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思ったよりエジプトの歴史でした

『物語 中東の歴史―オリエント5000年の光芒』牟田口義郎 (中公新書 – 2001)

キリストを生みムハンマドを生んだ中東は、歴史上の転換点となった数々の事件の舞台であり、まさに世界の富と知の中心だった。ソロモン王とシバの女王の知恵くらべ。新興イスラーム勢力のペルシア帝国への挑戦と勝利。ムスリム商人による商業の隆盛と都市文化の繁栄。「蛮族」十字軍やモンゴル帝国の侵攻とその撃退。しかし、やがて地中海世界は衰退し、中東は帝国主義の蹂躙する所となる…。ドラマティックな歴史をたどろう。

中公新書の物語シリーズは、歴史を人物を通して、その人物を主役とする物語風に見ることで、その歴史を理解する歴史の入門書です。いろいろ各国の歴史物語の本が出ていて面白いのですが、最初に読んだ『物語 フランス革命』を読んで面白かったので、わかりにくい中東の歴史を知りたく読んでみました。

この本で注意しなければならないのは、副題が「オリエント5000年の光芒」となっていることです。古代メソポタミアと古代エジプトとの関係ですね。オリエントというイスラム圏で重要だったのは、エジプトだったのです。ちょうどシェイクスピアでクレオパトラのエジプトを読んでいたり(ローマから見たエジプトでしたけど)、今読んでいる『エジプト神話集成』にも中東との関連する話が出てくるので非常に興味深く読めました。

まずイスラム教の開祖ムハンマド(マホメット)は商業の宗教を打ち立てたということが重要になってきます。交易としての中東は、古くは古代メソポタミアから古代エジプトとの交易が行われていました。エジプトのパピルスの記録文書に船を作る大木をレバノンから輸入してくる話が出ています。また、クレオパトラが使ったと思われる香木の輸入も中東からでした。カエサルやアントニウスがクレオパトラの魅力にやられたものこの香水の為じゃないかと想像します。戦争の泥臭い姿から黄金の宮殿に入って、いい匂いのする女性がいたらイチコロのような気がします。

交易文化は、シルクロードの中継地点として発展しました。パルミア(シリア)ではソロモン王の伝説と共にローマやペルシアの闘争地であり、そこを死守したオダナイト王の后ゼノビアはクレオパトラに傾倒した女王で、後にローマ軍に捕まってしまうのもクレオパトラを継承しています。

イエスの誕生時に現れた東方の三博士は、三種の貢物が、黄金と乳香と没薬だそうで。それらは黄金を除いて中東原産のものです。乳香と没薬は祭祀に使われるものでエジプトの女王や伝説のシバの女王が用いたとされる。エジプトの埋葬技術にニオイ消しや防腐剤が必要とされ、その技術をミイラなどに利用したわけです。

シルクロードの中継地となった中東(アラブ)で、商業の宗教としてのイスラム教が発展しましす。イスラムがアラブ世界を支配したとき、敵対する者に対して、3つの選択を選ばせた。コーランか?、剣か?、貢納か?3つ目が無視されがちですが(西欧社会は戦闘的なイスラム教イメージで最後を無視している)、砂漠の民で貧しいから金は必要なわけです。だから、人質を取って身代金を要求することは常套手段で、たとえ異教徒でも解放したのです。その寛容の精神が中東でイスラム教が広まっていくことになった。交易の宗教として異教徒を排除しない。しかし、十字軍によって略奪虐殺がキリスト教徒によってイスラム社会にもたらされたことによって、ジハード(聖戦)が言われるようになるのです。

イスラム帝国アッバス朝の首都バグダードは交易で文化の中心として、ギリシアやヘレニズム世界から多くの知識人やってきました。そしてイスラム(サラセン)文明を発展させます。アラビア数学の自然科学や聖書の翻訳などこの時代の西欧を凌駕する知識の発展があったのです。その発展の一つとしてイスラム教があるわけです。コーランは、「ある意味宗教革命であると同じく、文学革命でもあった」と後の歴史家に言われます。

イスラム帝国の影響はスペインやシチリアまで及び、その脅威がレコンキスタ(国土回復運動)として十字軍の略奪を生み出していくわけです。アラブ側では十字軍は蛮族フランクの侵略戦争と受け止められています。その反撃としてジハード(聖戦)が叫ばれ、エルサレムの攻防は今もでもその遺恨を残してイスラエル対アラブという争いを継承している(中東戦争)。

フランクの侵略戦争やアジアからモンゴルの侵攻の砦となったのが、その後方支援というべきエジプトで中東の富を蓄える場所でもあり、資金面でも軍事拠点としてもアラブ世界の重要な拠点になっていたわけです。そこで奴隷(アメリカの黒人奴隷とは違ってギリシア的な主人と対等になれる奴隷)から成り上がった英雄バイバルスが出てきて、マムルーク朝を立てキリスト王国を撃退するのです。その頃がアラブ世界の頂点だったようです。

その後、中東はオスマン・トルコと西ヨーロッパの覇権争いがあります。フランス(ナポレオン)やイギリスの侵攻を受けて、スペインがイスラム世界からキリスト教世界へ(その過程での魔女裁判での虐殺は堀田善衛『ゴヤ』でも描かれる)。スペイン・ポルトガルのアメリカ大陸支配から地中海(中東)貿易は廃れて、アメリカ大陸やインドの遠海貿易となり、やがてイギリスの帝国主義からヨーロッパに蹂躙される中東になっていくのです。アラビアのロレンスもオスマン・トルコからエジプトを独立させる物語ですが、実質イギリスの中東支配があったわけです。

その重要地点としてスエズ運河があり、フランス人が開港して、イギリスが買い上げ、エジプトの大統領ナセルが領有権を主張して(第二次中東戦争)、日本のスエズ運河第二の開発があり、日本と中東の繋がりも深いわけでした。今はそれが中国に変わっているのかな?




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