後の小説の批評を書くことだった)に倣って『晩年様式集α』という作品をリライトするのだが、その「α(アルファ)」の部分が生きる者たちによる言葉やギー・ジュニア(ギー兄さんは死者であるから未来の生者)の映画化によって新たな世界を構築していくとストーリーで、かなり込み入って複雑化している。それは大地震によって本棚(過去の世界文学『さようなら、私の本よ!』)がひっくり返るほどの混乱した様相からラストの詩を紡ぎ出すまでの道のりなのかと思う。
終章で示される詩「私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる」という「私」は作者なのだが、「私ら」はその後続者であり、ラストの詩が著者からの遺言めくのだが、もともと大江健三郎は詩を書きたかったのかと思う。しかし、散文的世界(小説や批評)に現実があるわけで、その対峙する世界として小説を描き続けた。それが死に憧れる作家の生きる道で、妹アサが古義人が自死しようとするのを助け出す話が暗示しているように、そうした女性の生き直す力が強く出てくる作品。女子供は従者の立場だったのが逆転していくという、それまでのマッチョな男(「騎士道物語」)の文学からの転換なのかもしれない。
六義先生は大江健三郎の東大時代のフランス語の先生、渡辺一夫ですね。
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